2017年10月30日月曜日

六波羅蜜寺~清水寺登山口~聖護院

宝物館が特別公開されているので六波羅蜜寺に行ってきました。

ちょうど今読んでいる新平家物語でも度々登場する場所ですが、最初は貧しくて父親の忠盛から使いに出されてお金を借りに駆けずり回っていた清盛が、徐々に名を上げ出世して、初めて立派な家を建てのが鴨川東の五条のあたりで、そこを発端にして、平家一族が著しく繁栄し、「平家でなければ人でなし」とまで言われ、六波羅のあたりには平家の住居などが5千も建っていたと言われます。

その後、平家の衰退や数多くの火災などで今その面影を残すのは、この六波羅蜜寺だけになってしまったようです。


宝物館に入るといくつかの像が陳列されているのですが、これが平清盛の像。写真撮影禁止なのでネットの拾い物です。

ややもすれば、平家拡大のために、権力を誇示して周りから嫌われたという清盛ですが、吉川英治の小説では、むしろ政治的な爭いよりも、国家の繁栄を願い、今の神戸福原に、宋船が出入りできる港を膨大な時間、労力、カネを使ったように描かれています。

でも、その結果、宋との取引が活発になり、ますます大金と権力を得てしまったのですが。

この像を見ると、政治的しがらみから脱却して入道となったものの、決して仏に心に触れて清らかな気持ちになったようには見えません。むしろ疲れ果てているよう。


空也上人立像。空也は生涯、民の救済のために各地を歩き、六波羅蜜寺で生涯を閉じたとされています。念仏を唱えることを民に教え、南無阿弥陀仏の一文字一文字が仏となって現れている様子を見せています。


幽霊が飴を買って子育てをしたという言い伝えのあるお店。ここは六道の辻とよばれている場所。六道とは、死後に生前の業により、地獄界から天上界まで行先を決められるという6つの世界。


この界隈は、どことなくうらびれた味がある。かつては平家が優雅を極めたのだけれど、平家の没落の悲しさだけが残り、人生に苦悩する人々を呼び寄せたような空気がただよう。


六道珍皇寺。この世とあの世の境がこの辺りにあると言われている。


魔界を後にして清水寺方面へ歩いていく。松原通り沿いに歩くと五条坂との合流地点で、数多くの大型観光バスから大勢の観光客が楽しそうにやってくる。


ものすごい数の観光客と、それを目当てにあの手この手でお菓子などを売るお店。

他にも京都はいっぱい良いところはあるんですが。

しかも、こんなに人が大勢いると落ち着いてゆっくりと見ることもできない。


仁王門です。


一番の見ものである舞台はあいにく大改修で見れません。


大改修中ですが、舞台からの景色は変わりません。


定番の写真スポット。秋晴れの天気に改修工事は惜しかった。


さて大舞台を通り過ぎると縁結びの地主神社があります。


案内板では本堂の左側。この地主神社の横に細い道があるのですが、これが目指す登山口なのです。


登口と書いてあります。大勢の観光客達は全く見向きもしません。


一歩道に入ると、全く人はいません。


鉄柵があります。すわっ、閉まっておる!と思いきや、左の扉がうっすらと開いています。


案内板の地図です。ここをちょっと登ると京都一周トレイルのコースに出ます。
今回は知恩院口に出てこようと思います。

お寺の裏口案内ツアーみたいです。


それなりに登山気分を味わえる。


すぐにトレイルに出てきてしまいました。ここから将軍塚に前は行きました。


今回は知恩院方面へ。


火災の際に使うとされるため池。白く濁っています。



知恩院の案内。



知恩院に出てきました。


宝仏殿の裏から、写真の左側の道の向こうから出てきました。


案内板だと右端に宝仏殿が書かれてあります。知恩院は今は特に見たいと思わないのでそのまま通り過ぎてしまいました。


ここから北へ向かいます。平安神宮の手前で、お昼にカレーうどんをいただきました。キーマカレーがうどんに乗っています。個人的には、だしとあんかけを使ったカレーうどんのほうがよかった。


平安神宮の西側を通ると紅葉の下にシロサギがぼんやりとたたずんでいる。


目的地の聖護院に到着。ここは年中拝観できるわけでない。


オセロの面のように美しく砂を整えている若いお坊さん。女性かな?




聖護院は、八ツ橋で有名なので、庶民的なお寺かと思いきや、意外にも修験道の総本山だったのです。まさに先月、修験道の聖地、大峰山に登りましたが、大峰に登る修験者はまず初めに聖護院で旅の安全を祈願するそうです。


堂内にビデオがあり、今でも続く修験者の旅の様子を紹介していました。

中でも有名なのが、西の覗での儀式。ビデオを見ると、足を持っている二人にも鉄鎖がついていました。(ネットから拝借)


帰り道。まだお庭の整備をされています。


2017年10月28日土曜日

源光庵~菩提道~高雄~清滝

金閣寺よりさらに北へ上がったところにある源光庵(げんこうあん)。前回、このそばにある光悦寺と常照寺を訪ねたあと、山道に上がって東へ進んだので、今回は源光庵を訪ねて、山道に上がって西へ進む計画を立てました。


この週末も小雨です。レインジャケットが本当に役に立っています。


源光庵の庭。禅宗の一派曹洞宗です。





これは迷いの窓という名前がついています。四角の四つの角は四苦を意味しています。


対してこちらは、悟りの窓。紅葉になってはいないけれど、このままでも十分きれいです。


伏見桃山城から運ばれた血天井。石田三成に討たれた鳥居元忠の兵と思われる。

手形らしきものが残る。


こちらは、完全に足。これだけはっきり跡が残るほど足の裏が血糊でべっとりというのは考えただけで恐ろしい。

しかしこんな床を供養のためとはいうものの、よく天上に据えたものだ。怖くて夜は本堂には行けませんよ。


雨にしっとりと濡れたモミジも一興。


再び悟りの窓を斜めから。



壁に吊るしてあったもの。右から左へ読むのですが、三文字目から道元禅師と見えます。どうやら道元の生涯を絵巻物にしたもののよう。

この絵にあるのは、宋から帰国した道元が後の永平寺を建立したところでしょう。右下に幽霊の絵がありますが、永平寺の侍女が亡くなった後、池に幽霊となって出没し、それを道元が成仏させた場面だと思われます。


 さて、源光庵を後にして、少し西にある光悦茶屋さんでにしんそばを食べた後、山と高原地図の一の坂に沿って北西へ進みます。


光悦茶屋から急坂を下ります。


「古道 長坂道」。今回は行きませんが、調べてみると、吟松寺(ぎんしょうじ)へ続く道のようです。紅葉の隠れスポットらしいです。11月にもう一度来てみたい。



徐々に山深くなってきます。ひたすら道沿いに歩きます。一人傘をさして歩いている人がいました。


紙屋川は天神川の上流の名前。



ここから東海自然歩道がはじまります。ここからは車では行けません。いい感じの木製の椅子が置いてありますが、ここに至る道には何件か工芸をしている場所がありました。北山杉で栄えた場所だったので家具などを造っていたのでしょう。


地図で言えば一ノ坂の先のあたり。ここから北西の三角形の頂点に向けて進みます。


地面が土になった瞬間に、自然につつまれた感覚をおぼえます。


ここから京見峠への道はマツタケ収穫のせいで通行止め。京見峠は、前回氷室神社へ行く道に通りました。今回は真っ直ぐ中川方面へ向けて進行。


京都一周トレイルだと、ここから南西の道を辿りますが、私は菩提滝の方へ。地図上点線の道を歩くのは、整備されていないことを意味することが多いので、覚悟が要ります。実際そうだったのですが...



昔はここから先が国道162号線だったのですね。


大きな木が倒れて道路を完全に覆っています。でもこれは枝の合間を、くぐればいいので楽勝。


巨石が突き出していました。いまにも落ちてきそう。こいつが落ちたら道は封鎖されてしまうだろう。



女滝(めだき)。


菩提の滝。滝壺にあるきめ細やかな砂で北山杉の丸太を磨いたという。1980年の「古都」の撮影地に使われたらしい。この案内板から川下へ降りていく道があるので、行ってみることにする。


ところが残念なことに道は沢のように流れ、ここから先へは行けそうになく断念した。これも台風の影響だろうか。


ネットから拝借。見て見たかったなぁ。


さらに行くてには倒木が次々と。以前は車道だったということが信じられない。というか、人類の文明も最後は自然に還るとこうなるのかと思った。


数々の倒木を越えていったのだけれど、この光景が目に入った途端、「ゲームオーバーか」と呆然となりました。

土砂崩れで、コンクリートと鉄の塀が崩れ落ちています。

これは、さすがにシャレにならない。


それでも道路そのものが崩れていたわけではないので、注意深く木の上を登って土砂崩れを越えました。それでも登ったことが刺激になって、さらに崩れたら一巻の終わりなので、ものすごくハラハラドキドキです。

越えた後、後ろを振り返って一枚。できればこんな危険なマネは二度としたくない。台風の後の山道は避けるべし。




案内板の地図です。北が左です。ちょうど三角形の頂点までやってきました。


山と高原地図だと頂点は「菩提道」と記してあります。中川の集落はこの北にあり、古くは北山杉を産業にしていました。


清滝川と色づき始めた紅葉。


ここから国道162号線に突然出ます。中川トンネルから直線で大型トラックが猛スピードで走ってくるのでまさかこんなところを歩かせるわけない、じゃあ、どこを歩けばいい?と迷っていると、ちょうど道路を渡ったところ(下の写真で立っている場所)に、それらしき道があるので、「あ、ここね」と何の疑いもなく進みます。

実はこれが大きな間違いだったのですが...


この道は清滝川の西側を南に延びています。なかなか楽しい道。


堤防のようなものの上を歩いていきます。


杉の里トンネルの下に来ましたが、ここで行き止まり、引き返して一つ上の道をすすみます。


土砂崩れ。


鎖のついた岩場です。どう考えても東海自然歩道にこんな場所があるはずがないと、地図を見ると、清滝川の東を歩くべきなのに、西を歩いていることに気がつきました。

でも道があるのだからどこかにつながっているのだろうと淡い期待ですすみます。


やがて道はどんどんうす~くなっていき...


とうとう山林の真っただ中に完全ロスト。これ以上先に行くのは危険とやむなく引き返します。


小屋も無残な姿に。


さきほどの中川トンネル出口までもどりました。仕方がないので、車に気をつけながら162号沿いに歩きはじめました。杉の里トンネルの中を歩くのは本当に危なそうなので、どうしようかと思っていると、トンネルの側に旧道がありました。この道が正解だったのです。これは結構みんな間違えるのでは?山と高原地図に注意書きで書いておいて欲しい。


旧道は杉の里トンネルの出口を下に見下ろします。使われなくなった旧道が歩道として使えるのはいいですが、広い道なのでメンテするのは難しそう。


ずうっと旧道沿いに歩けばいいのかと思いきや、結局162号に合流しました。さきほどに比べカーブが多いのでスピードは出さなくなったものの、やっぱりコワいです。

バス停があったので乗ろうかとも思いましたが次のバスは2時間後(笑)。


結局歩きますが、車もこんなふうによけてくれていますが、やはりトラックはコワい。


高山寺の駐車場。車で何度か来ましたが歩いてきたのは初めて。しかも上から下ってきたわけです。


高山寺を過ぎて南西へ進んでいきます。


いい感じの料理旅館。


ここで清滝方面へ折れます。ハイキングコース、いい感じです。


もみじの名所。二週間後くらいがちょうど見ごろかな?




観光ホテルの横を流れる清滝に沿って川床料理が楽しめるようになっています。
今日は誰もいませんでしたが、数週間後の紅葉の季節は大勢の人でにぎわうのでしょうか。やはり貴船のほうが随分人気ですね。お店も多いし華やかさが違います。



高雄から清滝のコースは歩きやすいし、野趣味があってとてもオススメです。なかなかピクチャラスクです。



真っ黒な岩石が雨に濡れて黒光りしています。これもチャートなのかな。


案内板です。



お茶屋の廃墟の後すぐに清滝にでました。