2017年5月27日土曜日

愛宕山

愛宕山は、元々は京都を西のあらゆる悪から守護してくれる境の神(さかいのかみ)また塞の神(さえのかみ)を祀っていた山で、洛中からすぐ見える山の中ではいちばん高い(924m)山です。


スタート地点は清滝(きよたき)のバス亭です。阪急嵐山駅と清滝をつなぐルートのバスを使うのが便利で、嵐電嵐山駅のそばにも停車してくれます。

清滝のバス亭から少し下ったところの赤い橋を渡ります。なかなか雰囲気があっていいです。



橋の上から沢を見ます。



鳥居をくぐるといよいよ登山開始です。愛宕山はただの山ではなく、神社と一体化しているので、登山口に鳥居があるのでしょう。



少し上ると茶屋跡が。



この古地図は看板のアップです。茶屋がところどころにあり、「カワラケナゲ」と書いてあります。これは素焼きの小さな皿を円盤投げのように投げる遊びです。また、「ここより亀山城が見える」とか「紀州、淡州(だんしゅう)の山海が見える」とか書いてあります。淡路島まで見えるって昔は本当に空気がきれいだったんだなと思います。



「愛」のマークが。かわいい。



頂上に行くまではあまり景色を楽しむところが無いのですが、たまたま土砂崩れ跡があり、木々がなぎ倒されているおかげで景色が楽しめました。もちろん地面は補強されているので安全に歩けます。



こちらが拡大写真。桂川のうねりが美しいです。



頂上までの行程を40区間にわけていて、看板が立っているのですが、「ヤ・メ・テ(ハート)」って書かれると、「火遊び」の意味が違ってきます。



その直後の看板がコレ。「落ちる」のかわりに「堕ちる」を使っているし、「谷間に見とれる」って何の谷間?と考えてしまいます。当然登山中にそんな谷間を見ることはないのですが。



頂上が近づいてくると、水尾方面への分かれ道がでてくる。



愛宕神社方面へひたすら歩く。愛宕山は、あまり多くの花に出会わないし、景色もあまり見れないで、やたらと階段が多い。この辺が、よけいにしんどく感じさせる原因なのではないかと思う。



これは案内板にあった昔の写真。毎日水尾から花を売りに女性が愛宕山に登ってきていたらしい。



花をあまり見かけないのですが、このクリンソウだけは、そこここに咲いていました。



ようやく40/40まできました。



神社の境内に入ると常夜灯が。大坂益組とありますが、大阪と何か関係がありそうな。





東側にいくつか木のベンチをおいた場所があり、休憩できるようになっています。私もお弁当をいただきました。

見晴しは、そんなに良くないです。



これはズームしたもの。御苑とその向こうに大文字が見えますね。



お弁当を食べ終わったらいよいよ神社にいくのですが、ここでダメ押しのような階段が...



神社に到着。

愛宕山は大天狗の太郎坊が君臨した全国の天狗の総本山なのです。社殿にあった復元された絵馬。なかなか勇ましい。



復元絵馬の説明です。



こちら社殿です。愛宕神社は、鎮火・防火の神であるカグツチ神を祀っているので有名です。何度も火災に見舞われた京都なので火事は本当に怖かったのでしょう。カグツチ神は日本のあらゆる神様のイブ的存在のイザナミが、イザナギとの間に多数の神を産んだ後、カグツチを産んだところ、火の神だったので陰部に大やけどをして、亡くなってしまったというとんでもない神様なのです。

カグツチ神は、この天狗の総本山から修験道が全国に散らばって信仰が広まったそうです。



日本の神様たちについてわかりやすく解説した本がありますのでオススメです。





帰りは別のルートで下山していきますが、少し降りると、とても見晴らしの良い場所がありました。



南方面を見ると手前に烏ケ岳。遠くにうっすらと見えるのは奈良の山々。



愛宕山も固い変成岩でできているようです。



下山ルートにあった月輪寺(がつりんじ)に植えてあった白い花。名前はカラー(Calla)というそうです。サトイモの親戚だそう。



月輪寺は天然記念物のシャクナゲが有名だそう。道端に育っていました。「枝をおらないで罰せられます」との看板が。多分奥にもそこそこ育っているのだとは思うが、無造作に育っているのがしのびない。咲けば皐月のようなかわいい赤い花がさくようだ。



立ち入り禁止になっている小さなお寺。傾いているのはカメラではなく建物です。その脇に立っているのは月輪寺参拝、愛宕山登山3000回。これはすごい。毎日登っても8年かかる。自分ならそれだけ上るんだったらいろんな山を登りたい。


境内はこんな感じ。



ずっと下って沢にでてきました。ここからしばらく舗装された道をあるいたら清滝に戻ります。


2017年5月20日土曜日

京街道 淀~東寺

まずは淀殿が住んでいた城をめざして淀駅を出発。ちなみに淀駅の前に遺跡として残っている淀城は淀殿とは関係ないことは前のブログで説明しています。


淀駅の北側は昔は太い桂川の支流で、旧京阪国道(昔の伏見街道)沿いに流れていたようです。京都競馬場は複数に分かれる支流をすべて埋め立てた後に建てられたのですね。

京街道から京阪国道へは、いったん石垣の段差を降り、それからまた石垣を上るようになります。この石垣は伏見街道の桂川に対する堤防だったのでしょうか?



少し行くと小さな橋が(五番橋)。明治45年と彫ってあります。この川は埋められずにすんだようです。



妙教寺。ここが昔、淀殿の城があったところ。



石碑があります。調べてみると、ここにあったお城は秀吉が淀殿のために建てたものではなく、建ったのはもっと昔の室町時代の応仁の乱の前だったそうです。だから淀駅の前の淀城と区別して「淀古城」と言っているようですね。

そうやって以前から戦いの場になってきた城を秀吉が改修し、鶴丸を身ごもった淀殿の産所として使わせたということです。淀殿とよばれるようになったのはこの淀城に居をかまえてからで、それまでは茶々だったわけです。あいにく鶴丸は産まれてすぐに亡くなってしまい、もうあきらめたか秀吉は甥の秀次を養子にするのですが、再度身ごもった淀殿が秀頼(拾い)が生まれると、いいがかりをつけて秀次を切腹させてしまいます。秀頼が生まれた時は秀吉は56歳、うれしかっだでしょうね。でもその五年後に亡くなってしまいます。秀頼は秀吉と比べて図体が大きく、秀吉の年齢を考えると父は秀吉ではなかったのでは?といううわさもあります。



こちらのお寺、妙教寺ではお花をきれいに育てておられています。見事に咲いた牡丹。5月で初めて見ました。



これはアヤメだと思います。花びらに模様があるので。



第二次大戦の際に学徒兵として徴兵された木村久夫さんについての石碑です。「きけわだつみのこえ」では痛烈な軍人批判をしています。B級戦犯として現地で絞首刑にさせられたそうです。



ここから淀川沿いにどんどん歩いていると、こんどは戊辰戦争の戦死者の墓がありました。いまだに御参りをされる人々がいるのですね。



道沿いに咲いていた花。5枚の花弁のうち、上の2枚に紫の模様がつき、下の3枚はついていない。自然ってすごいなと思います。調べるのに時間がかかったけど、これはローズゼラニウムという名前です。海外では「貧乏人のバラ」と呼ばれているそうです。




ひたすら淀川沿いを歩いていきます。京街道は淀川沿いを歩くのが多いので単調でもあります。



川沿いにキャベツ畑があります。この辺の畑って私有地なのかな?水量が増えて畑が流れたらどうするのだろうか。



誰かの家の庭に咲いていた非常に大きなブルーの花。大きすぎて少し気持ち悪い。名前はクレマチス。



街道沿いにあったお寺、浄貞院。



非常に立派な樹。これは楠でしょうか。



京都外環状線をくぐったところにある田中神社御旅所。御旅所(おたびしょ)とは神輿の巡幸の休憩に使われる場所。昔はお祭りが頻繁にあったし、土地も一杯余ってたでしょうが、今は駐車場になっています。



ここで桂川が桂川本流と鴨川に分かれます。



大阪ガスの巨大なガスボンベ。



伏見で最も古い歴史をもつ酒造、月の桂。にごり酒や古酒なので実は聞いたことがありませんでした。このあたり伏見は酒屋さんが多いです。キンシ正宗、月桂冠など。



遠くに伏見城が見えますが、この伏見城は本物の伏見城とは似ても似つかぬもの。場所も違うし。なぜこんなものを作ったのでしょう。どうせ作るならちゃんとしたものを作って欲しかった。



久しぶりに見た由美かおるのアース製薬のブリキの広告。最近は昭和をテーマにしたお店にレトロな雰囲気を出すためにわざと飾ったりしていますが、普通の民家に普通に貼ってあるのは今はめったに見られません。



いよいよ鳥羽に近づいてきました。京セラビルが目立ちます。鳥羽については城南宮のブログを参照してください。


今日はここまででした。5月なのに非常に熱く、汗をかいたのでスーパー銭湯の伏見力の湯にはいって電車で帰りました。

次はいよいよ京街道ファイナルです。