2019年3月30日土曜日

金峯山寺、吉水神社

吉野は、2018年4月の桜鑑賞2018年11月の山上ケ岳登山に続く3回目になりますが、今までじっくり見ていなかった世界遺産の金峯山寺と吉水神社を中心にお参りすることにしました。

吉野駅から歩き始めて最初に出会うのが幣掛神社(しでかけじんじゃ)。お祀りしているのは速秋津比売神(ハヤアキヅヒメ)で、イザナミとイザナギが最初に産んだ神様(神生み)の一人です。夫のハヤアキヅヒコの間には多くの神が生まれましたが、この二柱の家系は主に水に関する神様達で、幣掛神社の湧き水に関係がありそうです。

ちなみに湧き水がどこにあるのかはわかりませんでした。


大峰奥駆道に向かう修験者が最初にここで役行者に無事を願う。


ヤマザクラもまだつぼみです。なので、観光客の数もそんなに多くはないです。


前まで止まっていたロープウェイが再開されました。乗り場は乗客が少し列になっていましたが、距離を考えると、乗っても乗らなくても大して変わりはありません。


カンヒザクラの種類でしょうか。きれいなピンク色に咲いています。


一方、下千本の様子はまだまだこんな感じです。



関屋地蔵。歯の地蔵さんだそうです。入歯の供養の箱が置いてありますが、中がどうなっているか考えるとおぞましいです。



銅の鳥居(かねのとりい)。大仏建立の際にあまった銅で造られたそうです。


金峯山寺(きんぷせんじ)です。外を見る限り大修理は去年の四月からあまり進捗していなさそうな。予定では2028年に完了するようです。20億円もの費用をかけての修理で寄付を募集されています。


これが金峯山寺の全体マップです。大峰山に行くには左から入って右に抜けていくのですが、下(西方向)には南朝妙法殿やその先には脳天大神龍王院があります。このあたりは時間の関係上訪れていませんが、脳天大神龍王とは蔵王権現が頭を割られた蛇に姿を変えて現れたと言われる頭脳の守護神だそうです。


ちなみに蔵王権現は、修験道の本尊であり、弥勒菩薩、千手観音、釈迦如来が合体した神で、日本独自の神だそうです。腰に片手をつけて怒髪天を突き、憤怒の形相をしているものすごく恐ろしそうな神。



20メートルを誇る仁王門の中にはいります。この両脇に仁王像があります。


この二体の仁王は南都の大仏師である康成が作ったと言われています。




これが本堂である蔵王堂。蔵王権現三体が祀られています。


これが3体の蔵王権現。大きさが異なるだけで同じです。実際には蔵王権現は一柱だけなのでしょうが、弥勒菩薩、釈迦如来、千手観音がそれぞれ権現となった様を表現されているのかもしれません。
蔵王堂の中の実際はこのようなライトアップはしていません。

この蔵王権現を感得したのが役行者なのです。ちなみに感得(かんとく)とは真理に目覚めること。


方形の隅に桜が植えられており、四本桜と言われています。もう少しすれば見事な景色になるのでしょう。




蔵王堂の横にあるのが天満宮です。梅と一緒に。


蔵王堂の境内から天満宮。桜もフレームに入りました。


ここ四本桜の場所は後醍醐天皇の皇子である大塔宮が鎌倉幕府の北条軍に攻められ落城の前に最後の酒宴をしたと言われています。
その後激しい戦いの果て、部下の村上義光らに助けられ、大塔宮は楠木正成の居る奈良の千早城に逃げて助かりました。


大塔宮こと護良親王(もりよししんのう)は吉川英治の太平記でもたびたび登場する武闘派(?)の皇子で、父、後醍醐天皇から離れて独自に軍を結成しては足利尊氏と反目しあいました。最後は後醍醐天皇にも見放され幽閉されて鎌倉幕府に殺されてしまいます。



さて金峯山寺を後にして中千本の方へ歩く途中、葛を売るお店がいろいろありますが、その内の一軒。「葛藤(つづらふじ)の根」とありますが、葛藤(かっとう)と同じ字です。これはつまり心理的につづらふじが絡まったような状態のことを言っているわけです。


吉野葛の作り方はこのサイトが一番詳しそうです。下の写真はサイトから拝借しましたが、葛藤(つづらふじ)の根にデンプンが含まれており、このようにミルク色をしています。それを粉砕しては濾してを繰り返し、白い粉になります。大雑把に言えば芋のようなものなのですが、吉野葛は涼味があり、体を温める作用もあるそうです。


さて、今度は途中にお寺がありました。東南院です。こちらも役行者の開基で1300年の歴史を誇ります。金峯山寺の巽(辰巳)、つまり東南に位置することから東南院の名前がついています。


ここでは満開のしだれ桜が楽しめました。




次にいよいよ、今回の第二の目的地である吉水神社(よしみずじんじゃ)に入ります。


門を入ってすぐのところに見晴らし台がありますが、中千本の様子は残念ながらまだこんな感じです。山の半分を桜の植林になっている分、ちょっと無残にも見えます。


横に写真がありました。満開時はこのようになるようです。もともと役行者が桜の木に蔵王権現を彫ったことから桜が御神木となり、次々と植林されていったのが吉野桜の発端です。


吉水神社は明治時代に神仏分離が行われる前は吉水院(よしみずいん)と呼ばれ、元々は修験宗の僧房でした。

秀吉が南朝を偲んで花見の宴をしたことでも有名です。秀吉の花見と言えば、醍醐の花見が有名ですが、こちらの花見はその3年前です。秀吉は醍醐の宴の半年後に病死しているので、こちらの花見も秀吉晩年の時になります。


中は特に撮影禁止と書いていなかったので遠慮がちに撮影しましたが、ここが後醍醐天皇の玉座です。秀吉が修理したそうですが、金箔の屏風絵が美しいです。


獅子落としがよい音を立てていました。


金峯山寺が遠くに見えますが、右の門は北闕門(ほっけつもん)と呼ばれ、後醍醐天皇が京都に向かって祈られた場所だそうです。ここで祈ると邪気が払われると言われており、山伏が九字(くじ)の邪気払いをしたそうです。



九字護身法(くじごしんぼう)は密教と道教が混然とした修験道の独自のものです。九つの印を結んだあとで、陰陽道の四縦五横にしたがって手刀で空を切って邪気を払います。





帰りに吉野のくずきりとコーヒーセットをいただきました。


2019年3月23日土曜日

摂津峡

摂津峡のハイキングにはいろいろなコースがあります。途中にあった案内板ですが、今回は一番距離の長い(E)の自然歩道コースを歩きます。正確には(A)渓谷コースの大部分も歩きます。

ブログを御覧になられる方に先に結論を言ってしまいますが、(E)コースの半分以上は林道で特に景色もなく、そんなに楽しいハイキングではありませんでした。


これが実際に歩いた軌跡になります。車で行ったので駐車場が起点と終点。


こちらが立体図です。大部分は山道になります。


上の口の駐車場に車を停めて、料金1000円を近くの漁業協会(?)に支払うとまずは渓谷沿いに歩きはじめます。

今回のコースの渓谷をはさんだ逆側にあるのが三好山(180m)で、そこにあったのが芥川山城で、大阪府下で飯盛山城と並ぶ最も規模の大きなお城だったそうです。
飯盛山城は今の大東市にあります。

解説には三好長慶が城主でした、と書いてありますが実際は戦国時代の間つねに争いの渦中にあり城主もころころと変わったようです。


これが芥川。摂津峡に来る人はほとんどが釣り目当てで、私のようなハイカーはほとんどいないようでした。




歩いてみると、京都で言うと、保津川か清滝を思わせる渓流が。


泥岩でしょうか。





ここから山に登るルートになります。ルート図でいうと(A)から(B)ルートへの替わる地点。



キャンプ場があるようです。


全ルートで景色が楽しめたのはこの地点だけでした。二本のノッポビルは高槻駅そばのジオタワーです。


キャンプ場を突っ切ろうとして道を間違えました。


ここから緑色の中腹自然林コースです。



自然林コースと言うだけあり、登山道っぽくて楽しくなってきます。


杉林の中を歩いていきます。


野球場がそばにあるらしく、「ファールボールに注意」の看板が。


ウッドデッキのコースはほんの一部でした。


東海自然歩道の地図。京都のポンポン山から北摂までつながっています。




車道から少し登りの登山道を進みます。


集落にでてきます。屋根も立派で、蔵がある家もあります。今瀧地区という50軒程度の集落のようだが、歴史を調べても見つかりませんでした。今は何で生計をたてておられるのでしょうか。


スイセンの花が咲いています。



萩谷(はぎたに)分校跡。1995年まで学校として運営していたようです。


犬の学校の看板。


邸宅といっていいほどの立派なお家と玄関。でも周囲にワンワンと犬の鳴き声が響き渡ります。周囲に家もなく、近所迷惑の心配もないところのビジネスとして目の付け所がよく、おかげで立派な家が立ったということなのでしょう。


何の花かわかりません。



ここから先はずうっと林道です。登山道だろうと思っていたので残念。お昼ごはんを食べるような休憩所もないので、途中でいつものオニギリx2+カップみそ汁にする。
2回、オフロードバイクで走っている人がいました。


今回、評判の山専ボトルを持っていきました。沸騰したお湯でいったん内部を温め、お湯を捨てたあと、再度お湯を投入することで、本当に熱々のままキープできます。
日帰りのカップヌードルや味噌汁ならこれだけで十分です。

なにより、火気厳禁と書かれている場所で、遠慮しながら、バーナーで湯沸かしをしなくていいのがよいです。



自然体験施設のようです。


芥川のマス釣り場に戻ってきました。石で川を区画分けしています。「放流」とは、どこかで採ってきた魚をこの場所に放流するということでしょうか?釣りが趣味でないのでわかりません。