2017年7月29日土曜日

権現山~蓬莱山

最近はブログのテーマである歴史や街道よりも、登山ばっかりやっていますが、今日も蓬莱山(ほうらいざん)登山です。

登山のルートですが、私は性格なのか、行った道を戻るというのが嫌いで、今回も京都側から入って滋賀に抜けるルートを選びました。

行きは、7:45発の朽木行きの京都バスで平(ダイラ)で降ります。バスに乗っている人のほとんどは見るからに山愛好家です。

バス停から少し歩くと、花折峠の登山口に着きます。もうすでに450mくらいの高度です。



林道から上がっていきます。コンクリートの堰の横を通りながらどんどん高さを稼いでいきます。



アラキ峠。この手前あたりでアブらしき虫にブンブンやられましたが、今回はベープマットやムヒやら虫対策が万全なので最後まで刺されずにすみました。

でも虫には、タオルを振り回して追っ払うのが結局一番有効ですね。



権現山にむけて登っていきます。



権現山頂上に到着。高度996m。周りはガスでよく見えませんが、涼しくて気持ち良いです。



向こうに見えるのは蓬莱山でしょうか。



蓬莱山が1174mなので、高度的にはすでにほぼ登り切っており、ここからは縦走路になります。尾根沿いの道は視界も広がるし、涼しいし、何よりラクなので最高です。



途中に祠がありました。



ホッケ山頂上。あれが、さっきまでいた権現山。



こちらが目的地の蓬莱山。うっすらとしたガスの中に建造物が見えます。この距離から行先が見えてしまうと半分もう到着したような気分になる。



花のように見えるが色づいた葉っぱです。ポインセチアみたいな。調べたけど種類がわかりません。



途中土砂崩れ跡がありました。ちょっと危ない。



広々とした視界の中にところどころお地蔵さんがおられます。蓬莱山とは元々中国の言葉で、仙人が住む不老長寿の場所みたいな意味です。多くの山が修験道に関係していますが、蓬莱山に関してはこの広々とした天上の景色が、何か心地よい異次元空間を感じさせるからそんな名前が付いたのではないか?という気がします。



ま~っすぐ続く尾根沿いの道。ここはとても涼しい風が吹いてあまりに気持ち良いのでしばらく寝っ転がっていました。



木の下に佇む二人のお地蔵さん。とても絵になります。



蓬莱山頂上に向けて最後の登りです。ここでもお地蔵さんが優しく見守ってくれています。



頂上に着きました。すぐそばがケーブルの駅なので、街の服装でラクして登ってきた人が楽しそうにしています。ちょっとおしゃれな施設を作っていました。



バーンと琵琶湖が見えます。「あ~京都から山を越えたな」と感慨ひとしお。



うっすらと琵琶湖大橋が見えます。



こちらは琵琶湖バレースキー場です。



蓬莱山頂上からの下山コースはいろいろあるのですが、今回は金毘羅峠を選びます。理由は名水があるからです。

下山道に入ると直下に滋賀の街が見えます。飛行機から見るくらい真下の景色がわかります。



GoogleMapで見ると、このあたりの町は、琵琶湖と比良山系の山にはさまれたほんのちょっとの隙間に並んでいるのがわかります。比良山系は琵琶湖の横に立つ屏風、と呼ばれるのも納得。



ところどころ見える琵琶湖の景色を楽しみながら下りていきます。写真を撮るのを忘れましたが、結構、この下りは傾斜が激しくて、ところどころロープを掴みながらになります。




金ピラ峠。JR蓬莱山に向けていくと、金毘羅の名水があるはず。



腐葉土なのでたっぷりと水を含んでクッションになっていて歩きやすいです。ただ、途中でヒルらしき虫が靴に忍び込んだのを発見。防水靴でよかった。



なんとも美しいモスグリーン。



途中で自然の登山道が終わり、舗装された道になります。登山口そばにあった案内図。ほんとに色んなコースがありますね。



待ちに待った金毘羅神社の名水。雨や雪が永年かかってしみ込んだ地中から湧き出た水らしいです。「永年かかって」という部分が重要ですね。単に雨水が流れてきただけではない。



なんかコンクリートの溝のすきまからゴムホースが出ていて、見た目は全然イケてないのですが、このゴムホースは、ここから60メートルも奥にある湧き水を直接届けてくれているのです。

まずは頭から水を浴びて、採水します。何より驚くのがその豊かな水量。永年かかって染み出たというより、ドンドン出てきます。もっとチロチロでてくれたほうがありがたみがありますが、何より冷たくておいしい。

あ~、このコースで下りてきてよかった。



ずいぶん下にきました。頂上が1174mで、名水があるのが450mくらいの場所。道がコンクリートで舗装されているのですが、昔の舗装でガタガタで決して歩き心地がよくなく、足にかなりの負担がかかりました。



さて、人家があるところまで降りてきたら、GoogleMapに神社があったので、そこに寄ることにしました。

ノウゼンカズラです。



この辺の集落は多分かなり古い時代からあったのでは、と思わせます。



これは若宮神社(わかみやじんじゃ)で、樹下神社(じゅげじんじゃ)の若宮ということです。若宮とは本宮の祭神の子を祀った神社ということ。



手水の水が透き通っています。



若宮神社の鳥居。なにかとても良い空気を感じます。



さて、これは近くにあった西福寺。



美しく実った稲。下山中絶えずゴーゴーという水の音が聞こえてきましたが、あんなに素晴らしくおいしい水が大量に琵琶湖に流れていく、その恩恵をうけたお米は当然おいしくなるはずですね。近江米がおいしい理由がわかったような気がします。



JR蓬莱駅のそばで山を振り返ってみると、うっすらとケーブルが見えます。あの頂上の裏側の京都からここまでやってきたかと思うと感慨ひとしおでした。



今回の旅は特に権現山から蓬莱山までの尾根沿いの道が本当に素晴らしく、是非また行ってみたい。一方、金毘羅峠の道は、名水こそはよかったけれど、長く続く荒れた舗装の下りはあまり楽しくはなかったです。

2017年7月23日日曜日

稲荷山横断

どうしても観光客で一杯の場所は敬遠してしまうのですが、この日(7/23)、TOEICの試験が龍谷大学深草キャンパスであったので、そのまま歩いて伏見稲荷に行きました。

ちなみにTOEICは10年以上ぶりに受けたのですが、竹田駅から猛暑のなか歩いていったので、汗だくで始めたテストは、以前に比べてすごく長文が増えて、全く時間が余らず2時間ギリギリでした。


では気分を変えて伏見稲荷へ行ってみると想像以上の人だかり。しかも半分以上は外国人。まったく京都もえらいことになってしまったものです。ちょうど本宮祭(もとみやさい)の最中だったので、余計に多かったのかもしれません。



コンコン狐様もいろいろ見ますが、さすが伏見稲荷神社の狐様、めちゃくちゃ貫禄があります。伏見稲荷は全国3万か所あると言われる稲荷社の総本山で、秦氏が興しました。秦氏については前回の蚕ノ社のブログで書きましたのでそちらをご覧ください。



大変な観光客の数ですが、こうして人の少ない一瞬を写真にすると、確かに風情があります。


千本鳥居が続きます。



この池は新池(しんいけ)と呼びます。こだま池とも言われ、拍手を二回打つと、こだまの帰ってきた方角に、失くした人の手がかりがあるということです。別に失踪者が家族にいるわけではないので必要はありませんが。




新池の傍らにあったモノ。これはお墓なのか?何かを祀っているのか?よくわかりませんが、鳥居がお供え物のようにいっぱい置かれています。





ところどころにあった鳥居奉納のご案内。10号鳥居は直径30cmなので、かなり大きな鳥居の部類にはいりそう。130万円という値段もそこまでの鳥居を考えればそんなに高くは思えない。予約待ちだそうですが、収入には困ることはないでしょうね。



全体の地図です。



四つ辻に着きました。眺めがいいのと、飲み物も食べ物もいろいろあるお茶屋さんがあるので大賑わいです。



こちらから右と左のどちらからでも頂上にいけますが、右回りをチョイス。ご覧の通り、人の数がグッと減ります。多くの人は四つ辻で引き返してしまうのではないでしょうか?



頂上はこんな感じで所狭しと鳥居や墓石(?)が並んでいます。



頂上を過ぎて下山していきますが、右手に細い道が出てきます。こちらに入って稲荷山横断コースをとります。



若干迷いながらも進んでいくと普通の山道の景色になってきます。あれだけの観光客がいたのに、こちらのコースにはいると、ただの一人ともすれ違いません。



崩れかけたような神社がありました。ちょっと恐ろしい感じ。



テレビ塔の残骸がありました。これはアンテナからの信号か電力の制御盤っぽい。NHKのシールがあります。いったいいつまで使われていたのでしょうか?MIHARUという銘板で調べると、いまでもミハル通信という会社がありました。



正直いってあまり歩いていて楽しいと思わなかった。虫がいっぱいいたせいもあるし、なんとなく感じる空気が良くない。



山科の方にでてきました。横には何か巨大な建築物が。なんだろうと思い、調べてみるとその下を通る阪神高速8号のトンネルの廃棄塔ということです。廃棄塔にしては表面のデザインが凝っている。



出てきたところはこんな感じ。稲荷山登山口とか、なんの標識もありません。聖なる山に巨大な穴をあけて、車がビュンビュン通るのを神様が快く思っているはずがなく、それがなんとなく暗い空気につながっているのかな?と感じました。いずれにせよ、このコースはあまり人にはオススメしません。



もう少し歩いて振り返ると稲荷山が見えました。




帰りに寄った坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)の墓。蝦夷地を征服したことで有名ですね。