2023年1月12日木曜日

【西国街道】三石宿、片上宿、香登駅

姫路から備前までの3日目(最終日)です。

2日目のブログはこちら。

 姫路のホテルを8時前に出発し、通勤通学で賑わう姫路駅から姫路城を眺めた後、山陽本線の相生駅を通過して昨日の終点の三石駅まで戻ります。



三日目の記事で紹介した場所をコースにプロットしてみました。



三石駅そばにある創業明治25年の三石耐火煉瓦。レトロでおしゃれ。「We Love Bricks」って書いてある。備前市は耐火レンガシェア全国一だそう。




山陽本線の下のレンガのトンネル。レンガってなんかいいですね。



2号線の歩道を歩いて行くと鉱山所に出来てきました。「ろう石の山」と書いてありますが、このロウ石こそが耐火レンガにとって非常に重要で、高温でガラス状に溶けるという特殊な性質を持っています。

ロウ石と言えば、子供の頃によく舗装道路に書いて遊びました。カカシノケンパとか。昭和風物詩になってしまいましたが。



ここからしばらく2号線の歩道を歩きますが、誰も歩いていないので大型トラックがビュンビュン走ります。まだガードレール付きの歩道があるので助かります。



備前ICの入り口に来ました。車は100キロ近い速度で走るし、「この先歩けるんか?」とかなり不安になりましたが、下のトンネルをくぐって右に抜ける歩道がありました。ヨカッタ。



2号線の脇に抜けると急に異世界のような集落に出ます。八木山薬師堂。旧和気郡八十八カ所霊場の一つになっています。



いい表情のお地蔵さん



閑谷(しずたに)神社の社。閑谷神社の本体はもうちょっと北にあります。

閑谷神社は閑谷学校の横にあり、閑谷学校は岡山藩主だった池田光政が江戸時代の初めに創設した日本で最初の公立学校です。

士農工商の階級社会であった江戸時代に、武士でも百姓の子供でも誰でも入学でき、しかも他藩の子供でも受け入れたというのが驚きです。



街道の面影を感じる道。社の後ろにはレンガが。閑谷学校の屋根もレンガが使われていたそうです。



一本松集落の火の見櫓。



2号線沿いにある備前焼のギャラリー。お茶も飲めるとあったので、休憩に寄ってみました。お店のオーナーらしき快活なおばさんと大阪、京都についておしゃべり。

備前焼の特徴は釉薬を使わない野趣な味わいで、伊部で採れる干寄(ヒヨセ)と呼ばれる鉄分を含んだきめ細やかな土が、高温で焼かれたときに生地を引き締めて硬くて丈夫な地肌を作ります。




赤穂線備前片上駅を過ぎたところにあった天神宮。このあたりの赤い宮獅子は備前焼なのが特徴。

赤い宮獅子も面白いのですが、土台が方形の石ではなく自然の岩場に見立てた石造りになっているのが興味深いです。山岳信仰が関係しているのでしょうか。



備前市役所の前を進みます。背景のような低山は姫路を越えたあたりからいたるところにあるのがこの地域の特徴。瀬戸内をはさんだ讃岐も同じような地形です。



西片上駅近くの宇佐八幡宮。手前に片上宿の標識があります。南北朝時代の神社で足利尊氏が大分の八幡宮の総本山である宇佐神宮に戦勝祈願をしたあと、神戸での楠木正成、新田義貞との最終決戦の前に備前に宇佐神宮を勧請したのが始まりだそう。



この神社のみどころは高さ1.4メートルの大きな備前焼の宮獅子です。江戸時代後期の作。左側なので口を閉じています。

一般的には左で口を閉じているのが狛犬で、右で口を開けているのが獅子だそうですが、これはどう見ても獅子です。



片上湾にそそぐ川にある史跡碑。前海屋という名前の遊郭があったそうだ。明治24年に遊女12名を有したと書いてある。備前焼で稼いだ若旦那が足繁く通ったのでしょう。



ここから茶臼山の峠を越えます。2号線はこの下のトンネルを通過。峠の上には茶屋跡があります。お夏という看板娘で有名だったそうです。

調べてみると、お夏という女性は井原西鶴の浮世草子や近松門左衛門の人形浄瑠璃にも取り上げられた江戸時代の有名人だったようです。



お夏は姫路城下の大商家のお嬢さん(いとはん)だったのですが、店で働く清十郎と駆け落ちしてしまいます。その後、清十郎は捉えられて、お夏の店の金を持ち逃げしたという無実の罪を着せられ打ち首にあってしまいます。

清十郎を愛していたお夏は狂乱して行方をくらました...というのが井原西鶴の「お夏清十郎」ストーリー。

この茶臼山のお夏茶屋というのは、行方をくらましたお夏が働いていたという説明で、近くにはお夏の墓もありますが、怪しい話です。

お夏清十郎は美空ひばり主演の映画にもなっています。

(Wikipediaより)


いよいよ備前焼の窯元やギャラリーがならぶ通りにやってきました。
後ろの煙突のレンガも備前耐火レンガでしょう。



天津(あまつ)神社。このあたりの陶器の神様でもあるようです。屋根瓦やしゃちほこも備前焼。




数多くの備前焼のギャラリーのお店が並んでいます。今回の西国街道歩きで最も活気のあった通りでした。



通りにあった休憩所。椅子や机だけでなく、炊事場やパソコンまで置いてあります。こういう公共スペースが存在できる日本ってやっぱりいい国だなぁと思う。

ここで、持参したどん兵衛そばを食べてランチにしました。



不老川にかかる橋。なかなか風情があります。



備前焼ストリートを抜けてしばらく歩くと雨がパラパラ降ってきました。大ケ池沿いのベンチでレインウェアに着替えていると、山陽新幹線が通ったのでパチリ。



熊山ふもとにある大内神社。



街道沿いの醤油やさん。このあたりは、新しめのお店もいくつかあり活気を感じます。備前焼ギャラリーを訪ねた観光客が立ち寄るからでしょう。



香登キリスト教会。明治28年創立だそうです。キリシタン禁止令が解除されたのが明治6年なので比較的古い教会です。



このそばに赤穂線香登(かがと)駅があるので、今回の旅の終着駅とします。この先、約2時間の距離に山陽本線上道(じょうとう)駅があるのですが、雨が降っているのと、腰が痛くなってきて、さらに2時間歩くのがキツそうなので。



赤穂線香登(かがと)駅。実にシンプルな駅です。



赤穂線は瀬戸内市の吉井川の南側をぐるっと周っていくので、岡山駅まで9駅もあります。



黄色い電車がやってきました。単線なので途中で逆方向の電車とすれ違いのため5分ほど停車しました。

車窓から見ると瀬戸内市は岡山市から通勤圏内ということもあり比較的新しそうな家も多くて活気が感じられました。さらに瀬戸内海側へいくと別荘地で有名な牛窓があります。

今回の旅は一日あたりの距離は3万歩程度で少なかったのですが、やはり3日連続で歩くと負担が大きかったです。

次回はいよいよ岡山市に入ります。井原線沿いの矢掛宿は旧街道の名残りが濃い場所らしいのでとても楽しみです。



【西国街道】相生駅、有年宿、三石宿

 姫路から備前までの2日目です。

初日のブログはこちら。

昨夜は姫路のホテル「LIVEMAX」に泊まりました。全国旅行支援割引と連泊割引があったので二泊で12000円弱と安いです。LIVEMAXは露天風呂つきの大浴場があり疲れた体には大変ありがたいです。部屋は普通ですがベッドは寝心地がよかった。夜は姫路駅そばの居酒屋で食事。

姫路駅から相生駅まで戻って街道歩きを始めます。朝8時25分。今年の1月は暖冬とは言え、朝方は手袋がないとつらいです。



2日目の記事で取り上げた場所をマップにプロットしたのがこれです。相生市から赤穂市、そして岡山県備前市までの道のりです。


相生市ですが全体的に寂れた空気が漂う場所でした。日本の人口は2008年がピークで2022年時点で2.5%減少していますが、相生市の統計を見ると、1975年をピークになんと28%も減少しています。半世紀の人口減少に加えて少子高齢化が追い打ちをかけています。

やはり相生を牽引してきた播磨造船の衰退が一番の原因なのでしょうか。

相生駅からしばらくは国道2号線のすぐ横を歩きます。



時々2号線の脇道にそれますが、海軍兵の殉職碑があります。今回のルートでは庄屋さんらしき記念碑と共に、太平洋戦争の殉職の記念碑もたびたび見かけました。

「海軍機関兵」という言葉は初めて見かけましたが機関兵とは軍艦の動力部を担当していた兵士のことだそうです。船と一緒に沈んだのでしょうか。悲惨な死に方です。

そう言えば、宇宙戦艦ヤマトでも徳川機関長がいました。映画版「愛の戦士たち」で亡くなってしまいましたが。



若狭野天満神社。坂の上になりますが登ってみます。



天満神社なので菅原道真を祀った神社ですが、初夏にはアジサイの花がよく咲くそうでアジサイ神社という別名で知られおり、魔除けのご利益があるそうです。

アジサイがなぜ魔除け?」と思い調べてみると、アジサイの花の形が薬玉(くすだま)に似ているからとある。

で、「薬玉って何?」と調べると平安時代から5月の端午の節句に香料を入れた袋のまわりに花をちりばめて柱などに吊るしたものだそうです。そう言えば、お祝いイベントのくす玉も、薬玉だったのですね。

考えれば最近くす玉も見かけなくなりました。お祝いイベント自体がない...



拝殿にはひょうたん占いがあったので、お賽銭をあげて占ってみました。「進む道には山があるがチャンスなのでズンズン行け」とのお告げでした。

実際この先には船坂峠という西国街道の難所が待ち構えていました。まさにお告げ通り!



拝殿の上には絵がびっしりと並んでいます。中央の碁を打つ中国風の絵の周りには赤穂浪士の人物像がぐるりと並んでいます。ここから先、赤穂の神社には全て赤穂浪士の絵がありました。やはり地元のプライドなのですね。



若狭野天満神社でカップヌードルでお昼ご飯にしたあとは再び歩き始めます。

このあたり何も無さ過ぎて間違って線路の横の道を歩いてしまい、出口の柵を乗り越えると立ち入り禁止になっていました。



踏切で待っていると山陽本線の黄色い電車がやってきました。



有年駅を通り過ぎます。有年と書いて「うね」と読む。



写真を撮り忘れましたが千種川を渡って東有年に入ります。

ここは宿場町、有年宿ですが、ちゃんと案内板が立っていました。案内板によると有年宿は千種川の西側のこの場所、東有年のあたりにあったそうですが、本陣跡や宿場などは千種川の増水で無くなってしまっているそうです。



千種川そばの庄屋さんの屋敷門。この後ろの山が大鷹山で上には大鷹山城があった。赤松家、宇喜多家と城主が変わり、宇喜多が織田信長に支配下になった後は廃城になったと書いてある。



大避(おおさけ)神社。秦氏に関係する神社のようで、養蚕を教えたという言い伝えがあるそうです。さきほどの若狭野天満神社で、なぜ瀬戸内に近い相生、赤穂で「若狭」なのか?と思いましたが、朝鮮から日本海を渡り若狭湾からやってきた秦氏に由来しているのではないかと思います。



この神社の拝殿の上にも赤穂浪士の絵が並べてあります。



石像五輪塔。鎌倉時代末期頃に西国街道を旅する人々の安全祈願に建てられたと考えられるようです。



この先から国道2号線と分かれて有年峠の山道に入って行きます。迂回する国道2号線は鯰(なまず)峠と言われ、明治18年、明治天皇の四国巡幸の際に難所の有年峠から鯰峠へ幹線道を付け替えたと書かれています。

ここまでが播磨国で山の向こうは備前国です。



山道の入り口にある獣害フェンス。この太いかんぬきをゲートの向こうから差し込むのに一苦労した。女の人には無理かも。



ここから40分ほど山道(林道)が続きます。



かなり大きい鉄製の箱ワナ。熊かイノシシか。ちょっと怖い。


岩を切り通した跡があります。



西国街道の案内版。あまりに人気がないのでこういう案内板があると安心する。



ほとんど人が歩かないようで倒木もそのままの状態。



山道の出口。こちらのゲートのかんぬきは操作しやすかった。



梨ケ原の集落に出てきました。ちょっとした平野が広がるところは稲作ができるので集落があります。



今回多分初めて見た西国街道のルート案内版。三石宿に向けて進みます。



ここ梨ケ原の南、船坂峠東の山地に産業廃棄物最終処分場の建設計画があるようです。昨年住民投票で反対多数となったと記事に出ていました。



船坂峠手前の船坂神社。ここでも秦氏を神様として祀っています。こんな山の中の集落にやってきた秦氏はさぞかしスーパーテクノロジーを持った未来人のように見えたことでしょう。



ここにも神社拝殿の上には板絵があります。これは歌舞伎の演目、源平布引滝の名シーンで、平家に追われていた頃の源氏の白旗を持った女がびわ湖で引き上げられるところ。

この後、女は白旗を持った片腕を斬り落とされて絶命しますが、おかげで白旗は平家に渡らずに済みます。



ここでも天井の周りに並ぶのは赤穂浪士。明治の頃の男の子は47士全員の名前を言えたんじゃないかな。



明治天皇駐輩の碑。「駐輩」とは一時的に車を停めることを言いますが、それだけで陸軍大将男爵の書が石碑になるのだからすごい。



旧街道の面影を感じさせる道。



船坂峠の道。実際はこれより14m上の道だったのを明治天皇巡幸の際に馬車が通れるように切り通したようです。

西国街道有数の難所だったそうですが、中山道の難所、碓氷峠や和田峠(標高1500m以上)と比べれば全然大したことありません。



ここから先はいよいよ岡山県です。いやー兵庫県は広かったなぁ。



県界の碑のそばにあった別の石碑。さざれてしまって判読できないが、タイトルは「船坂山義挙の碑」とある。

調べてみると、これは鎌倉時代末、後醍醐天皇が元弘の変で幕府に捕らえられ、隠岐の島へ島流しにされる道中、この船坂峠を通過すると読んだ備前国の児島高徳(たかのり)が身を挺して後醍醐天皇を奪還しようとしたことを記念した碑であることがわかりました。

結果的には後醍醐天皇を連行した幕府はここを通らなかったので奪還計画は失敗に終わったのですが、敢えてここに石碑を置いたことで、ここを通過した明治天皇に備前をアピールする目的があったことが透けて見えます。

北朝の家系である明治天皇は、後醍醐天皇の南朝こそが正統だと言われています。



船坂峠のあとは三石(みついし)宿へ向かいます。2日目でまだ歩けたのですが、この先の鉄道駅が赤穂線の備前片上駅でかなり遠いので三石駅を今日のゴールにします。



山陽本線の三石駅。無人駅ですがSUICA(ICOCA)が使えるので何ら不便はありません。2日目の宿も姫路駅のLIVEMAXホテルですが戻るのに電車で45分ほどかかりました。ちょっと遠すぎた(反省)。