名前の通り一休さんのお寺です。
一休寺は正式名を、酬恩庵(しゅうおんあん)といい、京都の大徳寺派のお寺です。
鎌倉時代の半ばに開かれたのですが、鎌倉時代終わりに後醍醐天皇が起こした元弘の乱で寂れてしまったところ(後醍醐天皇の隠岐島に流刑)、室町時代の半ばに、一休が81歳の時に草庵を結び、88歳で亡くなるまでここで過ごしたそうです。
お寺の名前は、開祖の南浦紹明の恩に酬いるということで、酬恩庵となったそう。
こちらが境内図。「庵」というだけあり、そんなに大きなお寺ではありません。
後ろに山が控えているのですが、ここだけの丘陵のようで、うまい具合に場所を選んだものです。すぐ後ろに樹木が伐採されている部分は太陽光発電ではなくてお墓です。お寺の大きさに比較してお墓はかなり大きいです。
京都市内から車で1時間弱、京田辺市にあります。お寺の門をくぐると、別世界のような静かな石廊が続きます。
イロハモミジの枝が屋根を覆うかのように伸びるために、支柱が立てられています。
珍しく沙羅です。ちょうど今の季節ですが、沙羅は一日花で、朝に咲いて夕方には落ちてしまいます。ナツツバキとも言われています。
方丈とその周りのお庭です。方丈は僧侶の住居という意味です。
小雨の音と風景がよかったので動画にしてみました。
禅苑庭園式の南庭です。背景の屋根は一休禅師のお墓で、宗純(そうじゅん)王廟と呼ばれている。宗純とは一休さんの戒名です。
加納探幽の襖絵。複製ですが。
一休寺のサイトから。方丈の中央には一休禅師の木像が置かれています。
ありがたい僧侶と言うよりは、その辺にいるオッチャンみたいです(失礼!)
大小の石が並べられている東庭は十六羅漢の名がつけられている。
マラリアは、熱帯の病気というイメージがありますが、日本では昔から、瘧(おこり)という名で知られており、平清盛もマラリアで亡くなったと言われている。源氏物語の光源氏も瘧(おこり)にかかったという話がります。
調べてみると京都でも毎年数件のマラリア患者が発生しているようです。今ではキニーネなどの治療薬やワクチンもあるので昔ほど恐ろしい病ではなくなってはいます。
COVID-19もいずれそうなるのでしょうが。
一休さんの銅像。ちょっとアニメに近いイメージ。こちらのお寺に来たときはもう81歳なので、小坊主一休が酬恩寺の庭を掃くという姿は実際にはない。
とんち好きのイメージのある一休さんですが、実際は形式化、形骸化した仏教世界を批判した人物で、飲酒や肉食は当然のこと、阿弥陀如来像を枕に昼寝をしたりしたそうです。
ハスの花が咲いています。
有名な「とんち」の一つですね。本当に渡らずに引き返す人も多いのでは?
私は当然、真ん中を歩きましたが。
ユニークな小型のモアイ像のようなものがたくさん置かれていました。像の裏には寄進者の名前が彫られています。
アジサイが咲いています。
一休寺のあとは、近くということで、蟹満寺(かにまんじ)に行きました。このお寺は、以前、山背古道を歩いた際にも訪れています。
こちらのご本尊である銅造釈迦如来坐像は国宝で、飛鳥時代後期の作とされています。ただ、蟹満寺の本尊は以前は観音菩薩だったそうで、この釈迦如来像の出どころはわからないそうです。
いろんなところに蟹が隠れています。「ウォーリーを探せ」のようです。
前回、訪れたときは営業していなかった古民家カフェ、蟹印(カニイン)が営業していたので、入ってみましたが、古民家という名のわりには清潔でおしゃれな空間で、サービスもとても丁寧。
おいしいコーヒーと、おはぎのセットを頂きました。
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