2018年9月24日月曜日

山背古道 木津~玉水

山背(やましろ、と読む)古道は、京都と奈良を結ぶ街道で、おおよそJR奈良線沿いの道で、城陽駅と木津駅を結ぶルートになります。

やましろ、は古事記は「山代」、日本書紀は「山背」と表記されていて、いずれも意味は、平城京から見て、すぐ北部に位置する東西の丘陵である奈良山(または平城山と書く)の後ろにある地域を指す。

今回、木津駅から出発します。これは駅にあった案内図。


最近は失礼ながら田舎の駅でもJRの駅はちょっと近代的なものが多い。やはり街づくりも、駅が立派でないと始まらないということでしょうか?


木津川市役所からスタートです。



山背古道全体図が示された案内板になっています。


木津川を渡ります。


ちょうどこのあたりで、東の伊賀のほうから流れてきた木津川が北向きに方向を変えます。川沿いは自然のままになっていてほっとさせる風景です。


路傍に咲いていたマルバルコウ。サツマイモ属だそうです。


泉橋寺(せんきょうじ)。この石地蔵は鎌倉時代に建てられたもの。でも大きなお地蔵さんってちょっと違和感ありますね。


宇治茶の茶畑ってどこにあるのかな?といつも思っていましたが、その4割を生産しているのは和束町(わづか)という場所でちょうど山背古道の東側の丘陵地帯にあります。

石碑に書いてあるのは、中国から伝わった茶が山城地方で育てられ、そこから伊賀甲賀へと伝搬、江戸時代に神戸港が開かれると輸出が急激に増加した、とのことです。


お茶の豪商として栄えたのが偲ばれる堂々とした造りの家屋。



上狛駅のそばですが、このあたりは狛氏(こまし)がなかば要塞化したような集落だったようです。上狛環濠集落跡として地図に載っています。狛氏は朝鮮由来の高麗氏(こまし)と同じとも言われていますが、茶の伝来や秦氏とも何かつながりがあるような気がします。


ときどき案内があるのですが、案内だけを当てにしていてもまずルートはたどれません。


9月下旬は彼岸花(ヒガンバナ)の季節です。街のあちこちに咲いていますが華やかです。


上狛氏が造った城壁の一部でしょうか。今は民家が建っています。


木津川の支流が多いです。


珍しい土壁の塀。まだ青い柿の実に季節を感じます。


このあたりは、奈良時代から木を伐採しすぎて土砂が川に流れて堆積したせいで、氾濫を防ぐために堤防をつくることを繰り返してきた結果、川の位置がどんどん高くなって住宅地よりもずっと上になってしまっています。


たわわに実った稲。収穫の秋です。


めずらしくカフェがあったので寄ってみようかと思いましたが祝日のせいかお休みでした。カニが描いてあるのはそばに蟹満寺があるからです。


創建が飛鳥時代と想定されている由緒ある蟹満寺(かにまんじ)。


このお寺が人気のあるのは、今昔物語集にのっている蟹の恩返しのお話のせいです。

村の娘がある日蟹を助けたところ、逆に今度は蛇に嫁入りさせられそうになった娘を蟹が助けるという話です。


でも、この話、元はというと蛇にのまれそうな蛙を助けるために、父親が「娘を嫁にやる」と蛇に約束してしまったのが発端なのです。ひどい父親です。


サルスベリの花に似ていますが多分違うと思います。


登りは必ず川の堤防です。最近は異常気象で大雨や台風が極端になってきていて、川が氾濫したら大変なことになりそうです。



以仁王の墓です。


平家物語では、以仁王よりも源頼政の話が多く出てきます。頼政は平清盛の全盛期に源氏でありながら平家に仕え続け全幅の信頼を得ていました。位は高いものの周りからは馬鹿にされ続け不遇な地位をやむなく受け入れていました。ところが、それは仮の姿で密かに平家打倒の機会をうかがっていて、平家への不満が噴出し始めると、時が来たとばかり、この以仁王を担いで氾濫を起こしたのです。

残念なことに挙兵の企みは平家の知るところとなり、宇治において頼政も以仁王も打ち取られてしまいます。でもこの反乱がきっかけに、源氏の巻き返しは本格的になり、木曽義仲や源頼朝につながっていくのです。



前日に愛宕山に登ったせいか、さすがに城陽まで歩くのはしんどいので、本日はここでストップ。玉水駅から京都へ戻りました。


2018年9月23日日曜日

皆子山

前々から行かねば、と思っていた京都府最高峰の皆子山。とはいっても971mなので、愛宕山の924mとほとんど変わりません。ちなみに二位、三位は峰床山、三国岳と続き、愛宕山はギリギリ10位に入っていない。

なぜためらっていたかというと、渡渉が多く、橋は崩れ危険地帯が多く、ヒルが多く、しかも眺望がない、という風にネットのブログに書いてあったから。

最高峰でなかったら、完全パス。

それでもよく調べてみると、危険でヒルが多いのは、北回りの足尾谷、ツボクリ谷からのルートで、橋が残っていたころは皆子山の代表的なルートだったようですが、今の人気ルートは、東尾根コースと言われる、平バス停から真っすぐのコースで、以前はミヤコザサが繁茂していて歩きにくかったようですが、今はそうではないとのこと。




今回は会社の山好きのおっちゃん3人グループの三行です。車に乗せてもらったのですが、駐車場がなく、脇道のスペースを見つけて停めるのがちょっと気を使いました。結構みんなスピード出して走っているので危ない。

山装備を整え、今回ヒル対策で購入した、「ヒル下がりのジョニー」を靴下と靴に振りかけます。「ヒル下がりのジョージ」になぜしなかったのでしょうか?どうでもいいですが。




正教院の脇道を通っていくと登山道です。正教院はなかなか立派なお寺でした。


こちら、おっちゃんズの面々。


東尾根コースは、ショートカットだけあって、取り付きの登坂がかなりのもの。青のテープは林業の境界線を示すものらしいです。

青のテープは結構広範囲に巻かれているので、登山道を示す、赤や黄色の目印テープをこの中から探して進みますが、要所要所に目印テープがあるので、あまり迷うことは少ないです。


 しんどい登坂を終えてしまうと、800mくらいまで来てしまうので、あとは大体が尾根道のコースです。余裕の表情を浮かべる二人。心配していたヒルも全く遭遇しません。


ふと見ると、パノラマというほどではありませんが、琵琶湖が見えます。眺望を期待していなかっただけにうれしい。


GoogleMapで、皆子山から東方向を眺めるとこんな感じ。琵琶湖の下から三分の一くらいの場所です。



数週間前の台風の影響です。倒木も心配していたのですが、思ったほどではなく、ときどき跨いだり迂回する程度で、冒険を要するような箇所は皆無です。先週登った愛宕山のほうが倒木はひどかったです。



北方向の視界が広がる場所がありました。京都府第二位の峰床山かな?よくわかりません。


頂上に到着しました。眺望は決して悪くはないです。少しでも琵琶湖が見えるだけで随分違うものです。



頂上のスペースは割と広くお弁当が食べやすいのですが、逆にピークといった感じが全然しないところが京都府最高峰のはずのオーラの無さに関係しているのでは?



帰りに見つけた武奈ヶ岳。


GoogleMapで確認。武奈ヶ岳で間違いない。


急坂の下りで、落ちた杉の葉などで、すべりそうになりましたが、なんとかストックで持ちこたえ、正教院の墓地裏へたどり着きました。

今回は天気が非常によかったのもあり、問題は杞憂に終わり、とても楽しい山行となりました。

ただ、最後に車に戻って、「さあ出発」と行ったときに、仲間の一人の手の甲に小さなヒルが一匹吸い付いていました。手袋を下に置いていたときかな?と言っていましたが、油断も隙もないです。