2018年11月24日土曜日

吉野~山上ケ岳手前

いよいよ大峰奥駆道チャレンジです。

まずは全体図です。吉野と熊野を結ぶ山道で、役行者(えんのぎょうじゃ)が8世紀に開いた修験道の修行場で、2004年からユネスコ世界遺産になっています。








今回は吉野から山上ケ岳の手前までテントで一泊のルートです。会社の山好きフレンズ二人と乗り込みます。


京都駅から橿原神宮駅で特急に乗り換え吉野駅まで約2時間。のはずが橿原神宮駅の乗り換え時間が3分しかなく特急を乗り過ごすというハプニング発生。

何はともあれ歩きはじめます。吉野は今年4月に千本桜を観に来ているので約半年ぶりです。


朝9時前で観光客も少なく、美しい紅葉が楽しめます。



出店もそこそこありました。


黒門をくぐります。


金峯山寺(きんぷせんじ)。半年前も修復されていました。創設は役行者で修験道の本山です。ちなみに京都の聖護院は京都における修験道の統括的役割を持っている寺です。






紅葉の写真を撮りながら登っているうちに金峯山寺が眼下の向こうになっていました。お天気も良い。


紅葉のじゅうたん。


横川覚範(よかわのかくはん)の首塚。


金峯山寺がさらに遠くになる。遠く左に見えるのが葛城山。葛城山と金剛山は奈良と大阪を分断しています。


吉野水分神社(みまくりじんじゃ)。4月に来たときはこの桜の木がきれいでした。この神社は飛鳥時代はもっと奥にあり、二つの川の分岐点にあったことからこの名がついたそうです。


大塔宮が北条軍と闘った高城山でランチにして、落ち葉と紅葉の中を進みます。



修行門と書いてあります。ここから先は観光気分じゃアカン。


金峯神社で登山安全の祈願をします。金山毘古命(かなやまひこのみこと)が吉野山の地主神でお祀りされているのですが、この神様、実はイザナミが火の神カグツチを産んで火傷で苦しみながら嘔吐した嘔吐物から生まれた神様です。あまり美しい神様ではなさそう。


Wikiで調べてみると、嘔吐物から生まれた他の神や、尿や大便、死体からも多くの神様が生まれています。古事記、恐ろしや。



金峯神社を通り越して前回は右手の西行庵の方から奥千本を見てぐるりと周って帰ったのですが、今回は西行庵には立ち寄らず、左手奥に進みます。


ここより女人結界。いよいよ山上ケ岳に向けて登山開始です。


遠くに見えるどれかが山上ケ岳なのでしょうか。ここからはよくわかりません。


途中にあったイラストマップ。標高のイメージがわかりやすい。四寸岩山を超えて、百丁茶屋跡が今日のゴールです。翌日は大天井ケ岳は攻めずに在来道で山上ケ岳に向かう予定です。


途中で意外なことに車道が現れます。黒滝村は江戸時代は林業で栄え、集落ができたのがいまでも村として続いているようです。



喋りながら舗装道路をラクに歩いていましたが、いよいよ四寸岩山(しすんいわやま、1236m)での登山道です。四寸とは12センチほどなのでそんなに大きな岩ではないのにどういう意味だろうかと調べてみると、どうやら弘法大師空海が結界として川や岩を聖域の地点としたことに由来するようです。どこかにその岩があるということなのでしょうか。


モノレールがありますが、どこの小屋に続いているのかな?


四寸岩山の頂上に近づいてきました。


杉の葉の周りに白いものが。これは霧氷と言われるもので、空気中の水分が凍り付いて葉に付着したものです。N氏が「ムヒョー」と意味不明のギャグを飛ばしたせいで、ただでさえ滑りやすいのに、危険度が増しました。



遠くの山も部分的に霧氷で白くなっています。


近くでみるとこんな感じ。


四寸岩山(1236m)山頂です。


ふと見ると、陽の光がスポットライトのように紅葉を照らしています。




頂上から少し歩くと、カレンフェルトと言われる石灰岩の柱が見られます。これは御池岳で多くみられましたが、風雨で浸食されたものというよりは岩が集まってきたように見える不思議な風景です。



iPhoneアプリのヤマレコマップでは二蔵宿小屋の場所が間違えていたのに驚きましたが、百丁茶屋跡は正確に表示されていました。実際は二つは同じ場所にあるのです。
本日のホテルが見えてやれやれ。でも11月は小屋は閉鎖されていて、テント泊を用意しています。


でも簡易トイレはちゃんと使えました。中には念仏が貼ってありました。さすが修験道の宿。


二蔵宿。御覧の通り中には入れません。


さあ、どこにテントを張ろうかと考えています。


三人が仲良く食事ができるようにエントランスを合わせました。ちなみに私のテントはおなじみのエスパース・ソロアルティメイト(フレンズ撮影)。
ちょっと意外だったのが、この小屋から歩いて15分であるはずの水場が枯れてしまっていたこと。たまたま多めに水を持ってきて良かったです。フレンドのS氏が心配そう。N氏は水なしでも生きられる体なので平気です。


今回の旅の一番サイコーだったのが、このハンバーグ。ふるさと納税で買った(もらった?)ハンバーグですが、冷たい空気のなか、山好きフレンズと山の話をしながら焼いて食べたのが最高でした。


早朝コンビニで買ったおにぎりもすっかり冷たくなっていたので一緒に焼いちまえ!ハンバーグの肉汁がしみ込んでこれもサイコー!


気温が5度程度だったようですが、テントの中は十分に寒く、いつものモンベルのシェラフに今回ISUKAのシェラフマットを被せましたが寒いので繭のなかに潜り込み、自分の吐く息で体を温めて寝ました。おかげで約10時間くらいよい睡眠がとれました。


さて翌朝6時前の真っ暗で冷え冷えした中、フレンズ二人は起きだしてバーナーで朝食の用意をし始め、仕方ないので私もノソノソとテントから顔を出し、カロリーメイトとハンバーグソーセージの朝食をとります。朝日が美しく、今日もいい天気になりそうです。


パッキングを終え、山上ケ岳目指して歩きはじめます。帰りが洞川(どろかわ)温泉の15:58のバスにならなければならず、山上ケ岳の頂上までいけるかどうかわかりません。


大天井ケ岳(1347m)には登らず脇道を通ります。


山と高原地図です。上の二蔵宿小屋の脇道の水が今回枯れていたところ。大天井ケ岳を通らない在来道には水場が二か所あるように書いています。点線は難路なのですが、特に難しい道ではありません。


水場は2箇所ともありましたが、沢水なので生で飲むには不安がありますが、S氏が採水します。



巨大な岩の下を通ります。グラっときたら一巻の終わり。


次のマイルストーンである五番関の案内です。


天狗岩山か勝負塚山か、霧氷で化粧された東側の山々が見えています。勝負塚山は名前の通り難易度の高い山でよく遭難者が出ているようです。


五番関到着。昔は付近に碁盤の目のような模様の岩があったことから碁盤関、それが五番関という名前になったそうです。ここから先は女人禁制です。実は私、女人禁制がまだ有効であるとは知りませんでした。想像した通り、大峰山の女人禁制反対運動はあるようです。


引用したサイトに掲載されていた女人禁制エリアの説明。山上ケ岳を中心とした約10km四方が今でも女人禁制を通しているようです。


ところどころに橋がありますが、特に危険な感じはしません。


倒木もありましたが、京都の山に比べれば少なかったです。ただザックが大きいのでどうしても引っかかってしまう。


鍋カツギ行者の祠。


S氏撮影。ついついふざけてしまう。


ここから今宿跡(1448m)まで登りです。再び霧氷が現れます。






S氏撮影。霧氷が陽と風でパラパラと舞い落ちるところをうまくシャッタスピードを合わせて撮っています。


青空をバックに、これは私の撮影。



洞辻茶屋までにまだピークがあるな、とは思っていましたが、突然現れたクサリ場。


岩の壁に足を引っかけながらクサリを掴んで登らないといけないし、霧氷の氷や落ち葉もあるわで、かなり神経をつかいました。


これはS氏が撮影してくれた私のショット。撮られていることに気づかず必死ですわ。


これがヤマレコで記録されたルートです。右下から左上にいって、洞辻茶屋で右方向の洞川温泉へ抜けていきました。大天井ケ岳の横から尾根の少し下を通って、左の白くなっているあたりが、このクサリ場のピークになります。



霧氷に飾られたピークを過ぎて一安心。


洞辻(どろつじ)茶屋到着。不動明王と、得意のポーズのN氏。洞川に通じる三叉路であることから洞辻というのでしょう。
洞川(ほらかわ)という川は全国にいろいろありますが、「どろかわ」と読むのは奈良だけです。おそらく石灰質の地質から鍾乳洞などのほら穴が多く、そこから洞川という名前が付いたのではないのでしょうか。


お茶屋さんは閉まっていましたが、かなり大きな茶屋です。


案内板です。左下からやってきて、現在地、右上に行くと山上ケ岳。今回は下方向に進みます。案内板は大峯大橋となっていますが、山と高原地図では清浄大橋。


これは大峯奥駆道。わかりやすい。


今回のランチはマルタイ棒ラーメンとスペシャルバージョン、山の棒ラーメン。


しじみ数百個のオルニチンやビタミンで増強された山登り用の棒ラーメン。これにN氏からもらった乾燥野菜とモチを投入して、大満足。


さて、この道を行くと山上ケ岳。左の樹々の後ろに山上ケ岳の頂上が見えています。ここから一時間の距離ですが、霧氷の雪と落ち葉で覆われていることから、時間とリスクから考えて今回は見送り。


拡大です。肉眼でも人が立っているところが見えたのですが、RX1Rの解像度の限界。


さて洞川まで約8kmの道を進むことにします。


途中で「お助け水」があるはずが、こちらも枯れていました。

さらに進んで一本松茶屋がこちら。今は茶屋はありませんが、柵で覆っただけのトイレがありました。


なんとこの祠に祀ってあった役行者の像を誰かが盗んだようです。「大峰山山内の石像を持っていかれても決してご利益はございません」と書いてあるところが、あまりにも良心的で胸が痛い。盗んだヤツは誰かに転売した単なるカネ目的かもしれないのに。
ここにある嶺霧露会(ねむろかい)の三ツ爺とよばれる立派な人物に関する記事を見つけた。大阪府警の退職金など一千万円以上の私費で多くの標識や石碑を設置したのだそう。


ついに清浄大橋の女人結界を出ました。


S氏のカメラで記念写真。


結界門のそばには新し目の役行者や明王の立派な像が。


橋の上から川瀬谷の川を望む。


しばらく歩くと、母公堂(ははこどう)にでる。役行者の母を祀っており、参拝できない女性信者がお参りに訪れる場所。


洞川の由来だと思われる鍾乳洞。かなりさびれている感がありますが、入れるのかな?


ネットを見るとこのような幻想的な場所のようです。


修験節律根本道場 蛇之倉七尾山。本格的な修行をする場所で、女性も受け付けているということ。真剣さが伝わってくる。


さてバス停が近づいてくると、打って変わって、高級温泉宿が立ち並ぶ。
こちらは光緑園西清。ちょっと仰々しいかな。


そこらじゅうにある陀羅尼助丸(だらにすけまる)のお店でも一番キレイで格式があるお店。役行者が葛城山で、オウバク(黄柏)のエキスを,陀羅尼経(だらにきょう)を唱えながら煮詰めたのが発端の胃腸薬。多くのお店があるけれど、現代の人がどれだけ買うのかな?と思ってしまう。


こちらは300年以上続く高級旅館。


一番泊まりたいなと感じたのが、この花屋徳兵衛という旅館。後鬼というのは、役行者の式神の夫婦の鬼のうち妻の鬼のこと。


アマゴ、イワナ、アユの塩焼き。アマゴを食べたが、たまらなく美味しかった。


予定通り15:58のバスに乗ります。臨時の下市口直通バスだったので京都に18:30頃到着しました。