2018年1月27日土曜日

長岡京

さて、今回は長岡京跡を訪ねました。長岡京は、桓武天皇が即位したことで、平城京旧主派の影響を断ち切るために遷都されたと考えられています。

長岡京は、淀川の水運を生かして難波宮を解体した資材を再利用することでわずか半年足らずで中心的建物が完成、しかしながら、都としての寿命も短くわずか十年で平安京へ遷都してしまっている。

この短さの理由としては、桓武天皇の側近であった藤原種継暗殺事件で容疑者として淡路島に流されて餓死した桓武天皇の弟である早良親王(さわらしんのう)の怨霊のせいだともいわれています。


ちなみに都の変遷を整理しておくと。

① 飛鳥京 (これは条坊制にもなっておらず存在が不確かな都)
② 藤原京 694-710年 持統天皇が遷都
③ 平城京 710-784年 元明天皇が遷都
④ 長岡京 784-794年 桓武天皇が遷都
⑤ 平安京 794年     桓武天皇が遷都

下の図は長岡京市のサイトから拝借。吉野から北へ上がってきたことがわかります。



この区域が長岡京があった場所です。青字は、今回散策ルートで訪れた場所です。



阪急長岡天神駅で下ります。阪急の駅前は庶民的だけど阪神みたいにごちゃごちゃしていないんですね。沿線のカラーというものでしょうか。


弓場(ゆんば)街道。最初は長岡京の堀のあとかなと思ったのですが、斜めに走っているしそうではなさそうです。タモリではないですが、凹凸があると気になる。


同じく弓場街道。川というか堀に見えます。



乙訓寺(おとくにでら)。長岡京設立以前からある古い寺で、怨霊となった早良親王が一時幽閉されていたということです。長岡京時代は拡張されて大規模なお寺だったというこtですが、今は普通のお寺といった感じです。




次に光明寺に向かいます。長法寺道沿いに西へ進みます。


徐々に光明寺のある丘陵が近づいてきます。


わきの畑は雪化粧。


丹波街道を渡ります。


丘陵は西山公園という名前になっていますが、そんなに子供が喜びそうな場所でもなさそうです。


途中に神社がありました。


説明によると、神仏習合のせいか、観音寺であるとともに子守勝手神社(こもりかってじんじゃ)でもあるとのこと。さらに子守勝手神社は子守神社と勝手神社が合わさったもの。子守神社は、水分神(みくまりのかみ)を祀っているが、「みくまり」が「みこもり」となり安産の神にもなった。勝手神社とは面白い名前ですが、大峰山系の神社ということで、「勝手」の語源は調べてもよくわからない。葛城(かつらぎ)と関係があるのかも。


階段を登ると小さな山寺で、雪の地面とのコンビネーションが美しい。


光明寺に向けて北にすすみますが、池の表面は凍っています。



これが光明寺。かなり広いお寺です。



すっと続く石段を登っていきます。



凍りついた手水。いい写真です。




この光明寺を興したのは、蓮生法師(れんせいほうし)こと熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)だったのですね。ちょうどいま平家物語を読んでいるので、記憶に新しい。

いったん四国の屋島に退いた平家が、勢いづいて、都を奪還せんと須磨一帯に上陸したところ、山の上から奇襲を仕掛けた義経の軍に敗北してしまう一ノ谷の戦いがありますが、そのなかで、源氏側の直実はどうしても手柄を立てんと虎視眈々と戦場を駆け抜けていたところ、美麗な若武者を見つけて首を討ち取ります。これが敦盛だったのです。

この後悔から出家して光明寺を建てたということです。




光明寺を後にして、いよいよ長岡天神に向かいます。北から下っていくと左手に大きな池が見えてきました。八条ヶ池です。カモが浮かんでいます。


池の上を橋が渡っています。しかもゆっくり散策できるようにジグザグなのがいいです。


水面がキラキラ光って美しい。遠くにみえる鳥居のコンビネーションがいいです。


GoogleMapでみるとこんな感じです。右下から歩いてきました。神社は左上になります。


天満宮の入口。京都の北野天満宮もそうですが、菅原道真を祀った神社。道真も九州に流され不遇の死を遂げた後、京都で様々な自然災害が発生したことから道真が天神となりその怨霊が祟ったと思われたのが発端。

本当に京都は怨霊だらけです。


本殿は、昭和16年に平安神宮の本殿を移築したもの。長岡天神は建物は普通でした。



今年は戌年。なのに多くの神社は犬禁止にしてます。


帰り際にふと八条ヶ池沿いの北側に品のある建物を見つけました。
これは、錦水亭という料亭でした。タケノコ会席が自慢のようです。


部屋が別々の小屋となり池の上に浮かんでいます。ここで食事できるだけでも楽しそう。値段は春のたけのこコースで12000円から。場所を考えればこれくらいでしょう。



錦水亭を外からみるとこんな感じ。風流です。


菖蒲やカキツバタの季節にまた訪れたいと思います。


2018年1月20日土曜日

柏原宿~高宮宿

JR柏原駅で下車したらすぐに街道が始まります。今日は曇りで時々雨がパラつきます。




この伊吹屋さんが唯一現存する伊吹もぐさのお店ということですが、はたして営業しているのかどうか?


そもそも、「もぐさ」とは、キク科のヨモギを乾燥させて手間暇をかけてつくる、お灸のこと。良いもぐさは、すぐに火が付き、そしてじわーっと燃えるというものらしいです。
Amazonでも売っていますね、伊吹もぐさ。

六体地蔵。


西向き進行方向左手(南)に遠く見えるは、おそらく霊仙山(りょうぜんざん)です。


アメ車の墓場。ファイアーバードトランザムが2台。昔はカッコよかったんだろうな。


ここで旧中山道の道にわかれます。


といっても道路沿いの短い旧道で、しかもゴミだらけで汚く歩きにくい!



ラブホテル「マドンナ」。教会風にしていますが、なんと不届きな!


ここは、名神高速沿いの国道21号線で、トラックの運ちゃんの休憩場所になっているようです。ラブホテルも2,3軒並んでいます。


ここが、中山道、と言われてもね...まあ、そうなんですが。


こちらでお昼にしました。にしんそば。そんなに悪くはなかった。


醒井(さめがい)宿に到着しました。


寂れてしまったけど味のある商店。


醒井は名水で有名です。このような逸話が書いてありました。


加茂神社。神社の下の岩盤からこんこんと名水が湧き出て小川になっています!
飲んでみるとスキっとした硬水です。


醒井の3名水。居醒(いさめ)の清水。


ただ、残念なことには、この神社の本当にすぐ後ろに名神高速が走っているんです。ギリギリで神社を避けたのではないでしょうか?名水に影響はないのかな、と心配してしまいます。こういうのは車に乗って高速を飛ばしている人たちには全くわからないのです。

人間、地に足をつけなくなってしまうと、本当のことが何も見えなくなってしまうということでしょうか。


ふと見れば、もう梅が咲き始めています。




日本武尊(ヤマトタケル)が伊吹山の大ヘビを退治した際に猛毒にやられ、この名水により回復したという。



このような素晴らしい清水が小川に流れるところで暮らすのはとても贅沢なことだと思う。



資料館にて。街道宿で問屋というは、荷物の運搬の請負をやる商売のこと、という説明です。


透き通った水。水草も、青々しくて美しい。


十王水。これも岩盤の下から清水が湧き出ています。


名水の宿、醒井宿を後にして進みます。

足利尊氏に敗れて京を追われた北条仲時が、落ち武者狩りの野武士に襲われて死んだ墓がある。また、ここは壬申の乱で、大友皇子と大海人皇子が戦った場所でもあります。
ただし壬申の乱は近江周辺のあちこちで戦っているのでどこが特別なのかはわかりません。関ケ原宿、柏原宿の間にあった不破関の戦いのほうが決戦だったようです。

とにかく歴史的に関ケ原からこの辺にかけては、京の都と、東国がぶつかってきた場所だということです。

で、ちょうどこのあたりが番場(ばんば)宿。ここはとりたてて旅籠らしさはありません。



名神沿いに小摺針峠を登っていきます。ちょうどこの米原トンネルの上が、米原市と彦根市の境目です。


泰平水。こんなところに名水が湧き出る場所があるのですね。昔は何もないこの道で、お水を飲んで京から来た人と、京へ向かう人が、会話を楽しんだのでしょう。
高速のドライバー達には知る由もありませんが。



彦根に向けての下り坂です。


名神の方向を外れて進行方向右へ進みます。


弘法大師が修行に挫折しそうになってこのあたりをさまよっていた時、斧を石で摺っている老婆に出会う。聞いてみれば、大切な針を折ってしまったので、斧から一本の針を作るという。
これを聞いた弘法大師は、自分の未熟さを知ったという逸話があり、そのせいで、ここを摺針峠といいます。

弘法大師でも挫折しそうになったんですね。



この辺りには、大名や朝鮮通信使が立ち寄ったほどの本陣ともいえるような立派な茶屋、望湖堂があり、旅人たちは、するはり餅に舌鼓をうったという。



江戸から何週間もの長旅でようやく見えた琵琶湖の絶景は最高の気分だったでしょう。
でも、手前に建つ細長いタワーみたいなのはなんなのでしょうか?


こんかいの街道歩きで初めての山道らしい山道。でも一瞬です。


平地に降りたら、例のタワーが。

エレベーターの会社のフジテックによる、エレベーターの開発試験用の施設なんですね。しかし、中山道一番の絶景といわれる場所なんだから、一般公開してほしい。


振り返って。こんな道から下りてきました。


ここからは彦根。


鳥居本(とりいもと)宿。


赤玉といわれる胃腸薬。


なんと、Amazonで売っていました。伊吹もぐさ、赤玉もなんでも売ってますね。

鳥居本宿は、赤玉以外に、西瓜、そして柿渋とこうぞを塗って防水効果を施した合羽が、「3つの赤」といわれる人気商品だったそうです。さすがに合羽は、もう売っていないようです。


本陣跡。ヴォーリスという外国人設計の洋館になっています。和風を踏襲しながら煙突のデザインが洋風でとても調和のとれたデザインです。



右におれると彦根城へ向かう彦根堂。ここはまっすぐ中山道を進む。



小野小町の出身地と言われています。名物は、小野町太鼓踊り。


古いブリキの看板。


琵琶湖に注ぎ込む芹川。日が暮れ始めてきました。


高宮(たかみや)宿手前の石清水神社。


近江鉄道、高宮駅。でも、実は、一時間に一本しか電車が来ず、40分待ちだったので、ここから約20分ほど歩いて、JRの南彦根から京都へ帰りました。今日は32000歩ほど歩きました。