2017年2月26日日曜日

大山崎山荘


大山崎山荘の開館20周年記念で、ロベール・クートラスという画家の展示会があったので行ってきた。



これらの作品を観て思い出したのが昔エジプトでコプト教の美術館に行ったとき。線で描かれた顔にデフォルメされた背景が組み合わさって小さな画面に収まっている。カード(carte)画と言うらしい。もっともクートラス以外にそのような呼び名をするのかどうか知りませんが。


これがコプト教のアート。やっぱりなんとなく似てる。

いずれにせよそんなに自分の好みではなかったので、山荘そのものを眺めることにした。元々実業家だった加賀正太郎氏が大正から昭和に建てたもので、山荘といいながらも重厚な内部のつくりは洋館といってもいい風格がある。蘭の栽培を趣味にしていた洒落者でそのための温室まで作っていまも残っている。



1996年にアサヒビールが買い取り美術館にしたのだが、そのとき安藤忠雄に依頼してモネの絵のために特別な部屋を作ったわけだが、これが実にアンタダらしい建築で、好きな人にはたまらないのだろうが、山荘や庭に全くそぐわないコンクリートのうちっぱなし。アンタダ好きの人に昔聞いたが、彼の建築のいいところは、通路や階段を歩きながらワクワク感を抱かせるということらしい。そういう意味でコンクリートの階段を地下に降りながら「モネに会える、ドキドキ」なんて思えば正解なのだろうが、あの睡蓮の絵をコンクリートの地下室に飾るなんて...と私は思いましたね。


テラスから見える淀川とその東側の景色。これは昨日歩いた橋本のあたりです。淀川のこちら側の高浜砲台から幕府軍がいる橋本を砲撃したんだな~なんて考える。


テラスの横はティールームになっていて。コーヒーをいただく。セットのお菓子は、クートラスのcarte画をあしらったもの。


お庭にあった石造りの橋。なんとなく中世やドイツの田舎を思わせるようなデザインです。こういう趣旨をもったところにコンクリートの監獄をつくるかね、アンタダ。


今回自分が一番気に入ったのが、お庭にあったブロンズ像のウサギ像です。ちょうど日が落ちてきて、いい感じの絵になりました。この作者はBarry Flanaganという人で、ウサギのブロンズ像を主に制作していたらしいので、さすがだなと思いました。

2017年2月25日土曜日

京街道 枚方~樟葉・橋本へ


【枚方三栗で見かけた見事な梅】

さて前回の終着地点の枚方からスタート。今日2/25は寒さもやわらぎ、ヒートテックなしで越冬隊系ダウンからファッション系のダウンで手袋もOFF。


もはや京街道の片りんもない枚方駅だが人知れず佇む道標をたよりに本日の行程をスタートする。先日たどり着いた枚方宿(ひらかたじゅく)は枚方駅より東の天野川(あまのがわ)の手前まで続いており、東端を東見附(ひがしみつけ)と呼んでいた。


これは天野川の手前にあった解説の看板。


こちらは拡大図だが、ちょうど京都からやってくる参勤交代の大名行列を天野川の手前の東見附で待ち構える枚方宿の人たちが面白い。「失礼があってはあかん」というのと「太い客がやってきたシメシメ」という二種類の声が聞こえてきそうだ。


天野川を超えてしばらく歩いたところにある延命地蔵大菩薩。大菩薩はどこにあるのかと中を覗いてみたけれどかろうじて菩薩かな?と判別できるような石片のようなご本尊。賽銭箱は扉のなかに入れられ、お賽銭を納めようとおもうと、自動販売機のスリットのようなところにコインをいれなければならない。賽銭泥棒が多いのかと思うと寂しい気持ちになる。




そばにあった古いお家に、「煙草小売所」の札が。昔はアルミの柵の代わりに看板娘が煙草を売っていたのか?なんて旧き良き時代を想像してしまう。


京阪御殿山駅まで来た。どこの駅もそばに新しいたこ焼き屋ができている光景を見かける。しかも安い。



御殿山神社。かなりの勾配の丘陵の上にある神社で、そこらじゅうに土砂崩れの危険を示す石標が立っている。なぜこんな急こう配の丘陵ができたのか不思議だ。



御殿山神社の境内には神社らしいBGMが流れる。正月ならまだしも普段からBGMを流す社は初めて見た。積んであったチラシをみると、神主さんはどうやらミュージシャンらしく夏に企画されているパリ祭に出演されるということ。


境内の後ろ側から続く道を降りると「渚の院跡」の場所を指し示す看板が。どんなところだろうと歩いていくと保育園の敷地の中で入るのに許可がいるようだ。渚の院は、平安時代前期の惟喬親王(これたかしんのう)が天皇の後継者争いに嫌気がさして猟でうさを晴らすための拠点にした別荘ということだ。憂さ晴らし用の別荘があるとはうらやましい。もともとは御殿山も惟喬親王の渚の院の別棟のようなものだったらしい。高台なので避暑として使ったか、それともここから獲物を探したか。


車道から京街道へ少し外れる場所。錆びた「農道」の看板がある。昔は大勢の旅人で賑わった幕府お墨付きの大動脈の道が、この農道だなんて、京街道のことを調べないと絶対に気付かないだろう。こうやって歴史というのは埋没して消えていくのだなと感じる。


通りすがりの家の庭に見事な梅が咲いていた。まるで桜の花のよう。実に素晴らしい。


左の常夜灯には「京都」、右の常夜灯には「大阪」と彫ってある。「大坂」と書いていないところを見ると明治になってからのものかも。


京阪牧野駅を通り越して京阪沿いに歩くと遠くに見える超高層ビル。あれはなんじゃ?と思い調べると、樟葉駅横のKUZUHAモールの横にそびえるマンションでくずはタワーというらしい。


Google Earthで見てみるといかに周りの住宅地から飛びぬけた存在かということがわかる。京阪電車がむりやり何もなかった町を近代的タウンにトランスフォームさせた。


その樟葉駅に向けて淀川沿いを歩くわけだが、歩道もなく危なっかしい。面白くないので、車の動きを感じさせるシャッタースピード優先モードで撮影してみた。なかなかいい感じ。


車道から淀川横へ降りる道があったので降りてみるとサイクリング野郎どもの天国になっていた。調子に乗ってシャッタースピードで遊んでみたが、これはちょっと失敗。しかし結果がすぐに見えるデジタル写真って本当に革命的だわ。

さて、樟葉を通り過ぎて、「バル エスパーニャ ecafe」というところでコーヒーをいただき少し休憩する。マスターによるともともとはDENONとMarantzの修理が専門らしい。オーディオセットがドンと鎮座していて「聞いてみます?」と言われたが残念ながら時間がないので辞退させてもらった。HiFiオーディオという趣味は我々の世代で絶滅してしまうのかもしれない。

淀川堤防を降りると京阪 橋本駅が近づいてくる。


橋本湯というお風呂屋さん。入口の瓦細工が立派で少し驚く。


この二階建てが連なった感じに、趣向をこらした木細工は、ひょっとして元遊郭?と思わせる。


調べてみると勘はあたりで、江戸時代からの遊郭だった。大政奉還の後の鳥羽伏見の戦いで、劣勢を強いられた幕府軍がここ橋本の土地を召し上げ陣を作ったところ、なんと淀川の向こうから政府軍に寝返った高浜砲台から迫撃を受け、橋本は焼けてしまい、幕府軍は大阪へ逃げ、大阪城にいた徳川慶喜も江戸へ船に乗って逃げ帰ることになった。

その後また遊郭は復興を遂げるが明治10年に淀川の向こうに京都と大阪を結ぶ鉄道ができると訪れる客は激減したという。京街道沿いは木津川、宇治川があるから鉄道を通すのが大変だったらしい。つくづく「淀川のあっち側」にやられてしまった橋本であった。

ところがどういうわけか明治時代に再度支援をうけ遊郭は復活して、昭和の売春禁止法ができるまでは栄えていたらしい。

この橋本という場所、おもしろそうなので次回の京街道のスタート時にもう少し散策してみたい。

ということで今日はここまでにして京都に帰って、映画「愚行録」を観ました。


2017年2月19日日曜日

北野天満宮の梅苑と、京街道続き(枚方)


北野天満宮の梅苑を見にいった。入場料700円で、お茶とお菓子がつきました。


メジロが数羽、枝の間をぴょんぴょんと飛び回るのがすごくかわいい。メジロというだけあってパンダみたいに目の周りが真っ白で面白い。


青空をバックにピンクの花がきれいです。


50種類1500本といううたい文句だけど、茶屋に花名譜があった。この左にもズラーとならんで写真に写り切れない。南高梅とかは梅干しでよく聞きます。



紅梅殿というだけあってこの季節が一番映えますね。


多くの和歌の額が飾られていたが、源信明(みなもとのさねあきら)が、ものすごく憂鬱そうにしているのが印象的。調べたけど地方官を歴任した著名な歌人ということで、憂鬱な理由は不明。


御土居も見れたんだけど、蘆山寺の御土居とちがってこちらはかなり大がかりな盛り土でした。

さて、北野天満宮のあとスーパー銭湯にいってゆっくりしていたら3時になってしまった。それでも少しは歩けるかと京阪で光善寺に向かう。



駅から少し歩いたところにある光善寺。日蓮上人の像がある。



日が暮れ始めてひらパーの観覧車が綺麗に見える。




枚方宿(じゅく)の鍵屋資料館。ここは昔は高級料亭だったらしい。このあたりは京街道沿いにあるのと、すぐ後ろには淀川が流れていたので交通の要所だったということ。大坂夏の陣で協力したからという理由で特権を得た船頭たちが、「くらわんか」と言って三十石船などに近づいて食べ物飲み物を売っていたところから「くらわんか舟」といったそうな。「くわへんのか」みたいな意味らしく、かなり失礼な商売人。



そばにあったレストラン。おしゃれだけど京都にはもっとおしゃれな店がいっぱいあるよ。


浄念寺。光善寺もそうだけど、屋根瓦がスロープのようにまっすぐ降りているデザインが美しいと思った。

京街道から外れるのだけど、丘陵の上のお寺が気になったので線路を渡って丘陵の裏側にまわると細い道を上がってお墓を抜けたところに見佛山臺鏡寺(だいきょうじ)があった。


鬼瓦が並べられていて、夕日のせいで、眼が光っていて若干不気味です。ここからは淀川がよく見えたので、昔は行きかう多くの舟と旅人や宿で食事を楽しむ人たちが見えたのでしょう。



ここにも梅が。夕日に当たってきれいです。



多くの上人(高僧)たちを祀った石塔が夕日に映えています。



京街道に戻って枚方駅に向かう道に古めかしい家があり、その横にブリキが看板が...
扶助料というのは恩給の一つで、旧軍人の遺族たちに支払われた年金のことだそう。それを立て替えるとはどういうことなのでしょうか。

ということで、今回は時間もなく枚方で打ち止めでした。次回はいよいよ樟葉に向かいます。まだ大阪-京都の半分にまで至ってなさそうです。やはり歩くのは時間がかかるなぁ。