2019年9月28日土曜日

明智越え

明智越えコースは、明智光秀が織田信長を本能寺に討つときに通ったルートと言われています。

本能寺の変が起きる半月ほど前、信長は光秀に対し、毛利氏と戦っている秀吉を支援するように命令する。その際、光秀に、中国地方で戦勝したら領地は自分のものにしてもよいが、当時光秀が所有していた領地は没収すると告げる。光秀はその仕打ちに堪忍袋の緒が切れたのかもしれません。

変の四日前、光秀は亀山城から愛宕山に詣で、籤を2,3度引いている。信長討伐の決意を見極めたと言われています。

そして、6月1日、光秀は家来には森蘭丸からの伝令で閲兵を受けるために京都へ向かうと言い、兵を進め、桂川の畔で、草鞋を締め直し、「敵は本能寺にあり」と、信長襲撃命令を下し、当時本能寺があった堀川三条めがけて突き進んだ。


はっきりしたことはわからないようですが、亀山城から京都に行軍するとき、光秀は軍を3つに分割し、光秀含む本隊は今回歩いた明智越えを通り、残りの二隊は、唐櫃越えと老ノ坂峠を通ったという説があります。



これが今回歩いた明智越えの詳細ルートです。JR亀岡から保津町の集落を抜け、JR保津峡駅まで歩きます。最高地点は約410m、距離は約10Kmの行程です。


こちらは3Dマップです。


さて実際のルートですが、JR亀岡駅の北口に出て、右に曲がります。写真は振り返って駅を見ています。


京都スタジアムが建設中です。2020年春オープンを予定しており、会場時は、サンガスタジアム by Kyoceraと言われるそうです。


ダークグレーで日本家屋のような屋根が乗っているデザイン。


保津川下りのお客さんが乗船を待っています。保津川下りについてはこちらの記事参照。


大堰川(おおいがわ)を渡ります。この川ですが、保津峡周辺では保津川と呼ばれ、渡月橋より東から桂川と呼ばれます。ややこしい。


橋を渡り終わるあたりから見ると、鉄塔の立っているあたりが、今回歩く明智越えルートになります。


九月下旬のヒガンバナ。毎年見ても華やかに感じます。四季があるのは素晴らしい。


このあたりから明智越えコース沿いに、「保津百景道しるべ」と題していろいろな案内板が立っています。毎年10月に松明をもった行列が練り歩くそうです。


秋のコスモスです。お地蔵さんと一緒に。



保津町の集落の家々はきちんと手入れがされており、秋の花の香りが立ち込めることもあり、とても良い空気に感じます。



白いヒガンバナ。初めて見ました。交配種なだけあって赤のヒガンバナよりも弱く、珍しいそうです。


大きな柿の木。


いよいよ明智越えの登山道にやってきました。


横にあった解説の看板です。6月1日午後10時に出発と書いてありますが、正確なところはわからないそうです。でも本能寺を襲ったのが翌朝4時なので、距離を考えればそうかもしれません。


保津城跡。南北朝時代だそうです。


このコースですが、ときどき看板はあるのですが、ほとんどテープがなく、若干迷いそうになります。


予想通り倒木は多いですが、くぐるか巻くかでなんとかなります。


石堂丸、石童丸のほうが一般的なようですが、高野山に父を訪ねるも既に亡くなったと告げられる。墓参りをして家に帰ると母も亡くなっており、再度高野山に出家し、父の死を告げた僧に仕えるが、実はその僧こそ、じつの父だったというお話。


仏教の有名な話で絵本にもなっている。公私混同を許さない日本らしいお話です。




全部で20回くらい倒木の上や下を乗り越えましたが、想定以上ではありません。


鐘撞(かねつき)堂跡。


このあたりが最高地点、約410mです。


土砂崩れ跡があり、景色が広がります。全体で景色が見れたのはここだけ。



ヤマレコによるとちょうど鉄塔のある場所に土用の霊泉という水場があることになっていますが見当たりません。もうちょっと手前にも土用の霊泉の説明を示す看板がありましたが、そこにも水場はありません。おそらく何百年も続いてきたであろうのに、残念なことです。


土用の水場に行きたいがためにメインルートから外れてしまい、倒木のキツイ道を行きます。


水尾の集落が見えてきました。


再び鉄塔。



ここから沢跡のような道を下ります。雨の日はキツそうです。


登山道が終わりました。


保津川の支流に心癒されます。


この橋を渡るとJR保津峡駅に向かう道です。



激しい倒木です。


これは明智越えルートではなく、保津川に近い道を散策するルートです。


いつもの赤い鉄橋。


JR保津峡駅にたどり着きました。


2019年9月16日月曜日

ダイトレ(金剛山~紀見峠)

ダイアモンドトレイル、略称ダイトレは、屯鶴峰(どんづるぼう)から槇尾山(まきおさん)までの全長45Kmのコースです。

今回は、金剛山の上にある「ちはや園地」でテント泊をした後、翌朝に紀見峠まで歩きます。葛城山から水越峠を越えて金剛山へは2年前に歩いています


これが実際歩いたルートです。北西方向から見た図で、左のスタート地点のケーブル駅から金剛山に登ってテン泊し、翌日は、そこからゴール地点の紀見峠まではゆるやかな下り坂です。ダイトレは道がとても整備されていて、しかも下り坂なので、今回のコースはトータルで15kmですが、辛さはありません。


今回は、バックパックとスリーピングマットを新調したので、それを試すという目的もあります。

バックパックはモンベルのアルパインパックの50Lです。このモデルの特徴は「ロールアップシステム」と呼ばれるシステムで、ザック全体を一つの大きな袋のように使えるので荷物の出し入れが非常に楽。荷物の量に合わせてクルクルと巻く量を変えられるので調節も簡単です。内側の黄色い袋がセパレートになっていて防水機能があり、レインカバーも不要です。あと、ストックを一時的にゴムで仮留めできる機能もめちゃくちゃ便利です。


さて解説ですが、本日は9月の3連休の2日目の日曜日。早朝のテニスレッスンのあと、阪急河原町から天下茶屋までの直行列車に乗り、天下茶屋で南海電車に乗り換え、河内長野で下車。そこからバスに乗って35分ほどでロープウェイ前で降ります。金剛山登山口というバス停がありますが下車しないように要注意。

本当は今日はテン泊だけなのでロープウェイでもよかったのですが、耐震性問題で現在運休中なので、ロープウェイ近くの伏見峠登山道を歩きます。


こちらが伏見峠ルートの登山道入り口。14:10に登山開始。連休のせいもあり多くの人がいますが、ほとんどの人が下山してきます。


登山道といっても、舗装されていて非常に歩きやすい。




伏見峠に到着。翌日はこれを右方向に進むのですが、今日はテン泊なので左方向すぐそばのちはや園地に行きます。



キャンプ場です。2年前にも来ましたが、バンガローや常設テントもあるのですが、今回はスリーピングマットを試したいので持ち込みテントサイトに行きます。テントサイトもウッドデッキも選べますが、今回も土の上サイト。


前回はお風呂を使わせてもらった香楠荘ですが、ケーブルカーが動いていないこともあり、客足が減ったので一時休館。ここのお風呂は古代ヒノキを使った湯船がよかったのに残念です。


ちはや星と自然のミュージアムの前にあった自然情報。こちらのミュージアムはがんばって続けてほしいです。


今回試したかったスリーピングマットですが、「サーマレスト・ウーバーライト」というモノです。サーマレストはマットと言えば一番ポピュラーな、Zlite Solをいままで使っておりましたが、ウーバーライトは空気注入式なので折りたたむと缶ビールくらいの大きさになってしまうのがウリです。ZliteSolはザックの中に収まらないので邪魔になるので、ウーバーライトのコンパクトさは衝撃的です。


なかなか空気を入れるのが大変ですが、なんとか注入完了。テントとヘリノックスチェアと一緒に撮りました。


まだ晩ご飯までに時間があるので、テントの横にテントマットを敷いてリゾート気分を味わいます。傍らの森林香が虫を追っ払ってくれています。



17時前に晩ご飯開始。テントサイトは火気厳禁ということで、テーブルエリアに行って食べます。ふるさと納税の返礼品のハンバーグを焼いて食べました。


食事の後はヘリノックスチェアに座って「ローマ人の物語11巻」を読書。最後の五賢帝のマルクス・アウレリアスが亡くなり、ローマが衰退していくところです。


日が暮れてきました。夜は寝るしかなくてちょっともったいないのですが、キャンプは自然との一体感が良いです。ちなみにウーバーライトの寝心地はといえば、やはりZliteSolに分があります。空気で膨らんでいるだけなので、当たり前ですが、体重をかけるとすぐに凹んでしまいます。でもコンパクトさを考えると、やはりZliteSolを持っていくことは多分もうないでしょう。


さて翌朝は6時に、ソーセージ2本を焼いてオレンジジュースを飲み、出発です。
昨日の伏見峠の標識から登山道へ入ります。


ダイヤモンドトレイルの標識が多く立っており道を見失うことはまずありません。このコースは夜に走ったりする人もいるので、とくによく整備されているように思えます。木の根にもつまずかないように赤テープが貼ってあったりします。


ベンチも数多く設置されています。


きれいな花がお供えされているお地蔵さん。


出発して約30分で久留米峠です。ここから長い階段が続きます。



再び尾根沿いを楽しく歩く。


中葛城山です。937mと書かれた標識の下に「もっと高いよ」と手書きが。ヤマレコによると937.7mなので間違ってはいない。


河内長野市がかすかに見えます。これ以外に景色がどこにも見れないのが残念です。ひたすら歩く。


高谷山。


ヤマジノホトトギス。秋の花です。今回は数多く見かけることになりました。


千早峠の手前にあった天誅組の看板。幕府が攘夷運動で揺さぶられていた孝明天皇の時代。土佐藩出身の吉村寅太郎が組織した天誅組は、幕府を追い詰めようと高取城を襲撃しようとするが、後ろ盾の長州藩が、会津、薩摩藩の力に押されて撤退、天誅組は朝廷からも討伐令が出されて壊滅させられる。



天誅組を組織したが逆に討伐された吉村寅太郎は26歳。幕末の勇士はみな若いです。


出発から1時間30分で千早峠。



枝に並んで咲く小さな赤い花。種類はわかりませんでした。


これはヤマアジサイかな。ピンク色でおしべの広がりが華やかです。


神福山。



金剛トンネルとは、この直下をトンネルが通っているという意味。大阪河内長野から奈良県五條に抜ける310号線がここだけトンネルになっています。


GoogleMapによると、こんなトンネルです。


2日前に稲荷山で見かけたツユクサ。雑草扱いされていますが、可憐です。


行者杉。ちょっと休憩してパンを一つかじります。モンベルのアルパインパックが快適で、あまり疲れてはいません。



杉尾峠。歩きだしてから2時間40分。今回のコースの中間地点あたり。



タンボ山(763m)。標高も下がってきました。


ここで大規模な送電線です。関空エネルギーセンターの火力発電所から奈良へ電気を送っています。


西の行者をすぎると、今回で一番長い階段です。これは登りだとひたすら続くので結構大変でしょう。



舗装した道になりました。



山の神。ちょうど12時なのでランチにします。カップヌードルですが、ベンチに座ると虫が寄ってくるので立って食べます。


紀見峠まであと50分ほど。


紀見峠配水池。配水池とは、浄水場を通ったきれいな水を一時的に保存するバッファの役割を持っています。


紀見峠を通らずに紀見峠駅に向かうショートカットを通りました。紀見峠からの道とここで合流。


集落があります。


お茶屋さんの丹波屋。営業しているのでしょうか。


紀見峠駅は南海電車の普通が結構本数も多いので周辺には結構多くの人々が住んでいるようです。


割と近代的な観光ホテルがありました。紀伊見荘。


なかなか温泉も立派です。二食付きで12000円ほど。


駅そばのお寺。


ようやく駅にたどり着きました。7時30分に出発して12時40分到着。約5時間のハイキングでした。