タイトルに「出雲街道」と銘打ってしまいましたが、今回の旅行では全く出雲街道は辿っておりません。近くの街道がそうだったのでブログの構成上そうしただけです。
出雲街道ですが、「天保出雲旅行筆記」に江戸時代の商人が出雲に旅行した記録が詳細に残っておりそれを見ると当然ですが出雲大社にお参りしているだけでなく東の美保神社にもお参りしているのがわかります。帰りは大山寺にも参拝していますね。岡山の津山が出発・帰着地で、14日間の旅行です。
電車も車もない時代ですが、自分はこういう旅行に憧れているのです。ただ出雲街道は全ては見ていませんが、ほとんどが車道になっているようで道幅がせまくて歩くと危なっかしいです。
さてJR倉吉駅からタイムズレンタカーで三徳山三佛寺(みとくざんさんぶつじ)へ。お目当ては行者が法力で断崖絶壁の窪みに投げ入れたと伝えられている投入堂です。
参道の階段の途中にあった輪光院の十二支地蔵。イノシシがなついている姿が愛らしいです。
さていよいよ投入堂に向かいます。これは山道への門。かなり厳しい路なので靴のチェックがはいり、ソールがツルツルだと草鞋に履き替えさせられます。でも草鞋が一番優れているのだそう。
あと、一人では入山させてもらえません。男子一人がいたので我々夫婦に同行させてあげました。
入山間もなく役行者(えんのぎょうじゃ)の像が。役小角(えんのおづの)という飛鳥時代の呪術師で修験道の開祖とされている。
投入堂への道のりは思った以上の険しさでした。木の根を梯子のようにつかって登っていきます。
鎖を掴んで登っていく。まるでフィールドアスレチックみたい。
これは途中にある文殊堂に登るところ。「マジですか?」
岩の周りを恐る恐る進んでいく。草鞋はやっぱり滑って履きにくいとのことです。
文殊堂からの景色。若干床が傾いていて怖くて二人がすれ違えない。
こちら投入堂の手前の不動堂。岩窟の中にスッポリと収まっています。
ついに投入堂到着。これ以上先には進めません。無理に行こうとすると二人に一人は滑落するそうです。
それでも昔の人は草鞋で登ったんでしょうね。
その前にこの堂を建てたというから信じられません。修験道は本当に命がけです。
岩肌に花が咲いていたので投入堂に色を添えてみました。
投入堂の歴史については、きっちりした資料は残っていないようですが、奈良文化財研究所が行った年輪年代測定によって、 投入堂は平安時代後期(1086~1184)に建てられたということです。源平の時代ですね。
YouTubeで4K空撮があったのでキャプチャしてみました。御堂の下は急な絶壁となっていて、滑落したら死は免れるどころかバラバラになってしまうそうです。恐ろしい。
岩窟の中ではカエルの鳴き声が響いていましたがカエルはどうやってはいったのかな?
同じく「4K空撮」より引いた画像。本当にとんでもないところに御堂を建てたものです。
路傍の野草の花がかわいかったので撮ってみました。上は「しゃく」、左下がタンポポ、右下は調べるのに手間がかかりましたが、どうやら「キンポウゲ」という名前のようです。
三徳山の観光ポスター。スーパーはくと号にも貼ってありましたが、「日本一危ない国宝鑑賞」とはね。
この日は三朝温泉の「三朝館」に泊まりました。伝説によれば頼朝の父である源義朝(よしとも)の家臣が源氏の再興を祈願して三徳山に行ったところ白狼の命を助け、その後、白狼が夢枕にたって温泉の場所を教えてたという。
ラジウム温泉のすばらしい泉質でした。ぬるめの湯が好きなのでちょうどよかった。
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