ラベル 01 飛鳥時代 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 01 飛鳥時代 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年3月24日月曜日

【大阪】天上ヶ岳(箕面大滝~勝尾寺)

 今回は歴史マニアの奥さんの付き添い登山で大阪箕面の天上ヶ岳(500m)に登ります。

この山は日本の修験道における至高の存在である役行者の終焉の地として知られているのです。

役行者、本名役小角(えんのおづの)は奈良時代より以前の飛鳥時代の人物で、葛城山で修行し金峯山寺で蔵王権現から霊力を授かり、修験道を開いたと言われます。

その霊力は大変強く神様(一言主)をイジメたほどで、天武天皇に目をつけられて伊豆島に流されたこともあります。

天上ヶ岳の場所ですが、箕面駅から北上し猿で有名な箕面大滝からさらに山の中に入って行ったところにあります。天上ヶ岳頂上を踏んだあとは勝尾寺に寄ってからバスで最近出来た箕面萱野駅まで行って帰りました。



下がハイキング&登山ルートです。合計距離11km、累積標高600m、約5時間のコースです

箕面を訪ねるのは約15年振りですが、猿には全く出会いませんでした。2020年あたりから餌やりに罰金(1万円)を課すなど厳しい措置が取られ徐々に山中に追い込んでいった結果のようです。

猿がいなくなった代わり、と言っては大変失礼なのですが、外国人が多くなって驚きました。箕面の滝も日本人より多い。勝尾寺にいたっては完全に外国人狙いのテーマパークと化していました。


朝9時半に阪急箕面駅に到着。久しぶりに来て見ると宝塚駅のようにおしゃれになっています。



奥さんの希望でミスタードーナツ第一号店でドーナツを購入。1970年にダスキンが社運をかけてアメリカ本社から営業権を獲得して開店しました。

しかし奥さんを見ていると女の人のお菓子に欠ける情熱に感心させられます。


駅前の石碑に東海自然歩道の西の起点と書かれています。今回歩くコースも東海自然歩道なのですが、このコースはなんと東京八王子の高尾山までつながっています。

東海地方では中山道と東海道の間を通るコースになっています。


紅葉の天ぷらなどのお土産屋さんを抜けて舗装された気持ちのよい道を進みます。


昆虫館を過ぎると瀧安寺にたどり着きます。修験道のお寺で役行者が箕面の滝で修行して開いたお寺が元になっており、ご本尊は役行者が作成したとされる弁財天です。


行場がありましたが滝はチョロチョロとして落ちていません。


弁財天の像。池などの水辺で楽器を奏でている女性の神様です。琵琶のような楽器を右手に持っています。


控え目な役行者の石像。お供え物に「鬼ころし」があったのが面白い。


本堂をお参りしてから先に進みます。


大滝の手前の谷底にある淵は釣鐘淵という名前がついています。釣鐘の形をしている淵なのかと思っていましたが、調べてみると瀧安寺に設置するはずの釣鐘を運ぶ途中に間違って落としてしまったという逸話が由来だそうです。そのせいで瀧安寺には釣鐘がないとか。


釣鐘淵のそばには箕面警察署長の殉職碑が。昭和26年の集中豪雨の時にここに取り残された人々の避難救助に訪れた際、濁流に地面が崩れ落ちて流れに飲み込まれて亡くなったと書かれてある。この時の梅雨前線がもたらした集中豪雨が記録的だったらしく京都では79人が死亡しています。



久しぶりに見た箕面大滝。滝のそばには行けないようになっています。8割は外国人。全国で色々な滝を見てきたせいか、そんなにすごい大滝でもないと思います。大滝ですでに標高200mあります。


箕面大滝から県道を箕面川沿いに登って行くと途中で箕面川を渡る林道が出てきます。ここから先は一般車両通行禁止。


すぐに登山道になります。箕面大滝では全く猿を見かけなかったので、山道に入ると大挙して現れるのでは...と思っていましたが、最後まで全く見かけませんでした。一体どうやって山中深くまで追い込んだのだろうか。


尾根道までは杉だらけの林道であまり面白くありません。


勝尾寺につながるメインの尾根道にとりつきました。ここで標高370m。五月山方面に向かって進みますが、その前にコーヒー休憩。箕面駅でかったミスドのポンデリングを食べる。このモチモチ感は米粉が入っているのではなかろうか。


尾根道を五月山方面へ登って行くと左に折れる分岐があるのでその先が天上ヶ岳。五月山への道はまだまだ遠くて池田の方へ続いています。



天上ヶ岳に到着。思っていた以上に立派な銅像と石碑が置かれています。お墓のように見える中央の石碑は役行者没1000年を記念して江戸時代元禄12年に建てられたもの(それにしては新しく見える)。

石碑には梵字(サンスクリット)語でアビラウンケンと書かれており真言密教の根幹的な言葉。

右の石碑は平成に建てられたもので、細かいのですが「昇天」ってキリスト教の言葉じゃないのか?と思って調べてみると仙人が死んだときにも使うそうです。というか、仙人が最初でキリスト教が後ですね。

役行者は飛鳥時代で仏教伝来の前なので入滅、入寂という言葉は使わなかったのでしょう。


この銅像は昭和に建てられたものですが、とても素晴らしいものです。笑っているようにも見えます。ものすごい高下駄を履いていてこんなもので山を歩けばすぐに捻挫するだろうと捻挫をした筆者はすぐに思いました。

役行者と言えば前鬼、後鬼を引き連れているのが通常ですが、昇天されたときは一人になりたかったのだろうというのは奥さんの説でした。


頂上からの景色は特にありません。



役行者に別れを告げて東海自然歩道を進みビジターセンターに立ち寄ります。可愛らしく咲いていたのがミスミソウ(三角草)、別名ユキワリソウ(雪割草)。雪の下でも緑を保つ常緑葉だそう。イチゴもそうですね。よく凍らないものだと思います。



これはキクザキイチゲ(菊咲一華)。珍しい種類のようで、春に花を咲かせたあと地上部は枯れてしまいあとは地下で翌年の春まで待つ性質があるそうです。



ビジターセンターの係員さんに教えてもらったフクジュソウ(福寿草)。茎が伸びてしまったので言われなければわからない。

係員さんは東海自然歩道を歩くのは外国人の女性が多いと言っていました。


ビジターセンターから歩いて20年振りくらいに勝尾寺を訪ねます。


入ってみると99%は外国人でした。そこらじゅうにミニダルマが置かれています。



噴水、幻想的なミストと確かにエキゾチック要素で演出しています。また、境内には高音質のスピーカーが設置されており、読経の声がうるさいほど鳴り響いています。

どうやら副住職の方が大変活動的なタイプで、こういうプレゼンテーションになったようですが、東南アジアのお寺と違って日本のお寺は心を静める場所であるべきなので、筆者には相当な違和感を感じました。

勝尾寺からはシャトルバスで北大阪急行が昨年(2024年)に開業したばかりの箕面萱野駅に行き、そこから帰宅しました。



2018年12月22日土曜日

橿原神宮と畝傍山(うねびやま)

橿原神宮は初代天皇である神武天皇を祀るために1890年に明治天皇が創建した神社。平安神宮の5年前。

地図で場所を確認してみます。橿原神宮は畝傍山(うねびやま)を背にしており、耳成山(みみなしやま)天香久山(あまのかぐやま)と大和三山と言われています。この三山に囲まれた場所に藤原京があり、持統天皇が遷都しましたが、694年~710年のたった16年間しか続かなかった短命の都です。



橿原神宮へは京都から近鉄特急で一時間で行けます。左下の第一鳥居から入って、拝殿でお参りしてから右上の登山口から畝傍山に登り、そのあと、地図には載っていませんが北側にある神武天皇陵に行きます。


さて第一鳥居ですが、アレ?この黄色のチンケな柱は?と驚きましたが、改修工事中だったのですね。それにしてもイマイチです。


表参道。両側に並ぶ巨木は、樫の樹。


前回樹木ツアーに行ってからついつい樹に見とれてしまいます。


外拝殿。広大な敷地のせいか、人々がまばらに見えます。今時どこにでもいる外国人観光客も誰もいません。


内拝殿。まだクリスマス前なのにもうすでに来年の干支である猪の絵馬が飾られています。屋根は立派ですが、木造建築が知恩院の三門のような棟梁の執念みたいなものを感じません。明治時代の建築だとこうなってしまうのでしょうか。訪問客がまばらなのもわかる気がします。


内拝殿。巨大です。今は中には入れませんでした。


さてここから畝傍山の登山口です。山といっても198メートルしかありませんが。


道は歩きやすいです。


なんと畝傍山、死火山だったのですね。ちょうどこのあたりが大陸プレートとフィリピン海プレートが薄く層になっていてマグマが隆起したのです。瀬戸内火山帯と呼ばれ、四国から九州まで帯状になっています。



畝傍山口神社は元々山頂にあったのが、橿原神宮が出来て、見下ろすのが良くないという理由で山の反対側に移されてしまいました。今回はそちら方向には行かず頂上に向かいます。標識には「畝火」と書いてあります。何か、うねうねと連なるイメージなのでしょう。語源はわかりません。




香久山と耳成山が畝傍山を妻にしようと争い続けているように、いつの世も恋の争いはあるもの、という中大兄皇子の歌。別名天智天皇の中大兄皇子は曽我氏暗殺、白村江の戦いなど戦争のイメージがありますが、こういう三角関係みたいなものを歌ったのですね。


このような柱状節理がところどころに見られます。地下のマグマが貫入してきた証拠です。


頂上に以前の畝傍山口神社の場所を示す石碑がありました。


お皿をひっくり返したようなきれいでこじんまりした耳成山(みみなしやま)。ちょっと不自然なところから人工の古墳ではないかという説もあるそうです。


こちら樹々の間からかろうじて見えるのが天香久山です。
天香久山と言えば、百人一首の

春すぎて 夏来(き)にけらし 白妙(しろたへ)の 
    衣(ころも)ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま)

が有名です。万葉集の持統天皇の歌がベースになっています。初夏のすがすがしい日に天香久山で洗濯された白い衣が、干し竿に並び風にひるがえる姿を想像すると平和でかつさわやかな気分になります。ちなみに持統天皇は中大兄皇子の娘です。


下山は違うルートをたどりました。耳成山をもそっと近くで眺めることができます。


もりあがった柱状節理と背景の畝傍山。


下山後は神武天皇陵に向かいますが、その途中に太平洋戦争で散った若桜を祀る石碑がいくつかありました。戦歌で出てくる「予科練」で知られる海軍の飛行部隊は最期は神風特攻隊として国を守るために命を投げ出しました。


紅白まだら模様の椿。


樹木に見とれる。でも何の樹だろう。樫かな。


いったん125号線に出てから神武天皇陵の敷地に入ります。


90度に右にうねる道。両側には松林の壁。


初代天皇だけあって実に簡素かつ威厳を感じる広大な陵です。アマテラスオオミカミの直系で紀元前660年に即位したのが神武天皇。建国記念日である2月11日は即位の日です。


ちなみに日本神話については最近読んだこの本がオススメです。神様のキャラをうまく漫画で表現してありとてもわかりやすい。


アマテラスオオミカミから神武天皇への流れはこう説明されています。


  1. アマテラスオオミカミ
  2. アシノホシホミミ(農業の神、あかんたれ)
  3. ニニギ(アシノハラナカツクニ平定後の最初の統治者)
  4. 山幸彦(ニニギとコノハナノサクヤヒメとの間の子。浦島太郎のモデル)
  5. ウガヤフキアエズ(山幸彦と竜宮城の姉姫との間の子)
  6. ワカミケヌ(ウガヤフキアエズと叔母である妹姫との間の四男、神武天皇)

このワカミケヌ、後の名をカムヤマトイワレヒコは九州の日向にある美々津を出発し、中国地方を瀬戸沿いに進み大阪から熊野まで進み、そこから宿敵トミヒコ(登美毘古)を大和で打ち破ったことで神武天皇として即位したのです。


巨石をくりぬいた手水。


帰り道に見た深田池。



拝殿の背に見える畝傍山に別れを告げて、ぜんざいを食べて終わりです。