2024年4月15日月曜日

由良ヶ岳(天橋立が一望)

 (頂上から天橋立の全貌が見える)



日本海が見える山シリーズで今回は宮津にある由良ヶ岳(640m)に登ります。

若狭湾は非常に入り組んだ地形でいつも名称がわからなくなるのでまとめてみました。地図の左の赤枠が由良ヶ岳です。ここにあるポピュラーな山々はもう登ってしまったので登る山がなくなってきました。



これがルートマップです。JR丹後由良駅に車をとめて鞍部まで直登、鞍部から左右に分かれる形に東峰、西峰を訪れて、まっすぐに戻ります。

東峰からは青葉山、由良川の景色、西峰からは天橋立、宮津湾と違った景色が楽しめるのが大変面白いです。何よりも天橋立の全容が見えるのが素晴らしい。もっと宣伝すれば、いっぱい登山客が来そうなものです。

スタートからゴールまで約5時間弱、距離7.7km、累積標高約700mの軽登山でした。軽登山なのですが、尾根道まで休む場所もない直登なのでそこそこ足は疲れます。



日本海好きの相棒の車で敦賀から舞鶴若狭自動車道を走ってきましたが、さすがに遠いので2時間半ほどかかりました。JR丹後由良駅の駐車場が登山口に近くて便利です。月曜日の朝のせいもあって駐車場には全く車はありません。

駅の案内版を見ると、この由良の地は「安寿と厨子王」の舞台だそうです。

騙されて丹後の地に住む山椒大夫に奴隷のように働かされた姉弟が逃げ出しましたが、姉は捕まって殺されてしまいます。弟は逃亡に成功し出世した後に山椒大夫に復讐をするというお話です。子供の時アニメを見た記憶がありますが、「火垂るの墓」同様、可哀想なので思い出すだけで泣けてきます。

以前、鴎外随筆集を読みましたが、山椒大夫については鴎外は知っている伝説をベースにしてさらさらっと書いたみたいに書いてありました。鴎外は自分の本職は陸軍の軍医だと思っていて小説は趣味みたいなものだと言っています。

歩き始めたのが9時ちょうど。



ヒナゲシの花。阿片のケシの仲間だけれど麻薬成分はないそうです。



駅から登山道に向かう途中に由良ヶ岳が見えます。左の山が東峰です。右の山のさらに右後ろに西峰があります。東峰も西峰も標高は640mと全く同じ



黄桜でしょうか。後ろの建物は国民宿舎の丹後由良荘ですが、どうやら2017年に廃業してしまったようです。海沿いじゃないので人気が出なかったのでしょうね。



大事な国民年金基金を使って建てられた立派な建物なのに廃業にするのは実にもったいない。



これは一昨日に二上山に登った時に出会ったクサイチゴです。



ここが登山口。駅から歩いて15分ほどです。



標高300mくらいまでの登山道は谷筋のガタガタ道なのでそれなりにしんどい道です。

ですが、登山道に沿ってあちこちにミツバツツジが咲いています。やはり春の登山は格別ですな。




途中に竹が生えている場所がありました。



4合目にある炭焼き窯跡。里山にはよくありますが、京丹後では、たたら製鉄跡も見つかっているようなので、銑鉄のための炭だったのかもしれません。



鞍部の手前に「一杯水」とあった水場。残念ながら一杯汲むのにかなり時間がかかりそうでした。



尾根道の鞍部に到着。東峰、西峰の両方いきますが、最初に東峰に行くことにします。



見上げるとコブシの花が満開です。



鞍部から500mなのですぐに東峰に着きます。実は1kmほど先に「東由良ヶ岳」があります。由良ヶ岳東峰と紛らわしいのですが、東由良ヶ岳は標高585mで景色はこちら(東峰)のほうが良さそうなので行きませんでした。



これが東峰のパノラマ。右に青葉山の山容が見えます。若狭富士と言われるだけあってきれいな山です。

戦争は絶対あってはならないのですが、舞鶴港から戦艦が出航していく様をここから眺めればさぞかしカッコよかったろうなと考えてしまいます。日本海海戦、東郷平八郎の三笠がここを出ていく姿を想像していましたが、帰ってから調べると三笠が出発したのは呉でした。



由良川の河口の景色も美しい。日本の河川はどこもかしこも政府と結託した土建屋がコンクリートだらけにしてしまうのですが、ここは砂浜を残してあり実に優雅です

由良川をまっすぐに横断する由良川橋梁の姿もいいですね。



青葉山と舞鶴港のズーム。こうして見ると、舞鶴港が西と東の二つに分岐しているのがよくわかります。これでは敵艦は絶対に海から入ってこれないですね。



頂上にあった虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)。虚空蔵菩薩は無限の知恵を持つと言われる仏様で、ここを訪れた修験者は経典の内容を忘れることがなくなったそうです。



これは由良川上流を眺めた写真。丹波の分水嶺から日本海まで流れている立派な川です。



西峰に行く手前に休憩所があります。なかなか立派な造りですが、すぐに西峰なのでここで休む人っているのかな?



西峰に到着。東峰と同様の広めの頂上です。東峰と西峰は歩いて20分ほどしか離れていないのですが、景色がガラリと変わるので2回頂上の景色を楽しめ、トクをした気分になります。



これが西峰のパノラマ写真です。由良ヶ岳に登る前は天橋立が見えるということを知らなかったのですが、登ってみると写真の左に見事なほどに天橋立の全容が見えます。

真ん中の突き出ている半島と湾が、栗田半島、栗田湾です。「栗田」と書いて「くんだ」と読みます(後で知った)。栗田半島の左が宮津湾。

左側から取り囲むように見えるのが丹後半島で、半島の先には舟屋で有名な伊根湾が見えます。



これが天橋立のズーム写真です。天橋立で区切られた向こうは阿蘇海(あそかい)と言います。なぜ阿蘇なのか明確な由来はなさそうです。

天橋立の左の根元が少し切れているのが見えますが、はね上げ式の橋(廻旋橋)があって阿蘇海と宮津湾を行き来できるようになっています。



天橋立の景色が素晴らしすぎて惜しまれますが下山を始めます。途中、目印のテープの代わりにネクタイが。。。

会社を引退して不要になったのでテープ代わりに使ったのでしょうか?



ミツバツツジに飾られた谷筋まで降りてきました。



下山開始から1時間ほどで獣害フェンスのある登山口に到着。



和名、鈴蘭水仙、洋名がスノーフレーク。どちらも可愛い名前です。



民家の花壇で昼寝をしていた猫。由良の地は田舎ではありますが、きれいに整備されていて、とても空気のよい場所です。海水浴場もあってのんびりするにはとてもいい処だと思いました。



JR丹後由良駅に戻ってきました。駅舎は売店のように見えましたが無人でした。「艦これ」のポスターが貼ってありましたが、今の男は日本海海戦の三笠ではなく、こういうのに夢中になるのですね。別にいいけど。確かに可愛いし。



ちょうど丹後鉄道の車両が停車したのでパチリ。これは西舞鶴から宮津に行くディーゼル車両のようです。



帰りにデザートカフェKEKEでケーキセットを食べました。なかなか美味しかったです。





2024年4月13日土曜日

二上山

 Wikiによれば、二上山は正式名称は「にじょうさん」と読むようですがかつては「ふたかみやま」と呼ばれたそうです。

奈良時代以降、中国語読みのほうが箔がついたのでそうなったと思いますが、「ふたかみやま」のほうが親しみやすい気がします。

二上山は大阪府と奈良県の境にある生駒山地と金剛山地の間、ちょうど金剛山地の稜線がせり上がってくるあたりに位置しています。その名の通り、頂上が二つある山で、雄岳が517m、雌岳が474mの標高です。



今回のルートマップです。166号線沿いの二上山駐車場から時計回りに進み、雄岳、雌岳を通って下山します。

歩いた時間は2時間ですが、軽く岩を登る箇所や、奈良時代の史跡もあり、頂上からは大阪平野が見渡せるので、お手軽に登山が楽しめる山かと思います。週末ということもあり登山客もとても多く人気があるようです。歩いた距離は3.6km、累積標高約400mです。



今回は筆者が数ヵ月前に購入した車で送迎することになりました。京都駅に8時集合、名神、近畿、南阪奈と乗り継いで二上山駐車場に着いたのが9時40分でした。

国道166号沿いにある駐車場は40台くらいのキャパはありますが、ほぼ満車でした。それでも登山口付近にも数台駐車できそうなスペースはありました。

今回は右回りの周回コースなのでレストハウスの前を通って登山口に進みます。



今日は筆者を入れて5人のパーティーです。天気は上々。



駐車場があった国道166号線になっている道は竹内街道と言われ大和国(奈良)と河内国(大阪)を結んだ日本最古の官道だったそうです。ちなみに去年は日本最古の道と言われる山辺(やまのべ)の道を歩きましたが、こちらも勿論奈良ですが飛鳥時代よりも前の古墳時代です。

案内図によれば歴史散策好きの人は、鹿谷寺(ろくたんじ)跡から右の二上山頂上(雄岳、雌岳)に向かう代わりに左の「ろくわたりの道」を歩いて孝徳天皇陵に向かうのが人気のようです。




登山口から10分ほど歩くと鹿谷寺(ろくたんじ)跡に着きます。案内版によると8世紀ごろ(奈良時代~平安時代)の寺院で、石切り場跡に建てられたと書いてあります。

このあたりの地質は凝灰岩で加工がしやすいので好んで石材に使われました。

凝灰岩は火山の噴出物が固まってできた岩なので軽石ほどではないですが土木技術が低かった飛鳥時代や奈良時代では割ったり運んだりするのに向いていたのでしょう。

二上山の凝灰岩は高松塚古墳や平城京の基壇にも使用されていることが確認されているそうです。



案内版にあった奈良時代当時の推定図。左の十三重塔は案内版によるとここにあった凝灰岩の巨岩を削って作ったものだそうです。



二上山の凝灰岩、つまり火山があったというのはピンときませんが、これは日本列島が今の形になった歴史と関係があります。

約2000万年前にユーラシア大陸から分離された部分が黄色の中央構造線の上部(ユーラシアプレート)ですが、その後、フィリピン海プレートが下に潜り込みます。

下に潜り込むフィリピン海プレートがユーラシアプレートの端にぶつかってシワになって盛り上がったのが付加体とよばれる中央構造線の下部であり、地下に潜ったフィリピン海プレートによって熱せられて中央構造線に近いユーラシアプレートの部分ではポツポツとマグマが吹き出しました。

四国の北部や岡山、広島の南部では地表のニキビのようなポツポツした山が多いのはそれが理由だと思います。二上山で凝灰岩があるのも同じ理由でしょう。実際、讃岐地方に行くと、その景色が、大和三山と言われる耳成山、香久山、畝傍山に似ているのがわかります。

地図上では随分と離れている二上山と讃岐地方ではサヌカイトとよばれる硬い石がとれるのが面白いですが、二上山では硬いサヌカイトが石器に向いていたので古代から人が住み着いていたそうです



鹿谷寺を過ぎて登って行きます。凝灰岩の岩場が多いのですが、登りにくいことはありません。



途中でPL塔が見えました。天理教とごっちゃになりますが、別の教団(パーフェクトリバティー教)でした。



岩の目が粗いせいか滑らずに登れます。



登山口から1時間ほどで雄岳(517m)に到着しました。



雄岳頂上付近にある葛城二上神社。レンガ塀になっていて切妻屋根がなければ神社とは思えません。調べてみると祀られている神はオオクニヌシと同類の古い神、つまり大和朝廷に征服された土着民側の神様のようです。

サヌカイトを求めて古くから住み着いた古代人が後からやってきた大和朝廷に追われたという流れが読み取れます。



葛城二上神社のすぐ横にあるのが葛城経塚二十八宿。これは和泉山脈から金剛山地(今で言うダイヤモンドトレール)にある28箇所の経塚の一つであり最後の経塚です。



パーティー全員の無事を祈願してくれたTさん。



同じく神社の横にあったのが二上白玉稲荷大神。古くから豊かな実りを見守り続けてくれた神様なのでしょう。



ここで恒例のおやつタイム。S氏が自家焙煎のコーヒー豆を携帯ミルで挽いてくれました。マフィンとカヌレで欧州風のひとときを楽しく過ごしました。



雌岳(474m)にやってきました。雄岳とはずいぶん異なりここはちょっとした公園のようになっています。周りに植えられたソメイヨシノが春のうららかさを豪華に演出してくれています。



大阪平野が一望できます。天気はいいのですが黄砂のせいでもやがかかっていて残念。それでもウメダのオフィス街やハルカスが見えます。



頂上の日時計がちょうど12時を指しています。日時計の周りの石のベンチは十二支に分かれており筆者も含めみんな、自分の干支の石に座って喜んでいます。



おおさか山の日制定記念。11月第2土曜日だそうです。



さっきおやつを食べたばかりですがランチにしました。12時になると不思議とお腹が空くものですが、今日は消費カロリーを完全に摂取カロリーが上回っています。



下山ルートは行きと違って岩屋を目指して進みます。途中でN氏が「イチゴだ!」と言ったのを、露地栽培でイチゴを育てている筆者が「違う」と返したのですが、Googleレンズで調べるとクサイチゴという種でした。

葉っぱの形も筆者のイチゴ(宝交早生)とは全然違うし、なによりこのクサイチゴにはトゲがあります。イチゴはバラ科なのでバラに似ていても不思議ではないのですが、花以外ではバラに近い。

Wikiで調べてみると宝交早生など一般的なイチゴはオランダイチゴ属のグループで、このクサイチゴはキイチゴ属のグループでした。こちらのイチゴのほうが昔から日本にいたイチゴなのですね。



ちなみにこれが筆者が育てている宝交早生。花はよく似ていますが、葉っぱが全然違いますね。



雌岳から15分ほどで史跡の岩屋に来ました。雄岳にあった葛城経塚の26宿になっています。



石窟のなかには鹿谷寺にあった十三重塔のミニバージョンのような石塔が立っています。



石窟の前に群生している半夏生(ハンゲショウ)。夏に花が咲いて花の周りの草だけが白く変色するので半化粧とも言われています。薬草と書いていますが、解熱作用があるそうです。



1998年の台風で倒れてしまった岩屋杉。樹齢600年だったそうです。もっと長生きできたのに。



この細長い花はムラサキケマン。仏堂に使われる華鬘(けまん)に似ていることが花の名の由来だそうですが、華鬘というのがわからない。調べてみると赤ちゃんをあやすベッドメリーみたいに仏像の周りにぶらさがってるアレでした。



春なので色々な花に出会えます。これはスズシロソウという花です。矩形の花びらが珍しいです。ダイコンの花に似ているそうですが、ダイコンは花が咲く前に収穫してしまうので花を見たことがありません



案内版にあった奈良、平安時代の石切り場の様子を描いた絵。完全に人力です。



これは今の季節よく見かけるシャガ



白い桜とよく似ていて見分けが難しいですが、どうやらこれは桃の花のようです。サクラも桃もイチゴもみんなバラ科なんですよね。



上の木のすぐそばに植えてあったのでこれも桃の花じゃないかと思います。桃と桜の見分け方は花の柄が短いのが桃、花びらの先がとがっているのが桃、だそうです



ため池らしい水場にシャガの葉が輝いています。



お地蔵さんの立つ場所が登山口になっていました。このあと、羽曳野にある延羽(のべは)の湯というスーパー銭湯に立ち寄ってから帰路につきました。