2017年9月24日日曜日

音羽山

今読んでいる吉川英治の新平家物語で、平清盛との戦いで敗れた源義朝の愛人、常盤(ときわ)が、牛若(後の源義経)をはじめ3人の乳児を抱えて隠れたという音羽山に行きたくなりました。

京阪の追分駅で下車します。洛中からは東西線と接続しているので一本で行けます。ただ、多くの便は六地蔵方面へ行くので、追分駅へは浜大津線接続の東西線に乗ります。一時間に二本程。




この辺りは名神高速道路の京都東インターなので、ややこしいです。音羽山は名神の反対側にあるので、高架をくぐります。



しばらく静かな住宅街を歩いていると、山が見えてきます。音羽山か、と思いましたが、これはまだ音羽山の手前の行者ケ森です。音羽山は昔は「小山」と呼ばれていたそうで、このあたりの町名は、小山〇〇町という風になっています。双ヶ岡ならまだしも、音羽山は一応593mあるので、低山ですが小山というより立派な山です。



左にいくと音羽山、右に行くと醍醐山の石標。近いうちに醍醐山も行きたいです。


ムクゲがきれいに咲いています。



徐々に住宅が少なくなります。



青と紫のコンビの素晴らしくきれいな朝顔。アルバアサガオという種類らしい。熱帯アメリカ原産で日本ですでに野生化している。



水車小屋がありました。なかなかうまく撮影できた。
中でコトコトうごいていますが、特に何かに使っているわけではなさそう。



このあたりはいろんなコースがあるのですね。


今回のコースは一番下のコースに近いです。どのコースも牛尾観音経由になっています。


沢沿いの舗装された道路沿いを歩きます。とても歩きやすいですが、時々自動車が通ります。下は「蛙石」という名前がついています。たしかに太った蛙っぽい。


紅葉のシーズンはさぞかしきれいでしょう。


かなり先まで舗装道路が続きます。


これは龍の滝(?)だったかな。




平らな場所にでます。桜の馬場という名前がついています。


ここから先が牛尾観音です。


かなり長い段々が続きます。こういうときはあまり先の方をみないで、足元を一歩ずつ歩いているといつのまにか到着するのです。人生と同じ、なんちゃって。



牛尾観音に到着。ここは、奈良時代の後期に延鎮(えんちん)上人によって建てられたのが発端といいます。奈良時代の仏教は修験道と密接にかかわっており、平安時代のようなきらびやかさはないです。



こちらが延鎮上人。清水寺の原型を作ったのもこの方です。その後、牛尾観音は清水寺の奥の院と呼ばれるようになりました。でも奥の院というには、間に山科が広がっているので場所が離れすぎていますが。その後立派な清水寺を立てたのは坂上田村麻呂、でも延暦寺と興福寺の格付けのケンカが発端となった争いで、興福寺と同じ藤原家系列だった清水寺は叡山のバカ法師どもに火をつけられて灰と化します。この辺の話も新平家物語に載っています。

今の清水寺は徳川家光が再築したので、500年以上、清水寺は存在しなかったことになります。



境内にある掲示板にあった新聞記事。ムササビ君が、鳥の巣に住んじゃった。


これが鳥の巣ですが、あいにくムササビ君はいませんでした。



お寺の裏手にまわると、「修行出来ます」の札が。


中に入ると打ち水が出てくる仕掛けが。そして不動明王の石像がある。
これはお寺の人に言うと水を出してくれるのでしょうか?沢の水であれば、なぜ普段は止めているのでしょう?水道水だったらいやだな。

ちなみに着替える場所もあり、お札の裏は、「修行中です」と書かれています。まるで貸し切り露天風呂。


西国三十三所の一覧が書いてありますが、牛尾観音はありません。清水寺の奥の院ということで、三十三の一つということなのでしょう。



そこから上に上がっていきます。


高度計を見るとあと、100m足らず。



頂上の手前。ベンチとテーブルがありました。

「秋風の 吹きにし日より 音羽山 峰のこずえも 色つきにけり」

紀貫之の歌です。「峰のこずえ」とは、山の頂上の木の枝の先。そんなところまでびっしりと紅葉している、という歌です。是非、もう一度紅葉の時期に行きたい。 




頂上はわりと広々としています。あいにく鉄塔が立っていて、電線が景色の邪魔をしています。



想像以上に素晴らしい景色にビックリ。パノラマモードですが、右手に琵琶湖、左手には山科から稲荷山を越えて、京都市内の先のポンポン山まで見えます。

京都中心部を代表するオールスターの山々が全て見えて、さらに琵琶湖もついてくるという、ベストスポットではないでしょうか!



大津市内が見えます。左手から比叡山、奥にうっすら見えているのが蓬莱山。


山科の奥までびっしりと住宅が。四ノ宮という地域のようですが、行ったことがない。


すこし角度を変えると、大文字山から比叡山が見えます。



こちらは山科全域。京都市内との境に、稲荷山と清水山等々が見えます。その向こうの京都市内の先には、左にポンポン山、右に愛宕山。


これは稲荷山のズーム。日曜日の朝に通っている東山テニススクール。


素晴らしい景色を見ながら弁当を食べ終わると下山です。同じ道を戻るのも面白くないので、頂上を縦走して山の内部を進みます。

が、道がよくわかりません。新しめの赤テープを目当てに降りていきます。


鉄塔があり、名神が近くに見えました。そこからさらに赤テープを目安に降りて行ったのですが、途中で、木と木の間にテープが渡されています。これは「ここから先へは行くな」のサインだと認識し、引き返しました。その場所はちょうどプラスティックの段々が置かれていたので、道に間違いないと思ったのですが、土砂崩れでもしたのでしょうか。


かなり上まで戻るのが結構つらかったですが、ヤマレコのアプリとGPSのおかげでメインルートに戻ることができました。そこには、別の赤テープが。このテープはとても新しく見えるので、迂回ルートなのかも。整備された段々もなく、そこそこ傾斜が強いので、カリマーのストックを登場させました。


ここの標識は、こんなちっちゃなカードになっています。小さいからかえって長持ちするのかな。

でも、自分が歩いている道が、西尾根コースだということが初めてわかりました。
このマークは、山科ハイキングクラブのマークで、そこのページが一番分かりやすいです。西尾根コースは「中級」になっています。


中級だけあって、ロープが渡されているような箇所がありますが、そんなに危なくはありません。


鉄塔の先を見ると随分降りてきました。


斜面は下の鉄橋で終わりのようです。



この先を進んでいくと、行きの際に見たハイキングコース周遊案内図のところに出てきます。行きの牛尾観音コースが舗装されていて歩きやすいのに比べ、西尾根コースは、なかなか登山気分を味わえるのですが、見せ場があまりないコースなので、今回二つのコースを辿れてよかったです。

しかになにより、音羽山からの景色はすばらしくよかったので他の人達にも是非おすすめしたいです。


2017年9月18日月曜日

中山道 加納宿~赤坂宿

一か月半ぶりの中山道です。前回は猛暑で汗ダクになりながら歩きましたが、本日は秋の気配がただよう気持ちの良い青空です。JR岐阜駅からスタートです。




駅から南に少し歩くと旧中山道にでます。お馴染みの秋葉神社。



鏡島追分(かがしまおいわけ)。



ここは中山道と岐阜街道の分岐点です。岐阜街道は今の名古屋方面へ向かうルートです。





鏡島湊(かがしまみなと)。岐阜城の城下町がこの辺りにあり、伊勢湾から運搬される船荷はここでしか荷揚げしてはならないことになっていたそうです。



長良川の土手に上がります。向こうに見えている三角形の山が金華山で、頂上に岐阜城があります。



長良川は水幅は木曽川に比べればずっと狭いけれど土の部分が広く、橋はかなり長い。



長良川の水面です。下の草むらの端に鳥がいます。


アップしてみました。サギがな?こういう生き物が住んでいるというのも歩かないと気がつかないのです。



北方向を見ると右手に金華山。ずっと奥には御嶽山があるはずですが、わかりませんね。



長良川をこえてすぐに左に折れ、堤防沿いを歩きます。



この先が河渡(かわど)の渡しの船着き場だったそうです。


馬頭観音堂。



河渡宿(こうどじゅく)。これ以外なにも残っていない寂しい宿です。


本田代官所跡。



代官所はいまでいうお役所のようなものでしょうか。悪代官とかよく時代劇で出てきますが、権力は今のお役所よりもあったのでしょう。



オーソニガラム。これも9月の花です。



五六川(ごろくがわ)。美江寺(みえじ)宿が江戸から56番目の宿場だったからです。でもなんでここだけそんな名前を付けるのか。





美江神社(みえじんじゃ)。


ここの宿場跡も何もなく寂しい。






彼岸花(ヒガンバナ)。9月中旬に花をつけるということで、今回道中の道すがら頻繁に楽しませていただきました。



このように田んぼの端々に彼岸花を植えるのには意味があり、球根が毒性を持つため、モグラやネズミが近づくのを防ぐのと、根が強く張るために土手を強化する二つの意味があるそうです。自然の力でお米が元気に育つし、目にも麗しいし、こういうコラボレーションをどんどん増やしてもらいたいです。


柿です。まだ熟していませんが、秋の訪れを感じさせますねー。


揖斐川(いびがわ)を渡ります。


旧揖斐川と書いてありますが、今が揖斐川で、昔の呼び名が呂久川。ここも渡しがあったとのこと。



小簾紅園(おずこうえん)。ここで彼岸花をみながらちょっと一息。


歩き出すと再び彼岸花。


進んでいくと何やらピラミッドのような山が見えてきました。あれはいったい何?


GoogleMapの画像です。この山は金生山(きんしょうざん)という名前で、石灰と大理石がとれるので、江戸時代どんどん採掘されてこんな無残な姿になってしまったようです。上に明星輪寺(みょうじょうりんじ)というお寺があるのですが、すぐそばまで削られてしまっています。石灰はコンクリートの原料になるので削られた山はビルに変わっていくのですね。


白山神社。


大垣道と中山道の分岐地点。


この杭瀬川では我が国最大のゲンジボタルがいるそうです。大垣市の天然記念物。でもこのオブジェはちょっとゴ◎△リのように見えます。


赤坂宿に到着。



広重の浮世絵「赤坂」


今回の中山道の旅は全部が舗装道路で、見どころも少なく正直あまり面白くありませんでした。そばにあったJRの駅、美濃赤坂駅で電車を待ちます。


東海道本線の支線ということですが、無人で、キップ売り場もICOCAの装置もありません。



乗客は10人程度。あきらかに不採算路線です。ここから大垣駅までたったの二駅。結局京都までキップは買えず、京都駅で自己申告で精算しました。