2021年3月23日火曜日

【なりひら桜】十輪寺・【西行桜】勝持寺

京都の桜名所を紹介する前に、登山テーマのブログとしてとりあげたく。

2月に着陸したアメリカの火星探査機が送ってきた映像をベースにした番組がNHKでありました。

火星のオリンポス山は、太陽系で一番高い山(2万1千メートル)なのです。

直径550kmなので大体、北海道と同じ大きさです。

登れたら面白いだろうなと思いました。重力が地球の三分の一なので宇宙服がうっとおしいけどなんとかやれるかな?


上の画像は、Google Marsから引用しましたが、下が今回NHKで放送していたオリンポス山の高精細画像です。5メートル精度の画像が火星から送られてきたというから驚きです。

断崖絶壁が特徴的で、この断崖の高さだけで8千メートルあるので、ほぼエベレストの標高分だけあります。


アートにしてもいいほど美しいのが、北極冠と呼ばれる、二酸化炭素が凍ってドライアイス状になっている部分の映像です。


火星といえば、シュワちゃんとバーホーベン監督の「トータル・リコール」を思い出します。これもオリンポス山なのでしょうか。火星の月にあたるフォボスとダイモスが並んでいて美しい。


さて、本題の戻って、今回は京都の桜の名所の、なりひら桜の十輪寺と、西行桜の勝持寺(しょうじじ)を訪ねます。

その後、たけのこ料理で有名な筍亭(じゅんてい)でランチをします。

このあたり、桂川より西の、亀岡に向かう老ノ坂から下に広がる地域を「大原野」と呼びます。


まずは十輪寺です。平安時代の初期、源氏の祖である清和天皇に関連したお寺です。


香水のようないい匂いがすると思い見てみると、沈丁花(ジンチョウゲ)の花が咲いています。


境内に入ってすぐ目に入るのが、お寺の屋根を覆いかぶさるかの如く咲き誇る「なりひら桜」。樹齢200年位だそうです。

「なりひら」のいわれは、このお寺に六歌仙の一人、在原業平(ありわらのなりひら)が晩年、隠棲していたからです。


在原業平は、このお寺が建立されるきっかけとなった清和天皇の皇后である藤原高子(こうし)と恋愛関係にあったと言われています。

これは江戸時代の浮世絵ですが、平安時代に書かれた作者不明の伊勢物語を元にしており、恋愛関係にあった高子が、25歳にして宮中に入内することとなり、居ても立っても居られなくなった業平が、月夜に高子をさらうシーンです。

容姿端麗で歌詠みの業平にさらわれて、高子も夢心地の表情です。

結局、高子の兄に見つかって激怒されてしまったそうですが。


高子をさらう決断をする前に業平が詠んだ歌が、

月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして

高子が行ってしまって、月も春もいつもと違って感じるのに、自分一人だけはこうして悶々としていて辛いなぁ、といった感じでしょうか。

いつもと同じ春、同じ桜だけれど、どう感じるかは、毎年の自分の状況で変わるものです。


樹齢800年のクスノキの神木。


本堂の中庭。復元された襖絵と垂れ下がる桜が見事。


本堂奥の部屋から見上げた桜。




裏の高台に登る階段があり、上からも、なりひら桜の美しさを味わうことができます。


業平が築いたとされる塩釜を復元したものがあります。11月には、塩釜清め祭が行われるそうで、御利益があるとされる立ち上る煙にあたりに参拝者が来られるようです。

当時は海水を人力で砂浜に運んで、塩分がたっぷり浸み込んだ砂を煮詰めて塩を作ったのですが、業平は、難波から運んだ砂をここで煮詰めて、恋愛成就できなかった高子に思いを寄せたと伝えられていますが、個人的に、かなり信憑性の薄い話に感じます。近くに小塩山があるので、それに引っかけただけかも知れません。


業平の墓もあります。お墓というより記念碑的なものでしょうか。



さて、お次は少し北へ移動して、勝持寺(しょうじじ)を訪ねます。
願徳寺前の駐車場に停めて、5分ほど坂を上ると仁王門がでてきます。この仁王門を除き、全ては応仁の乱で焼失後に再建されたものです。

役行者が創建、伝教大師最澄が再建したと寺伝にはあるそうです。


途中にあった竹林。墓地になっています。


勝持寺は小塩山(642m)のふもとにあります。


石段をあがると、めざす桜のある南門です。


鐘撞堂の横に舞い上がるように立っているのが西行桜です。

西行法師(さいぎょうほうし)は、吉川英治の新平家物語で読みましたが、平清盛の知人で、世をはかなみ、泣きすがる家族を蹴飛ばして近衛兵の身分を捨てて出家した人物です。

この勝持寺で断髪して出家し、植えた一株の桜に、「西行桜」の名が付いたそうです。現役の西行桜は今風のソメイヨシノですが、当時はヤマザクラだったのでしょう。



吉野山の奥千本にも西行庵がありましたが、”西行&桜”のセットものは、室町時代の世阿弥作の「西行桜」が元になっています。

西行桜の話は、

桜の木のそばに庵を結んだ西行は、桜見物に多くの人々が集まるせいで静寂を乱され、「人が集まるのは桜の咎(とが)じゃ」と歌に詠んだところ、夜に老桜の精が現れ、「桜の咎とは何事じゃ!桜には何の罪もないわい」と怒り、舞をまった、という話です。

人間というものは気持ちの持ち方次第で、見ている景色が変わる」というところで、何やら先ほどの業平の歌に通じるものがあります。

(毎日新聞サイトより)

西行桜の他にも多くの桜が咲き誇っていました。




桜の樹皮も、さびの情緒があって良いものです。


さて、大原野の二か所の桜の名所を訪ねたあとは、たけのこ料理を食べに筍亭(じゅんてい)に行きました。

沓掛ICのそばにある大枝塚原町にある筍畑で朝採りしたタケノコだそうで、大変美味でした。旬の季節以外は風味を落とさず冷凍したタケノコを使っているそうですが、やはり採りたてを食するのは良いものです。


こちらの料理屋さんは、天鏡院というお寺と一体となっていて、桜の名所でもあります。

食後に本館を出てすぐの遊歩道を歩いてみると、まだ満開には至っていないようですが、美しい景色が楽しめました。


この冬はツバキが良く咲いた年らしく、どこに行ってもよく見かけましたが、こちらのツバキの花は特大です。


これは多分、寒緋桜(カンヒザクラ)。紅色が強めで、小さくて花弁が下に垂れ下がるのが特徴。


今年も桜を堪能したあとは帰路につきました。いや~、四季があるって本当にいいですね。




2021年3月20日土曜日

【丹波篠山】白髪岳

 桜の季節の到来です。体の筋肉が緩んできて気持ちも朗らかになってきます。

京都御所の近衛邸跡に行くと、しだれ桜が満開になっています(写真はiPhone)。緊急事態宣言が解除されましたが、例年に比べると人手が少なくベンチに座ってゆっくり鑑賞できるのはありがたいです。


さて、今回は丹波篠山で人気の関西百名山の一つである白髪岳(しらがだけ)に前の会社の友達たちと登ります。

篠山城跡から南西の方角で車で20分ほどの距離です。JRの古市駅からもアクセス可能なようです。

ルートですが、住山地区の空き地に駐車して白髪岳に登頂し、そこから右に周回して、もう一つの山である高尾山に登ります。歴史的には高雄山の方が意味深い山で、周辺の史跡を辿りながら不動の滝を観てから元の位置に戻ります。


こちらが詳細なルートです。駐車場から長い林道が続きます。白髪岳頂上手前に岩場地帯がありますが、注意して登ればこわくはありません。頂上から先はとても歩きやすい道なので初心者でも楽しめる登山ルートだと思います。

歩行距離約9Km、標高差約450mで所要時間は4時間半でした。


駐車ポイントは7、8台程度が停められる場所です。土曜日だったので9時前でしたがすでに3台ほど停まっていました。


今回は久しぶりの4人のパーティーです。



さきほどの写真の案内版です。道路の先から白髪岳の登山口までの林道を「ワン谷」林道と呼ぶようです。桜はまだつぼみでしたが、案内版にあるワン谷の桜は名所のようです。


「ワン谷」とは何だろうと話しながら歩いていましたが、ワンコではなく、鰐(わん)谷でした。鰐はワニの漢字なのですが、こんなところにワニが出たはずもありません。

調べてみるとワニが付く地名は、粘土質の赤土を現す「ハニ」から「ワニ」に変化したというのが通説のようです。この近くには丹波焼の中心地であったことを考えると赤土説で間違いないと思います。

一般的に神様の名前と同様、地名は非常に当て字が多く、漢字に意味がないことが多いのです。「夜露死苦」みたいなもんです。

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丹波篠山のサイトにこのあたりの住山地区の昔話を見つけました。ワン谷の猟師が自分が鉄砲で撃った雌鹿が死ぬ間際に苦しみながら小鹿を生んだのを見て、猟師を辞める決意をして小鹿を育てたという泣ける話です。

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登山口からは一気に300メートルほど急坂を登って行きますが、ジグザグに整備されているので歩きやすいです。


駐車場からは隠れて見えなかった白髪岳が見えてきました。


関西100名山の人気の山だけあって整備された道は歩きやすい。


...と思いきや、頂上にかなり近づいたあたりで岩場が現れます。


写真で見るとオソロしそうに見えますが、岩の突起に手で掴める場所が多いので比較的安心して登れます。



このあたりが一番の岩場。注意して進みます。


連なる岩場の向こうは神戸です。うっすら見えるのは六甲山だと思います。


白髪岳山頂に到着。頂上は広くて、全方向に視界が広がります。多紀連山も端から端まで見渡せました。天気の良い日は瀬戸内海まで見えるそうです。


記念写真。


少し休憩したら、さっそく松尾山に向けて周回コースを進みます。両側にしっかりとロープが張られています。


途中に水山という名前の頂点を越えます。689mなので松尾山よりも高いのですが、白髪岳から近すぎるのか名前は売れていないようです。

松尾山に行く手前に、登山口のワン谷へのショートカットがありました。このルートなら岩場を行かないで白髪岳山頂に行けますね。


振り返ると白髪岳頂上が見えます。形がよいので丹波富士とも呼ばれるそうですが、明智光秀の八上城(やかみじょう)で有名な高城山のほうが丹波富士としては有名ではないかと思います。

山頂の岩場が白く光ったので白髪岳と言われるようになったのかな、と想像します。


尾根の廊下。


尾根沿いでなく白髪岳と松尾山を一直線に結ぶルートとの十字路である「鐘掛の辻」。丹波篠山では修験者が多かったので、大峰山の難所である鐘掛岩を意識したのかも知れません。


80メートルほど登れば山頂です。岩場もなく歩きやすい。


松尾山山頂に到着しました。12時前ですがランチにします。どん兵衛カレーが美味い。


こちらの山頂は白髪岳の山頂よりも広々としていますが、ここには城があったのです。

酒井氏は応仁の乱の後に丹波で勢力を誇りましたが、その後波多野氏に敗れて波多野氏の傘下で存続しますが、明智光秀の丹波攻めの際には、より攻められにくい山頂に城を築いたとのことです。それでも酒井氏は、結局は波多野氏と同時に光秀に滅ぼされてしまいます。


千年杉という名のついた二本ペアの杉の巨木


巨大な岩石が外に突き出しています。「仙の岩」と書かれていますが、「XXの覗き」のように修験者が修行に使っていたのかも知れません。


撮ってもらいました。もうちょっと先まで行けたのですがこの辺で。


岩が多いですが比較的歩きやすいです。とても楽しそうなN氏。


「卵塔群」と呼ばれる場所に出てきました。


こういった卵形の墓石を「無縫塔(むほうとう)」と呼び、僧侶の墓として使われたそうです。


愛宕堂と書かれた祠。


途中に高仙寺本堂跡に出てきました。さきほどの卵塔群は、こちらのお寺の僧侶の墓だったのでしょう。


本堂の基礎が残っています。この場所にあったのが本堂(七堂伽藍)ですが、ここ以外にも26の坊舎(僧侶が住む場所)があったらしいのでかなり大きなお寺だったのでしょう。


「大化元年に法道仙人が開基」と書いてありますが、あの大化の改新の大化は、日本の元号の一番最初ですので、かなり神話に近いです。


法道仙人という名前は初めて耳にしましたが、インド人で雲に乗って日本に渡ってこられたそうです。主に瀬戸内寄りの近畿地方で名前が聞かれるようです。


ここからは最後の名所である不動の滝に向かいます。すこしロープ場がありますが、特に難しくはありません。先日行った筱見四十八滝の方がスリリングでした。


こちらが不動の滝。

ここ数日雨が少なかったせいもあり、水量は少なかったのですが、不動の滝の名の通り、雄々しい姿です。


しばらく行くと林道に出ます。


林道沿いに、和紙や紙幣の原料になるミツマタの大群が黄色い花を咲かせていました。いまでも紙幣の原料として活躍していますが、残念ながら、ほとんどはネパール産になっているようです。