2018年6月23日土曜日

トロッコ列車と保津川下り

保津峡のトロッコ列車と保津川下りに行ってきました。

保津峡ですが、嵐山と亀岡の間にあります。北には愛宕山がひかえています。





さてトロッコ列車ですが、JR嵯峨嵐山駅のそばにあります。土日は特に人気なので予約必須です。予約時には座席の指定はなく、駅で指定券と交換になります。


こちらが簡易マップ。保津川沿いの路線ですが所々にトンネルがあります。その横を走っているのがJR山陰本線。

このトロッコ列車の線路はJR山陰本線の旧線だったところを日本で初めて観光用の列車として京都府の強い要望もあって維持したものです。

今のJRがほとんどトンネルで保津峡が一瞬しか見えないのに対して、トンネル技術が進化する以前はたっぷり美しい保津峡の姿を堪能することができます。

ま、未来のリニア中央新幹線もほとんどトンネルみたいですが、便利さと景色は両立できないものですね。


これがディーゼル式の機関車です。

元々トロッコ列車とは貨物用で、客車の代わりに屋根のない貨車になっているというのが定義です。でもこれは観光用の列車であって、もちろん客車には屋根があります。


客室は人で一杯だったのですが、たまたま横が空いていたのでパチリ。
椅子は向かい合わせになっており、木製のベンチが味わいがあるのですが、座るとお尻がいたいです。


こちらはトロッコ列車からみた保津川の景色です。時々トンネルを通りますが、列車の高さギリギリの小さなものです。



結構流れが急で、帰りに保津川下りで本当にこんなところ船で通れるのかな、と思いました。




ときどきラフティングのボートも見えます。


トロッコ亀岡駅で下車後、路線バスに乗って保津川下りの乗り場まで向かいます。少し離れているので乗り場まで20分くらいかかったかな。

乗り場といってもかなりしっかりした鉄筋の建物で、そこでチケットを買います。料金は一人4100円。当然ですが二人で8200円。立派な建物が建つはずです。
客の半分以上は中国、韓国の外国人。日本の若者たちにはかなり敷居の高い料金設定です。

チケットを買ったら整備された通路を通り、いよいよ船に乗り込みます。


一列4人で7列くらいの船の動力は人力。先頭にいる船頭さんは長い竹の先を川底に押し当てて逆方向に走ることで船を前に動かします。これが、とてつもなく大変そう。右の船頭さんはオールを漕ぐ役割。オールも十分大変そうですが、竹の役に比べればまだ余裕があるので、トーク係も兼ねています。冗談交じりの案内が面白く、笑いが絶えません。

後ろには、もう一人舵取り役の船頭さんがいて、実は舵取り役が一番難しいとのこと。

この三人が交代で船を動かしてくれるわけですが、多いときは一日4回もやるそうです。
まあ、彼らの働きぶりを見れば、一人4100円も仕方がないかなぁ、という気がします。



急流すべりのアトラクションのように時々激しい動きとともに水しぶきが飛んでくるので舟の両脇にはビニールシートで防ぐようになっています。


ラフティングの人たちと手を振って挨拶。


急流のときは、舟が岩にクラッシュしないように竹で岩との間隔を調整します。観光目的の保津川下りは1885年(明治28年)からあり、長年の間竹で突かれた岩には穴があいています。


トロッコ列車は亀岡と嵐山を往復しますが、当然保津川下りの船は亀岡からの一方通行になります。昔は嵐山まで行った後、川沿いにロープでひっぱって船を上流まで引っ張って戻したそうです。舟を漕ぐだけでもめちゃくちゃ大変そうなのに、帰りにロープで引っ張る仕事は、もっと過酷で、当時は地獄といわれていたそうです。今は船頭さんはJRで帰り、舟はトラックの荷台にのって戻ってきます。


iPhone Xで撮った動画です。最初の一瞬にトロッコ列車が写っています。


さて、嵐山に近づいてくると、軽食とドリンクを売る舟が近づいてきます。


みたらし団子、おでん、いか焼きなど、いろいろメニュー豊富です。私はビールとキューリを買いましたが、中国のお客さんには、いか焼きが人気でした。

共存共栄というか、よくできてますね。この船は当然ですがモーター駆動で、この船と合体している間は、保津川下りの舟もモーターの恩恵にあずかっていました。

保津川下りに乗ってみて、4100円は確かに高いけれど、トロッコ列車よりずっと面白いし、人生に一度くらいはいいんじゃないか、と思いました。


武佐宿~守山宿

前回2月に武佐宿を通り越してJR篠原駅で京都の自宅に帰ったので、再びJR篠原駅からスタートです。

竜王町を通って、西横関の交差点まで行きますが、これだけでなかなかの距離です。


西横関に到着。ここから中山道ですが、うらびれた道路沿いなのでワクワク感がほとんどありません。


それでもしばらく進むと古い町並みが現れてきます。


このあたりは、旅籠が集まっていました。武佐宿と守山宿の間が3里半もあるので、その間に鏡宿という名前がついていました。でも正式な宿ではないのですね。



鞍馬山を奥州の金売り吉次に連れられて脱出した牛若丸は、ここで元服し、名前を九郎義経に変える。






義経元服の地からしばらく歩くと、平宗盛が断首された場所が道路の裏の茂みにひっそりとある。なので、平家終焉の地は壇ノ浦ではなく、ここだと主張している。

ただ宗盛は清盛亡き後、平家の総大将であったにもかかわらず平家物語では、武士としてもリーダーとしても、うだつの上がらない人物として描かれているので全然人気がなく、このようなうらぶれたお墓になってしまっているのでしょう。

宗盛は清盛の三男で、本当は人望のあった長男の重盛が平家を引っ張ってくれていれば平家も滅びずに済んだのかも知れません。宗盛は壇ノ浦の場面ではそのあまりな優柔不断に母徳子から怒られるという情けない場面もありましたし、壇ノ浦では将士が次々と討ち死にして海の藻屑と化している中で、そもそも総大将が最後の合戦で敵に捕まってる時点でダメですよね。



蛙不鳴池(かわずなかずのいけ)。宗盛の首を洗って以来蛙が鳴かなくなったという言い伝えのある場所です。この池と宗盛の首塚のあたりは、どこかの工場ができていて、そのうち史跡に消されてしまいそうな雰囲気です。



東池、西池と池が多い。このあたりは一面の野原で物騒な場所であったそうです。


新幹線の線路の向こうを見ると、前の会社のSK-IIの工場が見えます。懐かしい。野洲工場にはよく通いました。知ってる人はみんな辞めちゃってるんだろうな。


平安時代末期に建てられた子安地蔵堂。今でもきれいに手入れされています。


ちょっと丘陵地になっているのは甲山古墳。
この辺りで雨がきつくなってきたので、10キロも歩いていないのですが、本日は打ち止めで、JR野洲駅から帰ります。


2018年6月10日日曜日

平安神宮 神苑のハナショウブ

6月10日、花菖蒲の時季ということで、平安神宮の神苑に行きます。

その前に、前から行きたかった粟田山荘でお昼ご飯を頂きます。というか、これが一番の目的ですが。

前から中をのぞいたりしていましたが、本日は二カ月前にようやく予約が取れたので堂々と門をくぐります。

今回の写真は全て iPhone X のカメラで撮影しています。


案内されたのは一階の茶室です。お庭が素晴らしいながめ。


粟田重というランチメニューです。これにさらに天婦羅もつきますので、結構お腹いっぱいになります。一品一品けちのつけようのない美味しさです。デザートはお菓子に抹茶もあります。ディナーに比べてかなりお得感がありますね。


灯りとセットで撮影。



さて食事の後は、平安神宮に到着。社殿の写真はとらずに神苑の入口にいくと案内図がありました。

小さな入口があるだけなので、いままでてっきりちっちゃなお庭ぐらいにしか思っていませんでしたが、案内図を見ると、なんと、社殿をぐるりと取り囲むとても大きな敷地であることに驚かされます。

平安神宮自体は、平安遷都1100年を記念して桓武天皇を祭神として明治28年に建てられたものですから、京都の他の神社仏閣と比較すれば、新しめの神社で歴史的価値はそれほど高くはないのです。

そう考えれば、平安神宮に来たら、社殿よりも神苑を見なきゃ真価を見なかったことになると言えます。


入口を入ってすぐに振り返ると朱塗りの社殿が見えます。平安神宮ぽいです。


ヤマトナデシコ。小さいけれど元気で可憐な、日本女性の象徴。


日本最古の電車らしい。なぜここに展示されているのか若干不思議ではありましたが。


京都を代表する桂の木。普段自然の山ではほとんど目にすることはありません。


石橋の手前でふと見るとカモが首を泥に突っ込んで餌を探しています。ユーモラスで可愛い。


紫陽花がまだ咲いています。自然の景色を濃縮したような構成、琵琶湖疏水の豊富な水の流れを生かした庭園である神苑は、7代目 小川治兵衛さんの設計です。


さあ、ここからが花菖蒲の大盤振る舞い。これだけ多くの花菖蒲が咲き誇る場面は見たことがありません。本当に見応えがあります。


餌を求める鯉たち。ちょっと気持ち悪い。



ハナショウブは、アヤメ、カキツバタと比較して色が豊富なのが特徴です。同じ紫色でも青紫、赤紫とあり、その優雅な花弁とあわせて気品のある姿です。

ちなみにハナショウブは湿地、カキツバタは水辺、アヤメは乾地に咲きます。3つとも英語ではアイリスです。アヤメは黄色のスジのまわりに睫毛のような放射状の線がはいっているからわかります。覚えるならアヤ眼の付けまつげ?カキツバタは黄色のかわりに細い白い線です。






この二枚はiPhone Xのポートレートモードで撮影しています。スマホのカメラも一眼レフの描写力にかなり近づいてきました。






ハナショウブの群生を後に、中神苑に向かうと今度は睡蓮の花が咲いています。




東神苑の泰平閣。もともとは御所にあった建物を移築したもので、内部は回廊となっており大きな池を渡る橋の役割と、両脇のベンチでゆっくり座って景色を眺めることもできます。


池にある飛び石などは、三条大橋、五条大橋の改築の際に不要となった石柱を再利用しました。


東神苑から平安神宮に戻りますが、正直お庭がこんなに巨大で、しかも美しいとは知りませんでした。