2020年10月28日水曜日

比叡山、無動寺谷(千日回峰行の道)

 比叡山はすでに京都側からいくつかのルートで登山しているのですが、実は大津側にもいくつかのルートがあります。

今回はその中から、無動寺坂と言われるコースを登ります。

京阪坂本駅で下車、伝教大師最澄が生まれた場所に建てられたという生源寺(しょうげんじ)から南に折れてしばらくいったところから始まるのが無動寺坂

これが明王寺まで続いていて、そこから根本中堂、そして内部を特別公開している瑠璃堂を見学して、バスターミナルで京都に帰るというコースです。


この無動寺坂ですが、比叡山に脈々と伝わる千日回峰行という究極の修行のルートになっています。

これが修行に使われる回峰道のルートですが、全体で30キロ強あります。


ちなみに今回嫁さん連れで歩いたのはこの下半分のみです。


これを一周するだけでも、大変なのですが、なんと千日回峰行では、この無動寺回峰道をグルグル回ることで、

合計4万キロ歩く

そうです。

「ん?」

という反応しかないです。4万キロというと地球一周に相当する距離です。これを7年間かけて達成するといったプログラムになります。

具体的には、

1年目~3年目    30キロ/日 x 100日 x 3年 =9000キロ
4年目~5年目    30キロ/日 x 200日 x 2年 =12000キロ
堂入り行:後述>
6年目                60キロ/日 x 100日 x 1年 =6000キロ
7年目(前半)        84キロ/日 x 100日 x 1年 =8400キロ
7年目(後半)        30キロ/日 x 100日 x 1年 =3000キロ

総合計は38400キロですが、一周が30キロ強なので約4万キロというわけです。

しかも、もし途中でリタイアせざるを得なくなった場合は、持参の刀で切腹しなければならないという生死をかけたもの。

さて、京阪坂本駅を下車します。


坂本駅を出たところにある日本最古の茶園。最澄が初めて唐から茶の種を持ち帰り、805年にこの地に植えたそうです。先日訪れた宇治の茶畑を思い出します。


最澄生誕の地に建てられた生源寺(しょうげんじ)。12歳で出家、21歳で根本中堂の元となる草庵を創建し、37歳で桓武天皇から留学生として選ばれ唐にわたる。


その後、数多くの著を出したり論争を繰り広げるなどして天台宗を広げ、比叡山で54歳の生涯を閉じる。

空海と比べられることが多いですが、最澄は熱心に空海から密教を学んでいましたが、最後は、学問派の最澄を、実践派の空海が拒絶するという形で別れてしまったようです。

千日回峰行の開祖は、相応(そうおう)とされており、最澄とはひと世代ほど違っています。


生源寺から少し行くと日吉大社(ひよしたいしゃ)があります。日吉大社は、比叡山の古来からの地主神を祀っている神社なので、最澄よりも歴史が古く、のちに天台宗が力を増すに従って神仏習合となって山王権現が信仰対象となった。

日吉大社のお地蔵さん達。何やら古さを感じさせる。


比叡山への舗装された坂が出てきますが、無動寺坂はこの坂ではありません。


三上山が雲にかすんでいます。


この坂が無動寺坂。


坂の途中に大きな琵琶湖病院の駐車場があります。ほかに土地がなかったのでしょうか、病院の通いがそこそこ大変そう。


舗装道路が終わって山に入っていきます。


修行に使われる道だけあって、お地蔵さんがところどころに居られます。



紀貫之の墓に向かう道との分岐点。無動寺坂よりもロープウェイ寄りの道にあります。以前、この道を通って紀貫之の墓を訪れました。紀貫之は古今和歌集三十六歌仙のうちの一人です。



整備された歩きやすい道だと思っていると、突然丸太四本の橋が。


落ちても怪我はしなさそうですが、丸太が揺れるので結構気をつかう。


ナラタケでしょうか。食べられそうです。


柱状節理です。大文字山にも部分的に出てきます。


無動寺坂は景色はないのですが、ここだけ景色が開けます。雲海が地表を薄く覆っています。


三上山の拡大画像。


こちらは大津側の景色。


右を行くと再び紀貫之の墓へ続きますが左を進みます。


少し断崖の上を歩く部分もあり、それなりに注意が必要。


浅い沢が出てくるともう一息。


明王堂の境内が見えました。動物除けの柵で仕切られています。



この坂をあがると明王堂です。



ここからの景色も素晴らしい。大津プリンスホテルと近江大橋が見えます。

冒頭で説明した千日回峰行の6年目の最初、700日目には堂入りという特別の修行がこの明王堂で行われます。


堂入り行の初日には、生き葬式が行われます。死ぬかもしれないから先に葬式をしておこうということのようです。

その後、断食、断水、不眠、不臥の状態で九日間、不動明王の呪文を唱え続けます
YouTubeに堂入りのビデオがありますが、最後の方は感覚が異常に鋭敏になり、臭いで誰がいるかがわかったり、線香の灰の落ちる音が聞こえるそうです。


ここから少し歩いて弁天堂に向かいます。




弁財天は水の神であり、仏にお供えする水のことを 閼伽水(あかみず)と呼びます。こちらも神仏習合なのでしょうか。
閼伽は、サンスクリット語の功徳水の意味であるアルガから来ているそう。


ケーブル延暦寺駅に進みます。



ケーブル延暦寺駅。


屋上からの景色です。無動寺坂からも見ましたが雲海の景色はやっぱり珍しい。


案内図。比叡山、無動寺谷、東塔、西塔、横川の位置関係がわかりやすい。


色づき始めた紅葉。



以前も訪ねましたが、浄土院。最澄の御廟です。


きれいに掃かれた白砂がきれいです。



マムシグサ。こないだ観音峯で見たまだら色でなく真っ赤なので毒草には見えませんが、口に入れたらアカン。





無動寺の弁財天とはまた別の箕淵弁財天。


石のベンチの上だけが紅葉になっていて絵になる。


にない堂。この二つの堂の間の渡り廊下に肩を入れて弁慶が担ぎ上げたという伝説がある。


こんかいの最後の目的地である瑠璃堂です。織田信長の焼き討ちでかろうじて焼け残った貴重な建物。


今回内部を特別公開していました。もちろん撮影禁止なのですが、京都新聞のサイトに写真があったので借用。