このルートは京都一周トレイルのコースの一部なので道は整備されていて歩きやすく、お寺巡りが趣味の奥さんと一緒です。
比叡山から横川中堂まで3時間ほどかかるので、比叡山の四明ケ岳駐車場までは、叡山電鉄の八瀬駅から、ケーブルカーとロープウェイに乗り継いでいきます。
叡山電鉄の八瀬駅です。コロナ緊急事態宣言が解除されてから半月以上経ちますが、インバウンド客だけでなく他県の人も少ないので、閑散としています。
最近補修されたように見える木造橋を渡ってケーブル八瀬駅に向かいます。
高野川です。
こちらケーブル八瀬駅。最近は何でもアニメキャラにしてしまいますが、八瀬かえでというキャラがお出迎え。
始発の9時の便に乗ると、日本手ぬぐいをもらいました。「一々労不惜(いちいちろうふしゃく)」と書いてあります。「労」とは、働くことではなく、「労り(いたわり)」のことで、コロナウィルスで苦しむ世界でこそ、周りの人々への労りの心が大切ということで、令和二年の比叡山の言葉だそうです。
一々労不惜の言葉とは別に、比叡山全体では「一隅を照らす」という言葉がそこここに掲示されています。社会の中のほんの一隅でもよいので、人の役に立つことをしようということだと私は理解していますが、この資本主義、消費社会の世の中、これが出来ていると言える人は自分も含めてなかなかいないものです。
ケーブルカーのお次はロープウェイ。ロープウェイの間隔は短いので歩いて行く人も多いです。
山頂に到着しましたが、残念ながらガーデンミュージアムは休園です。
遊園地と違って、草花の世話は続けないといけないので、営業的にも大変かと思います。
ここから四明ケ岳駐車場に出て、そこからしばらく歩くと大比叡の三角点があります。
特に眺望もありません。
小さくて可愛らしい花が咲いています。サクラソウかな。
一見道のなさそうなところをしばらく歩くと山道になります。途中に大きなコンクリートの建物跡のような土台がありますが、何があったのかわかりません。
ここで分岐。釈迦堂へは左に進みます。「智証大師御廟これより東半町」と書いてある。
智証大師とは円珍(えんちん)のことで、天台宗の僧。空海の甥。
浄土院に向けて長い階段を降りる。
浄土院。伝教大師最澄の御廟です。禅寺の庭のように掃いてあります。
最澄は天台宗の開祖。延暦寺を建てた人です。大津の生まれで、37歳で空海と共に遣唐使船で唐にわたり天台教学を学びます。54歳で亡くなりました。
「一隅を照らす。これ則ち国宝なり」
という言葉は、最澄が山家学生式(さんげがくしょうしき)という仏教書に書いた言葉なのです。決して、金銀財宝が宝なのではないですよ、というありがたいお言葉。
浄土院に咲いていたアヤメ。今年はカキツバタ、ハナショウブと見てきましたが、やはりアヤメの花模様は豪華です。
にない堂。写真の常行堂は阿弥陀如来を祀り、もう一つの法華堂は普賢菩薩を祀っています。この二棟が廊下でつながっており、ここに弁慶が肩をいれて担いだという逸話から、担い堂という名前が付いています。
超人ハルクならできるかも。。。
この常行堂では、常行三昧という修行が行われ、その修行というのが、90日間、阿弥陀如来の周りをひたすら歩き続けるというものだそうです。寝る時も座ったり横になったりすることは許されないと。
私も食事は登山中に歩きながら済ませることもありますが、トイレなんかはどうするのでしょうか?
比叡山には紙芝居的な看板が数多く立っていますが、釈迦堂の前には仏陀の物語がありました。
その中での降魔編がこちら。今コロナウィルスが終息しつつあるなかで、少数ではあるが、依然としてクラスターを発生させ続けている新宿歌舞伎町のキャバクラを彷彿させます。
こういう場所は、太子のように毅然と跳ねつけることで、伝染病にもかからないと。というか、行かなきゃいいんですが。。。
こちらが釈迦堂です。第二世天台座主である寂光大師円澄によって開かれ、豊臣秀吉によって三井寺から移設された建物です。
名前の通り釈迦如来が本尊です。
釈迦堂そばのベンチでコーヒーを入れて、奥さん持参のチーズケーキを食べてから、元三大師道とよばれる横川中堂への尾根道に入ります。約4キロの道のりなので結構あります。
山道なので、多少のアップダウンはありますが、歩きやすく、気持ちの良い道です。
ガスってますが、八瀬のあたりが見えます。
こちら玉体杉(ぎょくたいすぎ)。御所の玉体を守護している杉という意味。
ここが秋元町登山口と京都一周トレイルの交差点。
秋元町登山口から登った記事はこちら。前回もここから横川中堂まで行って、雄琴温泉駅まで歩きました。秋元町登山口からここまでの道が台風の後だけあって、かなり荒れていて大変だったのを覚えています。
三体のお地蔵さんは、以前は赤い前掛けをかけてました。
奥比叡ドライブウェイのトンネルをくぐって歩くと、古事記の神様、山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)が、この岩に座って琵琶湖で魚釣りをしたと岩がありました。
ゴジラなみの大きさです。
「ゴジラなみ」と言いましたが、シンゴジラの身長118メートルでは、到底ここから琵琶湖で釣りを楽しむことはできません。ゴジラ、意外に小さいやん。
山末之大主神、別名、大山咋神(おおやまくいのかみ)の身長を推察するならば、800~1000メートルくらいないと、ここから琵琶湖で釣りはできません。
ちなみに、世界最高の建造物は1000メートルのサウジアラビアのキングダムタワーですが、2017年に工事が中断しており、2020から再開する予定だそう。
それに比べて、ゴジラのなんと小さいことか。。。大山咋神に軽く踏みつぶされそう。
少し足がだるくなりかけたくらいに横川地域にやってきました。
横川中堂への階段です。イロハモミジの新緑が美しい。
横川中堂のなかでお参りをします。横川中堂は、第三世天台座主である慈覚大師円仁によって開かれました。釈迦堂の円澄の跡継ぎですね。
ご本尊の聖観音菩薩のお姿がとても流麗で美しい(ネットより)。
こちら鐘撞堂。秋でもないのに紅葉しているモミジが多いのですが、これは、感覚がバカになってしまったのではなくて、野村楓、別名ノムラモミジと言われる種類。
初夏に紅葉、真夏に緑、そして秋になると再び紅葉するらしい。
ノムラモミジと新緑のモミジのミックスが美しい。
恵心堂です。天台宗第18代座主の良源が、源信に教えを施したのがここ。
源信は座主にはならなかったけれど、往生要集という仏教書を書いたので有名。仏を思い、ひたすら念仏を唱えることに大事をおく教えで、浄土宗の基礎となった。
最後に訪れたのが、元三大師御廟(がんさんだいしみみょう)。
誕生日が正月三日であったことから名のついた元三大師は、さきほど源信に教えを施した良源のことで、延暦寺の中興の祖として知られています。
中興の祖というだけあって、良源の前は、僧兵たちが暴れて規律なく荒廃していた比叡山に規律を取り戻し、根本中堂を壮大な堂に再建した。
だが、なんといっても元三大師が最も親しまれているのは、角大師(つのだいし)という名前で厄除けとして、降魔札が今でも京都の民家に貼られていることでしょう。
この絵は、元三大師が、疫病神を降ろした際、変身した姿が鏡に映ったものを弟子が描きとったものと言われています。
でもなんとなく笑っているようにも見えます。
今世界を苦しめている疫病神はコヤツです。たくさんの角が生えています。
さてこの元三大師御廟ですが、元三大師の要望で、表鬼門の東北に建てられました。亡くなっても京都を守ろうという意志がすごいですね。
そもそも比叡山自体が、京都の鬼門。その比叡山の鬼門にある横川のさらに東北なので、最終防衛地点。
この御廟の奥の石の柵で囲まれたなかに、キノコのような形をした奇妙な石柱があります。しかも真ん中に位置せず、少しずれたところにあります。
これがいったい何なのか調べてみましたがわかりませんでした。
私がまっさきに連想したのはトルコのカッパドキアだったのですが、まあ関連性はないでしょう。
このあとは、横川から約10分、バスに乗り、延暦寺バスセンターまで行き、奥様のリクエストで延暦寺会館で梵字コーヒーを飲み、そのあと坂本ケーブルで下山しました。
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