2020年7月18日土曜日

東福寺【蓮】

蓮の花を見に、東福寺に行きます。

東福寺は京都駅から南東へ少し行ったあたりにあります。今回は、京阪電車で鳥羽街道まで行ってそこから歩きます。


東福寺は、足利家が制定した京都五山のうちの一つで、奈良の東大寺と興福寺から一字ずつとって、東福寺となったそうです。

開山は鎌倉時代の中頃、円爾(えんに)が初代住職となる。聖一国師(しょういちこくし)とも呼ばれる。

円爾は、宋に学び、禅宗を主軸にしつつ、天台宗や真言宗の良さも取り入れました。

写真の三門は、足利第四代将軍の義持の時代に建てられたもので、現存する禅宗の山門では最古のもの。


さて、今日のメインハイライトの蓮池は、その三門のすぐ手前にあります。

写真では伝わりませんが、まず、その大きさに驚きます。

蓮の花は、朝にしか見ることができません。午後には閉じてしまいます。例外として、午後も開いている場合はありますが、それはそのまま散ってしまう花。

蓮の花の命は短く、4回、開いたり閉じたりを繰り返し、散ってしまうのです。



蓮池の真ん中に石橋がありますが、立ち入り禁止。また、何の工事か知りませんが、池の長辺も立ち入り禁止になっていて、三門を背景に写真が撮れません。なんでまた最も見どころの時期に工事をするのでしょうか😠

と、怒らず、今日、美しい蓮の花を見れたことに感謝・感謝...

これこそが仏の教えと言うものです。




蓮の花は、ピンク色が一般的ですが、白い花もあります。東福寺の蓮池は、ピンクと白と両方の種類が楽しめます。




蓮の葉は、以前はお盆の時期に料理やごはんの下敷きとして使われていました。


今でも東南アジアのレストランでは、カレーを蓮の葉(Lotus Leaf)に載せて出てきたりします。

で、蓮の葉を売る商売は、お盆しか成り立たない、利ザヤの薄ーい、商売と言われ、いつのまにか、身持ちの悪い、下品な女性なことを、「はすっぱ」と言うようになったそうです。ちょっと飛躍しすぎのような気がしますが、言葉って面白いですね。


ちなみに、「はすっぱ」というと、かたせ梨乃とか三原じゅん子が思い浮かばれます。かなり古いか。





蓮池を見た後は、東福寺の塔頭寺院である光明院を訪ねます。光明院は、東福寺の開山約150年後の室町時代の半ばに建立されました。


拝観料は竹筒に投入。めずらしい。


室内の先には、三つの石がセットとなった三尊石組が見えます。

三尊石組の三尊は、いろんな組み合わせがあるようですが、多いのが、釈迦三尊といわれる、釈迦如来を中心に、文殊菩薩と普賢菩薩がはさむという構図です。


これは法隆寺の金堂の釈迦三尊像。


3つの石がセットとなった三尊石組が、3つある庭は、「波心庭(はしんのにわ)」という名前が付いており、昭和14に、重森三玲(しげもりみれい)が設計した。


重森三玲の庭は、日本の伝統的なデザインを踏襲しつつ、思い切った直線や曲線を見せるのが特徴のように思えます。ニヒルな感じのおじさん。


名前の三玲は、画家のミレーからとったもの。子供には、ゲーテとかカントとかの哲学者の名前を付けています。ちなみに、ゲーテは、「埶氐」と書くそうですが、絶対書けない、読めないで、ゲーテ氏はお父さんの三玲さんのことをどう思ったていたのでしょうか。




苔に囲まれた白砂のエリアは海を意味している。縁の苔に点々と配置されたものは、波の飛沫を現しているとのこと。芸が細かい。



禅の言葉に、

無雲生嶺上 有月落波心

というものがあり、もし雲が嶺の上に無ければ、月は波に映るだろう、という単純な句ですが、迷いさえなければ、心を美しく保つことができるという意味です。




江戸時代から有名な、イブキの木。京都市天然記念物。古い木って、幹をじっくり見るだけで味わいがあります。イブキはヒノキの種類で、海岸の岩場などに生育するらしいので、京都にあるのは珍しいのでしょう。


向こうに見えるのが、紅葉の時期に有名な、東福寺の渡り廊下で有名な通天橋。紅葉の時期は混在のせいで、写真撮影禁止になっています。

紅葉がなくても、緑の海が十分美しい。


通天橋を眺めている私がいる場所は、臥雲橋(がうんきょう)。通天橋は有料ですが、臥雲橋は無料です。



東福寺の塔頭である勝林寺に立ち寄ります。座禅体験ができて、住職さんが、市川海老蔵に似ていると女子に人気だそうです。

こちらもピンクの蓮の花が咲いています。鉢植えなので、近くで見れてとてもよかったです。




勝林寺は、花手水という名前で、手水に活けた花が素晴らしい。写真撮影の人が多くて、シャッターチャンスを見つけるのに時間がかかりました。



2020年7月4日土曜日

柳生街道

柳生街道は、近鉄奈良駅からバスに乗って50分ほど北東へ行ったところにあります。


近鉄が発行しているマップを参考にして、歩くことにします。フルコースは、柳生バス停から奈良駅までなのですが、20キロほどになるので、今回は、途中の忍辱山バス停までの約9キロのコースを歩きます。


これが実際に歩いたヤマレコの記録です。


柳生バス停の周りです。


石組みの武家屋敷の壁。


ガクアジサイが咲いていました。




旧柳生藩家老屋敷。柳生藩家老の小山田主鈴(おやまだしゅれい)の隠居宅だったのが、資料館になっています。受付のおばちゃんの後ろで、元気な兄妹が「こんにちわ」とあいさつしてくれました。

主鈴は、福島県出身で柳生家に足軽として仕官し、その後出世して柳生家の国家老まで上り詰めた人。徳川時代の11代将軍家斉の時代です。




柳生新陰流は、戦国時代の柳生宗厳(むねよし)が創始者と言われている。

最も有名な柳生十兵衛は実在の人物で、本名を柳生三厳(みつよし)といい、徳川家の兵法指南役を務めた柳生宗矩(むねのり)の子である。

柳生十兵衛は幼いころから徳川家光の稽古につきあうなどしていたが、何かしらの理由で家光の怒りを買い、小田原に蟄居を命ぜられたあとは、故郷の柳生庄にいたり放浪の旅に出ていたという。

今回、柳生街道を歩いた後、あらためて深作欣二監督の「柳生一族の陰謀」を見た。

柳生宗矩を演じるのは萬屋錦之介。長男だがさえない家光(松方弘樹)の代わりに、聡明で容姿端麗な忠長(西郷輝彦)を可愛がっていた父の秀忠と母の江に対して、それを危機と感じた乳母の春日局と松平信綱が、柳生宗矩と手を組んで家光の地位を守り抜くために陰謀を謀るという作品。

実際は陰謀はほとんど宗矩が一人で画策しています。


柳生十兵衛は千葉真一。柳生の庄には、ジャニーズのように若い真田広之、さらには志穂美悦子も登場。


しかし個人的に一番好きなキャラは、成田三樹夫演じる烏丸少将文麿(あやまろ)で、普段は、「~でおじゃる」などヘラヘラしているくせに、いざ襲われると、実は滅茶苦茶に強いという設定。これは架空の人物。


加えて、柳生宗矩に挑戦するのが、丹波哲郎演じる源信斎こと小笠原長治(おがさわら ながはる)で、真新陰流を名乗っている。真新陰流などいかにも映画で作ったと思いきや、なんと実在の人物。ただ豊臣秀吉に仕えた人のようで、柳生宗矩とは時代が違う。


柳生一族の陰謀の話はここまでにしておいて。

ところどころ山道があります。


これは八坂神社。京都の八坂神社が総本社で、全国の八坂神社に共通なものは、素戔嗚尊を祀っていることです。


陣屋跡。公園のようになっています。


芳徳寺。この奥に柳生一族の墓地があるのですが、料金がかかるのと時間の関係で外側の門だけ見て引き返しました。


ルート的には別方向になり元に戻らなければならなくなるのですが、一刀石は外せないので、ちょっとかかりますが歩きます。


頂上あたりに突然現れる巨石群に驚かされます。


こういう平べったい巨石を見ると、天岩戸を覆った岩だと思ってお祀りしてしまう日本人。


これが一刀石。確かにある瞬間に真っ二つになったように見えます。


写真用に刀が置いてあります。


いい年して恥ずかしいですが、やってしまいました。


メインルートに戻って歩きます。道中には緑が眩しい水田が多く見られます。


ルート上にはしっかりした案内板があり、ほぼ迷うことはありませんが、ほぼ全くベンチがなく、座るところがありません。なので、携帯用のチェアがあれば持っていかれた方がよいでしょう。


疱瘡地蔵。疱瘡とは天然痘のことであり、感染力が非常に強く、感染者の膿のかさぶたは、一年経っても感染したそうです。致死率も20%~50%なので、今のコロナウィルスよりもはるかに悪質。

でも天然痘は唯一人類が根絶した感染症ということです。


ここには室町時代、日本初の百姓一揆と言われる正長(しょうちょう)の土一揆の際の碑文が残されています。

大々的な一揆が京都市中に入り奈良まで飛び火した結果、農民の負債を帳消しにする徳政令を勝ち取った記録です。


ドクダミ草。今回の道中で一番見かけたのがこの花でした。

毒を矯めるのが語源で、「矯める」とは正すといった意味。人生そこそこ長く生きていますが知りませんでした。葉っぱに薬効があります。


この街道も東海自然歩道ルートになっているようです。なので案内板がしっかりしているのかな。


石畳の道がいい感じです。


南明寺に向けた道が開けます。


お藤の井戸。

柳生宗矩が通りがかりに、この井戸で洗濯をしているお藤という娘が美しいので、ちょっかいがてら、「その洗濯桶には波がいくつある?」と尋ねたところ、「21でございます」と答え、間髪入れずに逆質問で、「お殿様の馬はここまで何歩あるきましたか?」と言ったものだから、その機転に驚いた柳生宗矩が側室にしたそうです。

柳生宗矩も、お殿様でなかったら、無視されそうなくだらない質問をするものです。


南明寺。重要文化財なので少し楽しみにしていましたが、コロナ影響か立ち入り禁止でした。外から写真を撮って、階段で(ここにもベンチなし)、ランチのおにぎりをいただきました。


変わった草を見かけました。調べてみたけれどなんだかよくわかりません。

ネコジャラシにしては毛玉が大きい。ウサギの尻尾とよばれるラグラスという種類かも。


途中に少年少女用のキャンプ場がありました。なかなか本格的なロッジです。


山道です。登山靴が必要な感じはありません。


再び田んぼ道。


次に目指すは、夜支布山口神社。「夜支布」と書いて、「やぎう」と読みますが、意味のない当て字のように思えます。

案内板の下に咲くアザミが華やか。


途中の畑で見かけた変わった作物。調べてみるとどうやらズッキーニのようです。
この黄色い花の根本に、キュウリ状の実ができるみたい。


夜支布山口神社に到着しました。


ここも素戔嗚尊を祀っています。


とても緑の濃い場所で、奈良の自然の厚みを感じさせるような神社です。

ちなみにここにもベンチがなく、少し濡れていて気持ち悪いですが地べたでコーヒー休憩。



大好きなコーヒーを飲んで元気になった奥さんの後を歩きます。



近鉄のガイドには、「せせらぎの音が終着点を知らせる」と書いてありましたが、小さな滝がありました。


久しぶりに見かけたカップヌードルの自動販売機です。
かなりボロボロです。


忍辱山のバス停で2時間弱の待ち時間となるので、円成寺(えんしょうじ)をじっくりと観光します。


初夏でも紅葉するノムラモミジを入れて春日堂と白山堂。国宝です。


この円成寺ですが、運慶初期の作品と言われる大日如来像が有名です。
写真は円成寺ホームページより。

横から眺めると、その存在が醸し出す空気感に、さすが運慶と思わせます。
左目が半眼で、右目がつむっているようにも見えます。

金箔が剥がれてしまい、肌がむけたようになってしまっているのが残念です。修復してもいいのではないかと思います。


こちらが浄土式と言われる庭園です。