2017年5月7日日曜日

中山道 大湫宿~伏見宿

前回2017年3月18日に大湫宿を出発した瞬間にぎっくり腰になり、細久手宿の大黒屋さんに宿泊しただけで帰った(ブログはこちら)ので、今回は約一か月半ぶりのリベンジとなりました。

安藤広重のタイトルは大湫宿ではなく大久手宿になっている。どちらでもよいそうです。


前回の中山道歩きは主にスマホのGoogleMapだったのだが、今回Amazonでこちらの本を買いました。ちょうどよい大きさと薄さで持ち歩きがとてもしやすいです。街道沿いにあるお地蔵さんなどの史跡について簡潔明瞭に説明しているほか、迷いそうな部分は「江戸方面からは右に曲がる」など書いてあるのでとても便利でした。でもそれでも二度ほど間違えましたがそういうときはやはりGoogleMapが役に立ちますね。


さて大湫宿からしばらく車道を歩いていると突如石畳みの路が現れます。「待ってました!」の気分です。



琵琶峠東入口と書いてあります。峠と言っても標高80mなので全然平気です。700mもの石畳は瑞浪市(みずなみ)が復元したそうです。でもこの石畳、見栄えはいいんですが、足をくじきそうであまり歩きやすくはないです。雨の日とかはいいのかな?



中山道を歩いているとよく馬頭観音の石像があります。馬頭観音は六観音のうちの一人で、千手観音と並列なのでものすごく位の高い仏様で、もともとはヒンドゥーの最高神の一人ヴィシュヌ神なのですが、日本ではお顔の上にチョコンと馬の頭が乗っかったユーモラスで親しみやすいお姿で旅の馬の加護をしてくれています。日本って昔からなんでもユルキャラにしてしまうんですね。



上の二つの小さなかわいいのは名前がわかりません。左下はツルニチニチソウ(蔓日々草)。右下はツバキかな?ちょっと季節が違うような気がしますが。



弁財天の池がありました。下が弁財天様の石像ですが、弁財天も馬頭観音と同様、オリジナルはヒンドゥーの神で、琵琶の名手サラスヴァティーだそうです。水に関連した神様ということで、手が4本あります。石像も楽器を持っているようにも見えますが、手が複数あるのは見て取れますね。



弁財天の池はカキツバタで有名ということですが、若干時期が早くまだ花は咲いていません。でも青葉だけでも十分美しいです。



中山道から少し入ったところにコーヒーショップがありました。WEEKENDという名前で、週末のみの営業、平日は食事の予約制だそうです。店内を撮るのを忘れましたがご自宅も兼ねておられて、山小屋っぽい快適な空間でした。家を建てて井戸を掘って口に入れるものはすべて井戸水を使っておられるそうです。水道水は塩素臭くて飲めないとおっしゃっていました。確かにコーヒーはおいしかった。



この盛った土は何?と思いましたが、これが一里塚と呼ばれるものなんですね。一里塚とはよく聞いていましたが、本当に塚になっていたとは知らなかった。昔は榎が植えられていて日蔭で休息できるようにするのと、張った根で塚の崩壊を防いだそうです。



細久手宿にある細久手庚申堂(こうしんどう)。江戸時代後半に建てられたもの。

このあたりから車の爆音が聞こえてきます。サーキットがそばにあり爆走マニアが集まってくるのです。昔の街道をうぐいすの声を楽しみながらゆっくりと歩く旅人とは全く相いれない存在です。以前コルベットに乗っていた私としては何とも言えませんが、やはり自然の良さがわかるようになるには時間がかかるのでしょう。



三徳山の投入堂でも見た修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)の石像があります。庚申さまとは、密教や道教などが合わさった古代からの信仰で、山奥に籠って修行するような信仰生活だったので役行者がいるのでしょう。でも投入堂ならともかく旅人が一休みするような宿のそばに何故あるのでしょうか?



ここからは細久手宿の様子がよくわかります。



江戸時代の細久手宿の町並みが書いてありました。この日は大黒屋さんに宿泊。大黒屋さんは前回の訪問の際に記事にしたので、そちらをご覧ください。前回同様、心のこもったあたたかい対応をしていただきました。



さて翌日、細久手宿から御嶽宿(みたけじゅく)に向けて歩き始めました。車道なので歩きやすいのですがつまらないな、と思っていると山道に入ります。



竹が多く生育しています。



さらに藤がいたるところに花を咲かせています。藤棚はいろいろ見ましたが自然にこれだけ咲いている藤を見るのは初めてです。贅沢な気分。



山内嘉助屋敷跡。建物は存在しないけれど、かなり立派な石垣が残っている。このようなところにここまで立派な屋敷があったのかと思うと中山道を流通路として商業が潤っていたのだなと感じた。



とても癒される田園風景。農家の人々がきれいに環境を維持されています。


突然現れた謎の構造物。この白いのは飼料か何かをいれるプラスティック製のものをひっくり返して物置のように使っているもの。「整田碑」という石碑があり、それによると自分が徴兵に行って死んだあと家族が自給自足ができるように作物、魚の養殖、鶏小屋などを作ったということ。



和宮様一行の休憩のために設立されたといわれる御殿場跡のそばに、ケーキ屋さんがあった。「ラ・プロヴァンス」という名前でハーブ園もある。車でアクセスできるので、かなりの人がおしゃれなカフェでケーキを食べに来ていた。コーヒーでももらおうかと思ったら順番待ち。こういうカフェがあるのはいいんだけれど、車でここにだけ来てケーキを食べて帰るというのもどうかな?と思った。



旅人が歌を歌って辛さを紛らわしたことから謡坂といわれる坂があり、そこに沸いているのが唱清水。清水とは、澄んだ湧き水のことをいい、湧き水は、地中から噴出する水の水圧と大気圧がちょうど地表のすこし上で平衡になるという特殊条件を満たす場合にのみ発生する自然現象。もしも水圧のほうが高ければ、どんどん噴出して川になる。



ココだけ見ると京都天龍寺の竹林のようです。



こちらも清水です。清水は、飲んだ分だけまた地中から補充されるので、まるで山の神様が恵んでくれたように見えたのでしょう。昔は馬やら人やらどんどん飲んでどんどん地下から湧いてきたから水も新鮮だったのでしょうが、今はそうではないので、残念ながらいまは飲料としては不可になっています。



安藤広重の木曾海道御嵩宿の浮世絵のまさにその場所です。旅人たちの語らいが聞こえてきそう。いいなぁ。今は何もない空間だけがひっそりと。


いい感じの石畳の路です。



耳神社。昔大工さんが神様にお祈りしたら耳が聞こえるようになったので、お礼に錐をお供えしたということから、いまでも錐(のようなもの)がお供えされています。昔話が書かれた一枚ものがタッパーに入って置いてあるところが村の人の心が伝わってきます。



恋多き歌人、和泉式部の墓所。でも和泉式部の墓所は色んなところにあるんですね。それは和泉式部についての語り手が全国を周ったからだそうです。語り手は女性たちで京都誓願寺に属していると。ウチのそばの京極の商店街にあるお寺ですね。昔から芸能に関係していたらしいです。色んなところでつながってます。



さて御嵩宿に到着。観光に力を入れているだけあって、いい雰囲気です。



竹屋資料館にて。とてもよく昔の商家の雰囲気を維持されています。



学校の前にたくさん咲いていたゴージャスな花。これは何かと調べてみるとどうやらアヤメのようです。カキツバタか?とも思いましたがカキツバタはシンプルな白い線のようです。



わかりやすい見分け方。

これはサツキ。五月といえば皐月。でもサツキとツツジの違いも分かりにくいですね。サツキもツツジ科なんで親戚なんですが、サツキはツツジよりも花が小さくて、花弁が肉厚で光沢があるということです。なのでこれは絶対サツキでしょう。



ヒナゲシ。この種類はどうやらナガミヒナゲシというらしい。愛らしくて日本的なルックスと反して外来種で、しかも周りの植物へ毒素を放出する危険種として駆除が推奨されている。


これはイモカタバミ。芋のように根に鱗茎(りんけい)をつくる。鱗茎は球根みたいなもの。カタバミって普通黄色が多いようですね。



伏見宿に到着しました。御嵩宿と違って、中山道としての観光には全く力が入っていません。石碑がポンと公民館の前に置かれているだけ。ただ五月の鯉のぼりが愛らしいです。



一泊二日の中山道歩きも終わり、名鉄の明智駅から京都に帰ります。ホームにこんな張り紙がしてありました。廃れた「今でしょ!」がもの悲しさを助長させるメッセージ。今は一時間に二本走っているけど、そのうち一本になり、廃線になってしまうのかな?と考えると寂しいです。



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