2021年4月23日金曜日

【中山道】沓掛、追分、小田井、岩村田、塩名田、八幡、望月


今回の旅の最終日です。

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前日の沓掛の宿が素泊まりだったので、お腹もすいているし、朝風呂に入って朝7時に出立します。朝食は近くのコンビニでサンドイッチをほおばる。

軽井沢から西は、もうすっかり地方の町になっていて国道18号線沿いを歩くのですが、幹線道路だけあって結構な交通量です。群馬県を歩いていた時のようなのんびりした楽しさがなくなったのが残念です。


朝日を浴びた浅間山は山の輪郭がはっきりとわかります。この二日間で気温が高かったので頂上の雪もずいぶん減ったように見えます。



浅間神社。明治2年に浅間山が噴火しそうな気配を見せたので、明治天皇の勅祭(ちょくさい)が行われた。勅祭とは、天皇から使者が派遣される祭祀のこと。

結局噴火はしなかったのですが、天明の大飢饉のきっかけとなった1783年の大噴火の話を聞かされていて皆恐れていたのでしょう。


最も最近の爆発は1982年です。大規模な噴煙で都心にも火山灰が降りましたが、付近の民家に大きな被害はなかった模様。その後も数年おきに小規模な噴火は発生しています。

(jiji.comより)

登山ルートを見てみると、浅間山荘から標高差約1000メートルで往復8時間くらいの日帰り登山にちょうど良いコースで、以前は火口付近の前掛山山頂(2524m)までいけたのが、2021年3月に気象庁から噴火警戒レベル2に引き上げられて、賽の河原分岐より先は立ち入り禁止になったようです。

浅間山荘といえば、1972年の連合赤軍の立てこもり事件がありましたが、事件の舞台は、登山口の浅間山荘ではなく、JR軽井沢駅よりもさらに南にありました。

犯人達を殉教者として赤軍のヒーローにしないために全員生け捕りという方針で進めたこともあり、機動隊1500名が動員、重軽傷者26名、死者3名を出すという大事件になりました。


浅間山登山口に続く道と中山道の分岐点。


沓掛宿から4.8Km、このあたりが追分宿です。


ここは北国街道と中山道の分かれ道です。北国街道は敦賀と福井の間を歩いただけですが、いつか踏破してみたい街道です。


お地蔵さんの台に各地までの距離が書いてあります。京都まで93里、金毘羅山まで103里❗



浅間山が見えるかわいいケーキ屋さん。立ち寄ればよかった。


御代田(みよた)町に入ると、広大な平野が広がり、進行方向右には、雪をかぶった立山(3015m)が見えます。


さらに進行方向すこし左手には、穂高岳(3190m)が。


で、浅間山はまだ後ろに見えます。


大山神社。今回は急いで歩かないので、良さそうな神社仏閣は一つ一つ見るようにしています。これくらいのペースがベストです。


小田井宿が近づいてきました。時が止まったかのようなお店の看板に惹かれる。


小田井出身の女傑、安川ハルさんの「おはる地蔵」。髪を切って家を飛び出し、貧しい農家を助けるため人糞を肥料にするための釜炉を開発、その後、自分の血液で何百もの写経をされたそうです。


小田井宿の休憩所。ありがたく使わせていただきました。でも今日はとても気候が良いのであまり疲れていません。


追分宿から5.7Km、このあたりが小田井宿です。飯盛りのない宿で、おかげで婦女子の利用が多いことから「姫の宿」と呼ばれました。でも稼ぎ頭の飯盛り商売が無いせいで、お金を落としてくれず、ひなびた宿だったそうな。


ダブルの背広をイタリアン風に着こなす男。


龍雲寺。武田信玄の遺骨を納めた霊廟があるとか。


新幹線の佐久平駅が近くにあるので商店街になっています。
小田井宿から4.7Kmの岩村田宿です。


商店街を過ぎたこのあたりは、以前田畑だったのが、新幹線の駅のおかげで、新しい一戸建てが立ち並ぶようになったそうです(帰りのタクシー運転手さん談)。

家の敷地の外にポツンと置かれた道祖神さんがなにやら所在なさげです。


標高が高いので、冷涼な土地でよく育つリンゴ畑がありました。


リンゴの花が咲いています。今年はいつもよりも開花が早いそうです。


荘山(かかりやま)稲荷社。


百万遍供養塔。


スイセン。標高が高いのでまだ満開です。


庚申塔の下の土台は浅間山噴火の際の溶岩だそうです。


国の重要文化財になっている駒形神社。源頼朝が騎乗のまま通り過ぎようとしたらバチがあたって落馬したという伝説がある。


このあたりが塩名田宿。岩村田宿から5.6Km。


この千曲川(ちくまがわ)の手前あたりが中山道の雰囲気が残っていていい感じです。


このあたりにケヤキの大木があり、根元から大量の清水が湧き出したそうです。


中津橋を渡って千曲川を越えます。


千曲川の南には遠くに南アルプスが見えます。天狗岳(2646m)赤岳(2899m)かな?


中津橋を渡ったところに休憩所。浅間山を見ながらランチは、おにぎり2個となめこ汁。


八幡神社バス停が、古いまま保存してあって面白い。当時は、「パーマネントウェーブ」と略せずに言ったことがわかる。女性がパーマを楽しみだしたのは大正末からなので、昭和初期にかけての広告でしょう。


八幡神社。国の重要文化財。


格式を感じさせる社殿。


江戸時代らしいですが、木彫りの技術が高く、生きているようです。


塩名田宿から2.7Kmの八幡宿。宿場間が短いのでどんどん進みます。


珍しい宮廷貴族風の祝言像。祝言(しゅうげん)像とは、男女の婚礼の像で、女性が男性の盃にお酒を注いでいるものをいう。中山道歩きで初めて見たような。

ちなみに女性が持っているのは瓢箪で、瓢(ふくべ)と読みます。この他に、平たいやかんのような形をした提(ひさげ)のパターンもあるそうです。


もうすぐゴールの望月宿、というところで幹線道路から外れて瓜生坂を上ります。そこにあった一里塚跡。


この瓜生坂を下りたあたりも中山道の風情が残っていていい感じです。



鹿曲川(かくまがわ)を渡ります。千曲川(ちくまがわ)といい、読めない漢字を当てるのはまるで京都のようです。


八幡宿から3.9Kmで、今回の旅のゴールの望月宿に到着。連続歩行三日目で3.6万歩ですが、天候がよくて中山道らしい道だったので、ほとんど疲れはありません。


このあたりは電車の駅もバス停もなく、望月観光タクシーに電話をかけて、タクシーを呼びました。女性の運転手さんで、楽しく話をしながら、北陸新幹線の佐久平駅まで走ってもらって、そこから、新幹線を乗り継いで京都まで帰りました。

新幹線に乗ると、軽井沢駅から高崎駅までほぼトンネルの中を心地よいほどの乗り心地で風のように進みます

明治時代までは徒歩オンリーで、そこから歯車(アプト式)の蒸気機関車、電気機関車という歴史を歩いてみて、人間が築いてきた技術文明の進歩には驚くほかありません。

でも、これ以上はもう進歩しなくてもいい、とも思いました。

さて、次回は中山道のもう一つの難所、和田峠に挑む予定です。






2021年4月22日木曜日

【中山道】坂本、軽井沢、沓掛

二日目の今日は旅のメインイベントである碓氷峠に登ります。

<初日のブログはコチラ

宿で美味しい朝ごはんを食べて、お昼のお弁当も作ってもらって7時半に出立します。

丁須の頭(1057m)の急峻な山肌を見ながら歩き始めます。妙義山は難しい山なので、このあたりに住んでいる人たちのほとんどは登ったことがないのでしょう。毎日見ているのに危なくて登れないというのも残念な気がします。


すぐに碓氷の関所跡に出てきます。「入り鉄砲に出女」で有名な関所です。鉄砲が江戸に密輸されないようにすることと、人質になっている地方の大名の妻子が脱出しないようにという意味です。


案内板にあった当時の見取り図。残っているのは江戸側の東門で、当然ですが当時は道路を遮断するように位置していました。道幅四間四尺と書いてあるので、約8.5メートル。


関所跡から国道18号が北側の旧中山道ルートと、碓氷新道ルートに分岐します。
信越自動車道の下を通るところにある水神宮。田畑を潤す水の神様です。


坂本宿を通過。


一本道の中山道の先に見えるのが刎石山(はねいしやま)。後で出てきますが、柱状節理が多く見られ、まるで刀で石を切って刎ねたように見えることから山の名前が付いています。

碓氷峠越えルートは、刎石山を右に巻きながら登って行きます。


途中にあった八幡宮で無事に峠を越えられるようにお賽銭をあげる。


狛犬の顔が眠そうでなんともユーモラス。


国道から左にそれた非舗装の道が中山道ルートです。


獣害フェンスですが、電気柵になっているので、絶縁体の部分を握ってフックを外さなければ感電します

こんなパターンは今まで初めてでヒヤヒヤします。💧


行路は予想していた通りの山道で、無数の人々が踏みした切り通しの道で、整備されています。比叡山の雲母坂登山に似ているような。


山道の左上の見通しのよいところには以前、同心による番所があったそうです。関所以外にも目を光らせていたのですね。


これが刎石山の由来となった柱状節理が特に目立つ場所です。剥がれ落ちた平らな石が積み上げられたのが右です。

私も一つ積み上げておきましたが、ジェンガのゲームみたいに崩れないかちょっと怖かった。

妙義山を含めた碓氷峠は、古代におきた大規模な噴火による溶岩からできた火成岩(安山岩・玄武岩)が主要な地質になっています。


このあたりに上り地蔵下り地蔵という二体の地蔵があったそうですが、見当たりません。よく見ると、台座のような石があったので、たぶんこの上にあったような気がします。


ここが覗(のぞき)と呼ばれる場所で、坂本宿から刎石山への一本道の全貌が見えます。昔の旅人達は灯がともった宿を見て、もう一息と、励ましあったことでしょう。


ここは風穴と言われる場所で、溶岩から発生する水蒸気が噴出するそうです。こわごわと耳を近づけてみましたが、「暗黒の無音」とも言うべき気を感じました。


弘法の井戸という名の湧き水。弘法大師がここを掘れと言ったという井戸は、いったい全国にいくつあることやら。でも澄んでいて飲めそうな気がします。


このあたりは、四軒茶屋と言われる平地。「わらび餅でも食べて一息いれなされ」なんて声を想像していました。


坂の連続が終わったあたりにしっかりした休憩所がありました。少し休みます。


掘り切り」と言われる場所。小田原攻めのために攻めてくる豊臣秀吉勢に対して防戦のためにわざと脇を崩して道を細くしたそうです。

それでも豊臣勢の勢いにやられてしまいましたが。


明治天皇が徒歩で碓氷峠を歩いた(御巡幸)前に、見回りの警察の屯所(とんしょ)がつくられた場所。


かなり登ってきました。遠くに妙義山の尖塔が見えます。


廃屋が出てきました。横には「千曲自動車株式会社」と書かれたバスが放置されています。
どうやら東京オリンピック以前の1960年代前半の観光事業の一環として開発されかけたところで終わってしまったのでしょう。


建てられてあまり使われないまま廃屋になってしまったもようです。廃墟好きなので、中をのぞいてみましたが崩れ落ちそうだったのですぐに離れました。


😱一つ家跡😱ここには老婆がいて旅人を苦しめた」と書いてあります。山姥(やまんば)伝説は日本中にあるのでしょうが、場所を特定しているのは珍しい。


この分岐の右部分は、皇女和宮の嫁入りの際に、少しでも歩きやすい道を作ったルート。今回は、オリジナル中山道を進みます。武田勢と上杉勢が戦闘した場所でもある。


水場が出てきました。熊野神社が近づいてきたので、旅人はこの水で顔を洗って身だしなみを整えたことから、「化粧水」と呼ばれています。


峠道が終わり、車道にでてきました。


熊野神社で、無事に峠を越えられたことに感謝。


神社からの眺めです。標高1200メートルの高さを感じさせる景色です。


軽井沢に来たと感じさせる別荘群が出てきました。中山道に近いあたりが、明治時代に最初に開発された別荘地で、昭和になるに従って西へ広がっていきます。


何やら秘密基地のような別荘。


ここからしばらく旧中山道は再び非舗装地になりますが、意外に整備されておらず、本で確認しながら歩きますが、再び舗装道路に戻ります。

これは二手橋(にてばし)。軽井沢宿で飯盛女と一夜を楽しんだ旅人は、この橋まで飯盛女に見送られたそうです。「また来てね~💓」とか言って手を振っていたのでしょう。


こちらが「ショーハウス」。SHOWではなくて、SHAWです。宣教師だったショーは、福沢諭吉の子供の英語教師として名を成しました。たまたま療養に訪れた軽井沢に魅了されて別荘を持ったことから外国人の間で軽井沢が有名になり、「軽井沢=別荘地」という風になったそうです。

ちょうどこの頃(明治20年頃)に中山道の南に碓氷新道が作られて馬や車が走り始め、中山道ルートを通る人が減っていきます。軽井沢も、火山灰の土質のせいで農業にも適さず、へき地のようになりかけたところで、ショーさんのおかげで高級別荘地として生まれ変わるというわけです。


旧軽井沢の商店街です。


旧軽井沢を感じさせるメルヘンチックな電話ボックス。標高1000メートルだけあって、今が桜の満開時期です。


六本辻でここが軽井沢宿です。交差点でなくてロータリーになっているところが、西洋風です。


雲場池(くもばいけ)。浅間山の湧き水をせき止めた人工池です。こういった風光明媚な池の周りも、公共の市民向けというより大きな私有地で区切られているのが、西洋の別荘地を感じさせます。


この方向に浅間山が鎮座しているはずなのですが、見えません。


近衛文麿別荘。


しなの鉄道の鉄路の向こうに浅間山の全貌が現れました。中山道の旅は、山好きにはこたえられません。


さくらとセットで浅間山。


中軽井沢の駅舎です。近代的で洒落てます。このあたりが沓掛宿です。軽井沢宿と沓掛宿の間は4キロしかないのですぐでした。


美しい浅間山の写真をいくつか。



今日は「ゆうすげ温泉旅館」という宿に泊まります。あまりきれいな宿ではないですが、24時間源泉かけ流しが疲れた体にはありがたいです。


おひとり様には素泊まりプランしかなく、周りに食べるところもないので、夕食はカップヌードル鶏白湯味。残念ながらあまり美味しくなかった😑

昨日御馳走だったから、まぁいいか。。。


次は三日目に続きます>>