2017年8月26日土曜日

赤坂山~三国山

奥琵琶湖、マキノに位置する関西100名山の一つである赤坂山を目指します。

行って引き返すだけだと面白くないので、ついでに三国山も登って、黒河(くろこ)越からマキノ林道を通って帰るルートです。



車を温泉さらさの駐車場に停めて気持ちの良い高原を進んでいくと赤坂山の登山口に出ます。赤坂山のルートは一本しかないので、こちらから行くか、逆から行くかの二つに一つです。



今回は珍しくペア登山です。赤坂山を紹介してくれた友人の車で来ています。まずは整備された道を登っていきます。



武奈の木平です。「平」と言うだけあって広くて休憩所がありますが、まだ昼食には早いのでちょっと休んで前進します。



比良山系は水が豊富です。ですが、赤坂山、三国山のルートには、湧水はどこにもありませんでした。



ガレ場がありましたが、ちょっとだけです。



鉄塔広場に出ます。ちょうど工事中だったので、休憩は出来ませんでした。ハンモックが設置してありましたが、作業者の休憩用でしょう。暑いのにご苦労様です。でも京都市内に比べれば随分ましですね。



粟柄越(あわがらごえ)です。ここから赤坂山を結ぶルートは高島トレイルの一部となっており、滋賀県と福井県の県境になります。昔は、近江の国と若狭の国の国境だったので、近若国境と呼ばれていました。



蓬莱山と異なり、ここにはあまり信仰の対象となるものは少ないです。唯一あったのが、この石仏です。



ほとんど崩れて認識しにくいが、三面あるのがわかる。



元々はこのような像ではなかったと思われる。三面馬頭観音です。旅の街道に旅の安全を願って置かれていることが多いのですが、若狭と近江を結ぶルートとして頻繁に旅人が往来した様子がうかがわれます。江戸時代には関所もあったそうです。



赤坂山の頂上に到着しました。天気も悪くないので、琵琶湖がきれいに見えます。蓬莱山で見る琵琶湖と比べると、都から随分はなれた落ち着いた雰囲気ですね。



さて北側ですが、頂上にあるマップを見ると雲谷山(779m)の横にチョコっと若狭湾が見えることになっています。



左の送電線の先にあるのが雲谷山ですが、海はわかりませんねー。



GoogleMapを見ると赤坂山上空だとこんな感じ。かなりはっきりと海がわかります。ドローンがあれば見れたのに。



日本海を期待していたので若干心残りながらも、琵琶湖を見ながら二人で、お弁当をいただきます。良く見るとちょうど山のふもとのギリギリのところに、走ってきたメタセコイヤ並木道が見えます。

こうして見ると水田が多いですね。




景色はなかなか良いのですが、いかんせん鉄塔が多すぎです。



調べてみると、美浜原発から嶺南(れいなん)変電所に送られ、そのあと、京都と生駒へ流れていますね。実は私が普段使っている電気もこの鉄塔経由で来ているのかもしれません。鉄塔ありすぎとか言えませんね。



さて赤坂山を後にして三国山へ向かいます。



三国山の表情は赤坂山とは異なり岩場と崖。登山道は、梯子のように見えますがこれは階段です。



このような岩肌の山が比良山系にあるとは。





ここは明王之禿と言われる場所。柵で囲っていますが、この先は断崖絶壁になっています。これらの岩は花崗岩で、地下にあった花崗岩はマグマ状になって地上に貫入してきたものです。



さて、三国山に到着しました。赤坂山と異なり頂上はせまく、見晴らしもよくありませんが、岩の上に立ってみると、琵琶湖が見えます。でもかなり遠くになってしまいました。
三国山はあまり人気がないと見えて、二人くらいしか人と出会いませんでした。




三国山頂上をあとにして、黒河越(くろこごえ)へ向かいます。



山と高原地図に「急なジグザグ、下りは注意」と書いてありましたが、結構急な斜面の横を歩くので注意が必要です。夏草で覆われているので斜面が見えませんが、断崖のようになっている場所もあります。

そんな道を注意しながら歩いていると、見晴らしのよい地点にでてきました。右に琵琶湖の上部が、そして左手に若狭湾と敦賀の町らしきものが見えます。



確認のためにGoogleMapで見てみると、確かに琵琶湖と敦賀がほぼ等距離で見えるので、間違いないでしょう。赤坂山で日本海が見れず、少し不満だったので、この景色はありがたかった。これ以上進むともう琵琶湖が見えなくなるので、ここがベストなのではないでしょうか?



しばらくアップダウンを繰り返して進みます。



黒河越の手前にトイレがありました。そこそこちゃんとしたトイレです。下は、そこにあった地図ですが、高島トレイルのルートが載っています。



黒河越に降りて登山口を振り返ります。ここからは長~い下りの舗装道路。気分的にはもう終わったように感じますが、距離的にはまだ半分と少ししか消化できていません。

単調な長い下りの林道はあまり好きではないのですが、GoogleMapで「まだか、まだか」とチェックしながら1時間30分ほど歩き続けます。



ようやく白谷温泉までやってきました。道路沿いになにやらスイスの山荘のような建物が。名前は「ペンション琵琶湖」。テニスコートもありなにやらおしゃれ系ですが、ラジウム温泉もあるようです。



百合の花が咲いていました。



長い車道から川沿いのショートカットを経て、さらさ温泉の駐車場に到着しました。


2017年8月17日木曜日

西国街道 姫路城

国宝、世界遺産である姫路城。街道歩きをしたわけではないのですが、とりあえず西国街道のジャンルに入れておきます。

お盆明けの猛暑でしたが、その代わり空が綺麗で非常によい写真が撮れました。

2015年に白漆喰の塗り替えが行われた後、見るのは初めてです。

白鷺城、のかわりに「しろすぎ城」と言われたりしますが、漆喰の白で、そんなに真っ白けといった感じではなく、自分はとても気に入りました。

東側の姫山駐車場に車を止めて、天守閣に向かいます。





姫路城を地階から六階まで支えているのが西と東の二本の柱です。昭和の大改修の際に西の柱が傷んでいたため取り替えるのに、25メートルの一本の木材が見つからず、樹齢780年と680年の日本の檜をつなぎ合わせたそうです。

東の柱は根元の5メートルだけを台湾の檜に取り替えたそうです。ここに展示されているのは、取り替えられる以前の柱。100トンと言われる建築物を長年に渡って木材だけで支えてきたというのが驚きです。鉄筋コンクリートの建築物のほうが頑丈ですが、耐久年数で言えば木造建築のほうが優れているのですね。




天守閣に近づいてきました。よい写真が撮れました。




入城口から入って周回するようにして進んでいきます。こういうのを螺旋式縄張というそうです。江戸城と姫路城でしか見られない設計。



丸と三角の穴は鉄砲用で、四角の穴が弓用だそうです。



漆喰の部分を間近で見れます。きれいに塗れているのがわかります。



天守閣の内部に入りました。前回見た犬山城と比較して随分広いです。ちなみに国宝になっているお城は、犬山、姫路の他に松本城と彦根城の4つに加えて、平成27年に松江城も国宝になっています。



鯱(しゃち)瓦。この鯱は伝説上の生き物で、火除けの意味があります。普通は屋根には雄雌の対になっているところ、姫路城では二つとも雌で珍しいとのこと。



明治時代の鯱瓦が下に展示されていましたが、現在のものと比べると職人の芸術性がうかがわれます。まあ、遠目に見るのでディテールまではわからないのですが。



天守閣は犬山城のように外にでることは出来ず、しかも金網越しの景色となります。人工的な町が目立ち、正直あまりよい景色ではありません。




姫路城の見学ルートのところどころにARポイントがあり、スマホにアプリをインストールすると情報が得られます。城下町のCGが城の屋根にかぶせて表示されましたが、もう一つなにがどうなってるのかよくわかりません。





神社があります。長壁(おさかべ)神社といい、城ができる以前は小刑部(おさかべ)宮という名前で姫山にあったものが天守閣に置かれることになったということです。



ジオラマです。




ジオラマだとわかりにくいですが、GoogleMapで見ると、特に城の背面に城のベースになっている姫山の名残りがわかります。犬山城のようにいかにも山の上に建っているといったものではなく、ほとんど山の原型が無くなってしまっていますが、自然の高さを生かした城であることには変わりありません。



天守閣から下りて備前丸の広場に出てきました。めちゃくちゃ暑い。



はじめて姫路城と命名し、城郭を築き、三層の天守を作ったのは豊臣秀吉なのです。その後、明智光秀を討って主君の敵をとったあと、大坂城へ居を移したのです。



今と少し違いますが、原型は似ています。ちなみに徳川時代に書かれたものなので、羽柴秀吉と書かずに、気を遣って、真柴久吉公と書かれています。モロわかりやん。



秀吉の時代がおわり、関ケ原の戦いの後、池田輝政が入城し、今の本格的な城郭ができあがります。これは明治時代のものですが、今とほぼ同じです。