2019年7月13日土曜日

雲母坂から比叡山

比叡山の登山ルートにはいろいろありますが、今回は唯一の未体験ルートである雲母坂(きらら坂)です。



これが全ルート図です。叡山電鉄の修学院駅で下車、雲母坂を登ってロテルド比叡、そこからケーブル延暦寺に行ってから、紀貫之の墳墓に立ち寄って坂本に抜けて京浜で返るというコースです。


比叡山の南側の谷をはさんだ丘陵上の地形を登っていくことになります。丘陵の頂上にあるのがロテルド比叡です。この地区の名前がなんと「一条寺病ダレ」。ロテルド比叡も病ダレにあるのですが、ホテルの住所は「比叡山一本杉」になっています。さすがに、「病ダレ」のホテルは営業上問題ありです。由来を調べましたがネットで見る限り不明です。


スタートは叡山電鉄の修学院駅です。こちらは駅にあった観光マップ。


白川通りを宝ヶ池方面に歩き、修学院離宮に向けて支流沿いに東へ向かいます。


川沿いの大きな樹。楠木かな?


修学院後安堂のそばに何気なく墓がならんでいます。左の墓が名のある人で右に並んでいるのが家来なのでしょうか。


方向を間違えて修学院の方へ歩いてしまいました。江戸時代の徳川家綱の時、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の指示で造営された離宮で、農園の美を求めて離宮の中に畑や水田を造っているのが特徴。2016年に訪れた記事がコチラ


音羽川沿いの道に戻って山すそに向けて進んでいく。このあたりがすでに雲母坂(きららざか)かも知れません。



こちら雲母橋。雲母坂って名前が良いので祝日の今日など何人かの登山客がいるのかな、と思ったが誰とも会わず。


登山口を超えると当然ながら山道に出ますが、比叡山に向かう最短路だけあって結構急坂。キララの名のように雲母(ウンモ)で輝いているわけでもなく、確かにあまり登山客がいないのもわかる気がする。




ところどころ倒木が残っていますが問題ありません。


こちら雲母坂城跡。詳細は知られていないようだが、雲母坂の防衛に使われたようです。南朝の公家、千種忠顕(ちぐさただあき)が足利尊氏の同母弟である足利直義(ただよし)と闘い、討ち死にしている。
後醍醐天皇の頃の公家は武闘派が多かったのです。



切り通しのひんやりと暗い道が光っていて、キララ坂っぽいので撮影。


さきほどの足利直義と千種忠顕の闘いを想い、水飲退陣の碑があったのですが、写真を撮るのを忘れた。ちょうどそこにいたおっちゃんが、「ヒルおるで~」と手持ちのミニバサミでヒルの胴体を真っ二つ。

これから沢場があるというので、「ヒルさがりのジョニー」を足にふりかける。背中には森林香を焚いている。


幸いなことにヒルはそんなにいないようです。沢にかかる橋を渡る。



二ノ鳥居。ここは以前北白川ルートで瓜生山経由で叡山ロープウェイ駅まで歩いた時に通った場所。



ここから林道のルートに間違って入ってしまった。このまま行っても病ダレの方にはいけますが、登山道でないと面白くない。

二ノ鳥居まで戻るのが嫌なので途中で坂を急襲する。


踏み跡があったとは言え、坂の急襲はリスキーで、結局、二ノ鳥居まで戻った方が時間的には早かったのかもしれません。


途中で視界が開け、何やら住宅街が見えた。


スマホで調べると見えているのは比叡平という地区で、以前は別荘地として開発されたのが住宅地となったそうです。バスは通っているみたいですが、不便そう。


ふだん鴨川を散歩するときも見える電波塔とガーデンミュージアムの建物が近くに見えます。


なにやら通信施設の裏側に出てきました。


叡山閣。以前はホテルだったようですが、今は京都精華大学の研究施設になっています。何やらマンガ文化などの表現を研究しているということですが、全く使われているような感じはありません。


叡山閣の前にある一本杉。


こちらの駐車場から見える景色が素晴らしい。右手には京都市内、左手には琵琶湖が一望に見渡せる。

京都市内は手前に御所の長方形、その奥には双ヶ丘。左側には天王山から男山まで見えます。


琵琶湖の展望の中心は近江大橋。その奥の瀬田川の水が琵琶湖に流れ込む地形が見えます。


ここから車道の脇道を歩いていきます。


こちらがロテルド比叡。元々は比叡国際観光ホテルだったのを1999年にロテルド比叡としてオープン。ところが経営不振のため、2015年に星野リゾートに運営委託をした。

登山の汚い姿で中に入るのはためらわれたが、のぞいてみると、宿泊者以外の客向けのカフェやレストランはしていないとの注意書きがあり、気品はあるものの、スタッフもまばらでした。


比叡山ドライブウェイの右に登山用の側道があります。



ここから先は延暦寺の敷地なのでお寺を拝観する場合は拝観料がかかります。


途中で見かけた鳥居。


延暦寺の敷地だけあって道は良く整備されています。


道は良いのですが、巨大な岩山が壁になっている場所があります。



再び見かけた石の鳥居のところでお昼にします。


急なスロープ。でもしっかりと整備されたステップがあります。


小滝がある平地にでてきました。樹の切り株もあり、ここでランチにすれば良かったと若干後悔。


このあたり無動寺谷と言われる場所で延暦寺東塔の塔頭です。上の写真は白瀧大明神の近くになります。


延暦寺にこのような神社があるのが意外です。




松林院から上に登っていきますが、このあたりが谷であることがわかります。



無動寺谷から上がったところに、さらに石段があり建立道場と書いてありますので、とりあえず登ってみます。


こちらが建立道場のようです。


建立道場の壁面です。


このあたり伐採が禁止されていたのでしょう、巨大な杉がところどころに生えています。


「一隅を照らす」のポスター。ちょっとタッチがヤングジャンプのようですが。


比叡山坂本ケーブルの駅です。


叡山ロープウェイは1928年開業ですが、こちら叡山坂本ケーブルは一年早い1927年開業。いずれにせよ昭和の初めなので結構歴史が長い。


ケーブル駅の屋上から見える景色もすばらしい。近江大橋方面。


左側(北東)の景色。近江八幡と沖島が見えます。


ここから坂本へ向けての下山道ですが、途中に紀貫之のお墓があるようです。



しばらく歩くと紀貫之の墓に到着。古今和歌集の三十六歌仙の一人。


こちら百人一首の歌。「人の心など移ろいやすいものだけれど、ふるさとの花を今もきれいに咲いていますよ」という内容です。



さらに下山道を歩くと樹の幹に埋め込まれたような小さな祠が。


さらに下ると石碑。坂本側から紀貫之の墓を訪ねる人に向けたものです。


登山口に近づくと道が徐々に整備されていきます。



坂本の大観音。


京阪石山坂本本線の松の馬場駅から電車で帰ります。