2021年4月10日土曜日

【京都・大原野】小塩山(642m)のカタクリの花

 カタクリは、その名の通り以前は片栗粉の原料として使われていたユリ科の草花です。北海道でジャガイモが大量生産されてからはその役割をジャガイモに譲りました。

今回は、京都でカタクリの群生が見られる小塩山(おしおやま)(642m)に登ることにします。


ルートですが、老ノ坂トンネル手前からスタート、大枝山(おおえやま)から、大暑山(おおしょやま)に登ってから小塩山に到達します。

小塩山に行く手前がカタクリの群生地になっており、スタッフの方々がフェンスをめぐらせてきちんと保護されています。

小塩山のあとは、ふもとの大原野神社に下ってゴールインといった行程です。

全行程約12Km、標高差400mです。危なそうな場所もなく、脇道が多いものの、初心者でも全く問題ないルートです。


今回は、4名のパーティ。にぎやかで楽しい。


スタート地点とゴール地点が違うので、1台の車をゴール地点の大原野神社の駐車場に停めてから、もう一台を老ノ坂トンネル手前にある西山霊園の駐車場に停めたらいよいよスタートです。

少しヒヤリとしますが国道9号線を横断してしばらく行くと今は歩道として使われている旧老ノ坂トンネルの入り口が見えます。


しばらく行くと、このように南に向かう舗装道路が出てきます。


このあたり、廃墟になっていて薄気味悪い。


さらに薄気味悪そうな首塚が出てきました。


ここには、酒呑童子の首が祀られています。


酒呑童子は、平安時代中期の悪党で京都に来ては悪行を働くというので、武将、源頼光(よりみつ)が屈強の手下を引き連れて大江山に赴き、決死の戦いの果てに酒吞童子の首を刎ねて京都へ持ち帰ろうとしたところ、ここ老ノ坂のお地蔵さんに、「そんな不浄なモノを都に持ち込むな」と言われ、ここに祀ったのが神社の言われです。

これは酒呑童子と闘う源頼光です。


大江山は4年前に登りましたが、鬼伝説で有名な場所になっています。おそらく、渡来人である大和朝廷ができる以前から住んでいた土着の民族であったと思われます。

以前、奈良の葛城古道を訪ねた際、土蜘蛛と呼ばれた人々の塚がありましたが、同じような背景ではないかと思います。

幽霊話に花を咲かせながら、ゲートの脇を通ります。今回のルートはやたらと脇を通ります。


ミツバツツジが鮮やかに咲いています。


馬の背的な尾根を進みます。


大枝山の広い頂上はNTTの無線中継施設になっていて、有刺鉄線で囲まれている。使用しているように見えないし、市民に開放して欲しいです。

有刺鉄線に引っかからないように脇道を抜けて西山団地方面へ向かいます。


この大枝山は「おおえやま」と読み、老ノ坂(おいのさか)の呼び名も「オオエ➡オイノ」に成ったことが由来だと言われています。

百人一首の子式部内侍(こしきぶのないし)の歌

「大江山 いく野のみちの 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」

に出てくる「大江山」は天橋立近くの大江山ではなくて、この大枝山だったのではないかという説もあるようです。

酒吞童子の話も、わざわざ遠い大江山から京都に悪事を働きに出没したというよりは、確かに大枝山に住む悪党グループだと考えた方がしっくりきます。

織田信長の時代に明智光秀によって丹波国は天下統一されましたが、それ以前は、老ノ坂の向こうは全くの別の国という感覚であったのでしょう。


登山道を抜けると西山団地という一部に出てきます。第二次ベビーブームの際に計画、開発された洛西ニュータウンの一つですが、割と大きな町です。


公園の遊戯具を作っている工作所がありました。珍しい。


学校のグラウンドの脇道を抜けて大暑山への道に進みます。


大暑山頂上に到着。この大暑山を何と読むのかで議論になりました。後で調べてみると、どうやら元々、無名の山だったところ、山岳愛好家の方が、小塩山(おしおやま)の呼び名に引っかけて「おおしょやま」と呼んだのが発端のようです。


小塩山に向かう手前で、おやつタイムにしました。お餅を焼きます。つい先日誕生日だった私だけ特別待遇でお餅二つが供給されました。うれしい😄


ぜんざいの出来上がり~。大暑山も単なるゴロ合わせで、暑いどころか涼しかったので、温かいぜんざいが大変美味しかったです。


さて、小塩山手前で、いよいよ目的のカタクリの群生地に入ります。


いま食害で問題にされている鹿に食べられてしまうようで、カタクリ地区は、フェンスで囲われ、コロナ対策もあり、スタッフの方々が管理されています。


そのおかげもあり、あたり一面、カタクリの可愛らしい花が地面を覆っています。


カタクリの花は皆、下を向いているので、花弁を撮影するのが難しく、地べたに這いつくばって撮影します。気のせいか、このようにペアで咲いている花が多く、ダンスデュエットのように華やか。

カタクリは一年でこの2カ月ほどしか地上で光合成しないため、成長に8年もかかるという珍しい草花です。

陽が当たると花が開き、どんどん開いて反り返るのも珍しい習性。


アップで見ると、花びらに赤い線の模様が入っていて美しい。





幸い天気が良く、元気に反り返っているカタクリ。



カタクリの蜜を吸って花粉を媒介する役目を担うのが、ギフチョウという蝶で、一匹見つけたのをシャッターで捕らえました。。。と言いたいところですが、ピンボケ。


愛らしいカタクリの姿を楽しんだのち、小塩山頂上に来ました。

頂上には、淳和(じゅんな)天皇陵が鎮座しており、中に入ることはできません。

淳和天皇は平安京遷都を行った桓武天皇から3代目の天皇で、十年程の在位の後、亡くなると遺言に従ってこの大原野の地に散骨されました。


頂上の標識は淳和天皇陵を脇道を通った裏にあります。

全く今回のルートは何度脇道を通ったことでしょう❕

さて、大枝山(おおえやま)、大暑山(おおしょやま)と名前の由来を解き明かしてきましたが、一番難しいのが、この小塩山(おしおやま)の由来です。

小塩山で岩塩が採れたという説もあるそうですが日本で岩塩は存在しないので正しい説ではなさそう。

結論、わからない😅」のですが、気になるのが先日訪ねた大原野の十輪寺にあった在原業平(ありわらのなりひら)が楽しんだという塩釜伝説です。

これらが重要なヒントのような気がするので、しばらく平安時代に思いを馳せながら考えます。

・在原業平は塩を焼いて煙を見て楽しんだ(難波から塩を運ばせたという)
・当時、塩は若狭湾から鯖街道で京都へ運ばれた
・大江山は若狭湾のそばにある
・酒呑童子伝説は大江山ではなくて大枝山?


小塩山頂上近くの電波塔の下でランチを楽しんだあとは、下山します。沢沿いの道ですが、渡渉などはなく歩きやすい登山道です。


大原野神社の駐車場の前に正法寺に出てきました。二重の塔と桜のコンビネーションがとてもきれいです。


カタクリを鑑賞した小塩山を借景に。


桜とともに写真撮影会を楽しんだ後は、大原野神社駐車場に停めた車に乗って帰路につきました。



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