2020年6月6日土曜日

大比叡から横川中堂

比叡山には、いろんなルートから登りましたが、尾根沿いを歩いたことがなく今回行ってきました。


このルートは京都一周トレイルのコースの一部なので道は整備されていて歩きやすく、お寺巡りが趣味の奥さんと一緒です。

比叡山から横川中堂まで3時間ほどかかるので、比叡山の四明ケ岳駐車場までは、叡山電鉄の八瀬駅から、ケーブルカーとロープウェイに乗り継いでいきます。


叡山電鉄の八瀬駅です。コロナ緊急事態宣言が解除されてから半月以上経ちますが、インバウンド客だけでなく他県の人も少ないので、閑散としています。


最近補修されたように見える木造橋を渡ってケーブル八瀬駅に向かいます。


高野川です。


こちらケーブル八瀬駅。最近は何でもアニメキャラにしてしまいますが、八瀬かえでというキャラがお出迎え。

始発の9時の便に乗ると、日本手ぬぐいをもらいました。「一々労不惜(いちいちろうふしゃく)」と書いてあります。「労」とは、働くことではなく、「労り(いたわり)」のことで、コロナウィルスで苦しむ世界でこそ、周りの人々への労りの心が大切ということで、令和二年の比叡山の言葉だそうです。


一々労不惜の言葉とは別に、比叡山全体では「一隅を照らす」という言葉がそこここに掲示されています。社会の中のほんの一隅でもよいので、人の役に立つことをしようということだと私は理解していますが、この資本主義、消費社会の世の中、これが出来ていると言える人は自分も含めてなかなかいないものです。

ケーブルカーのお次はロープウェイ。ロープウェイの間隔は短いので歩いて行く人も多いです。


山頂に到着しましたが、残念ながらガーデンミュージアムは休園です。
遊園地と違って、草花の世話は続けないといけないので、営業的にも大変かと思います。


ここから四明ケ岳駐車場に出て、そこからしばらく歩くと大比叡の三角点があります。
特に眺望もありません。


小さくて可愛らしい花が咲いています。サクラソウかな。


一見道のなさそうなところをしばらく歩くと山道になります。途中に大きなコンクリートの建物跡のような土台がありますが、何があったのかわかりません。


ここで分岐。釈迦堂へは左に進みます。「智証大師御廟これより東半町」と書いてある。
智証大師とは円珍(えんちん)のことで、天台宗の僧。空海の甥。



浄土院に向けて長い階段を降りる。


浄土院伝教大師最澄の御廟です。禅寺の庭のように掃いてあります。


最澄は天台宗の開祖。延暦寺を建てた人です。大津の生まれで、37歳で空海と共に遣唐使船で唐にわたり天台教学を学びます。54歳で亡くなりました。

「一隅を照らす。これ則ち国宝なり」

という言葉は、最澄が山家学生式(さんげがくしょうしき)という仏教書に書いた言葉なのです。決して、金銀財宝が宝なのではないですよ、というありがたいお言葉。


浄土院に咲いていたアヤメ。今年はカキツバタ、ハナショウブと見てきましたが、やはりアヤメの花模様は豪華です。


にない堂。写真の常行堂は阿弥陀如来を祀り、もう一つの法華堂は普賢菩薩を祀っています。この二棟が廊下でつながっており、ここに弁慶が肩をいれて担いだという逸話から、担い堂という名前が付いています。

超人ハルクならできるかも。。。

この常行堂では、常行三昧という修行が行われ、その修行というのが、90日間、阿弥陀如来の周りをひたすら歩き続けるというものだそうです。寝る時も座ったり横になったりすることは許されないと。

私も食事は登山中に歩きながら済ませることもありますが、トイレなんかはどうするのでしょうか?


比叡山には紙芝居的な看板が数多く立っていますが、釈迦堂の前には仏陀の物語がありました。

その中での降魔編がこちら。今コロナウィルスが終息しつつあるなかで、少数ではあるが、依然としてクラスターを発生させ続けている新宿歌舞伎町のキャバクラを彷彿させます。

こういう場所は、太子のように毅然と跳ねつけることで、伝染病にもかからないと。というか、行かなきゃいいんですが。。。



こちらが釈迦堂です。第二世天台座主である寂光大師円澄によって開かれ、豊臣秀吉によって三井寺から移設された建物です。

名前の通り釈迦如来が本尊です。


釈迦堂そばのベンチでコーヒーを入れて、奥さん持参のチーズケーキを食べてから、元三大師道とよばれる横川中堂への尾根道に入ります。約4キロの道のりなので結構あります。


山道なので、多少のアップダウンはありますが、歩きやすく、気持ちの良い道です。


ガスってますが、八瀬のあたりが見えます。


こちら玉体杉(ぎょくたいすぎ)。御所の玉体を守護している杉という意味。


ここが秋元町登山口と京都一周トレイルの交差点。
秋元町登山口から登った記事はこちら。前回もここから横川中堂まで行って、雄琴温泉駅まで歩きました。秋元町登山口からここまでの道が台風の後だけあって、かなり荒れていて大変だったのを覚えています。


三体のお地蔵さんは、以前は赤い前掛けをかけてました。


奥比叡ドライブウェイのトンネルをくぐって歩くと、古事記の神様、山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)が、この岩に座って琵琶湖で魚釣りをしたと岩がありました。
ゴジラなみの大きさです。


「ゴジラなみ」と言いましたが、シンゴジラの身長118メートルでは、到底ここから琵琶湖で釣りを楽しむことはできません。ゴジラ、意外に小さいやん。


山末之大主神、別名、大山咋神(おおやまくいのかみ)の身長を推察するならば、800~1000メートルくらいないと、ここから琵琶湖で釣りはできません。

ちなみに、世界最高の建造物は1000メートルのサウジアラビアのキングダムタワーですが、2017年に工事が中断しており、2020から再開する予定だそう。

それに比べて、ゴジラのなんと小さいことか。。。大山咋神に軽く踏みつぶされそう。


少し足がだるくなりかけたくらいに横川地域にやってきました。


横川中堂への階段です。イロハモミジの新緑が美しい。


横川中堂のなかでお参りをします。横川中堂は、第三世天台座主である慈覚大師円仁によって開かれました。釈迦堂の円澄の跡継ぎですね。


ご本尊の聖観音菩薩のお姿がとても流麗で美しい(ネットより)。


こちら鐘撞堂。秋でもないのに紅葉しているモミジが多いのですが、これは、感覚がバカになってしまったのではなくて、野村楓、別名ノムラモミジと言われる種類。

初夏に紅葉、真夏に緑、そして秋になると再び紅葉するらしい。


ノムラモミジと新緑のモミジのミックスが美しい。


恵心堂です。天台宗第18代座主の良源が、源信に教えを施したのがここ。


源信は座主にはならなかったけれど、往生要集という仏教書を書いたので有名。仏を思い、ひたすら念仏を唱えることに大事をおく教えで、浄土宗の基礎となった。


最後に訪れたのが、元三大師御廟(がんさんだいしみみょう)。

誕生日が正月三日であったことから名のついた元三大師は、さきほど源信に教えを施した良源のことで、延暦寺の中興の祖として知られています。

中興の祖というだけあって、良源の前は、僧兵たちが暴れて規律なく荒廃していた比叡山に規律を取り戻し、根本中堂を壮大な堂に再建した。


だが、なんといっても元三大師が最も親しまれているのは、角大師(つのだいし)という名前で厄除けとして、降魔札が今でも京都の民家に貼られていることでしょう。

この絵は、元三大師が、疫病神を降ろした際、変身した姿が鏡に映ったものを弟子が描きとったものと言われています。

でもなんとなく笑っているようにも見えます。


今世界を苦しめている疫病神はコヤツです。たくさんの角が生えています。


さてこの元三大師御廟ですが、元三大師の要望で、表鬼門の東北に建てられました。亡くなっても京都を守ろうという意志がすごいですね。

そもそも比叡山自体が、京都の鬼門。その比叡山の鬼門にある横川のさらに東北なので、最終防衛地点

この御廟の奥の石の柵で囲まれたなかに、キノコのような形をした奇妙な石柱があります。しかも真ん中に位置せず、少しずれたところにあります。

これがいったい何なのか調べてみましたがわかりませんでした。


私がまっさきに連想したのはトルコのカッパドキアだったのですが、まあ関連性はないでしょう。


このあとは、横川から約10分、バスに乗り、延暦寺バスセンターまで行き、奥様のリクエストで延暦寺会館で梵字コーヒーを飲み、そのあと坂本ケーブルで下山しました。

2020年6月4日木曜日

平安神宮神苑のハナショウブと琵琶湖疎水

平安神宮の神苑のカキツバタは以前記事にしましたが、5月の終わりはカキツバタが終わり、ハナショウブの季節となります。

白川沿いを歩きます。先に見える近代的なビルが、京都近代美術館です。


平安神宮の応天門。緊急事態宣言は解除されましたが、朝9時頃ということもあり人気はまばら。


拝殿の西から神苑に入場します。

桂の木。前回来た時も全く同じ構図で撮影していました。


さて、いつも使わせてもらっている、アヤメ、カキツバタ、ハナショウブの違い。中央の線が黄色になっているのがハナショウブ。



白いハナショウブもあります。


池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)で、池の周りを周りながら鑑賞するデザインになっています。




いっぱい咲いているのだけれど近くで鑑賞できるのは少ない。



スイレンの花も咲いています。
蓮(ハス)の花と見間違いやすいのですが、ハスの花は水面から茎が出て咲くのに対して、スイレンは水面に浮かぶように咲きます(わかりやすい説明図がネットにあったので借用しました)。



ハスは7月から8月、スイレンは5月から10月にかけて咲きます。両方とも朝に咲いて午後には閉じてしまいますので、朝しか見れません。ただスイレンの花の寿命は比較的長いのに対して、ハスは4日目には枯れてしまいます。


7代目小川治兵衛が設計した池泉回遊式庭園ですが、池を飛び石で渡る遊び心も取り入れています。この飛び石は臥龍橋 (がりゅうきょう)という名前が付いていて、この石は、豊臣秀吉の時代に造営された三条大橋と五条大橋の橋脚が再利用されています。


東神苑の泰平閣。もともとは御所にあった建物を移築したもので、内部は回廊となっており大きな池を渡る橋になっています。

写真だと小さすぎますが、借景の山の頂上には将軍塚がきれいに見えます。


泰平閣から池を眺めます。


2020年3月にリニューアルした京都市美術館。「京都市京セラ美術館」という名前です。お金は出したのでしょうが会社名がど真ん中にあるのが奥ゆかしくない。

とは言うものの京都の画家を中心に日本画や西洋画を楽しむことができました。


京都市美術館を訪ねたあとは、琵琶湖疎水沿いを歩きますが、その始点にある天智天皇陵に行きます。

天智天皇陵は地下鉄東西線の御陵駅(みささぎえき)から歩いてすぐです。


神武天皇陵ほどではありませんが、樹々の間の参道をしばらく歩きます。


天智天皇は第38代天皇で、中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)という名前の方がポピュラーです。中臣鎌足と手を組んで曽我氏を滅亡においやり、天皇を中心とした国家を形成する元となった大化の改新を成し遂げた人物です。


大化の改新後、百済救済のため白村江(はくすきのえ)の戦いを起こすが敗れ、唐の復讐を恐れて、京都より奥まった近江大津宮に遷都した。

天智天皇の息子である大友皇子と、天智天皇の弟である大海人皇子の戦いが壬申の乱で、勝利した大海人皇子は天武天皇となる。

このあたりを私が好きな小説家の一人である黒岩重吾さんが歴史小説にしていますので、興味ある方はどうぞ。


新緑におおわれた木をフロントに。今回のベストショット。


さきほどの参道を引き返します。


琵琶湖疎水ウォークですが、京阪電車のサイトのマップが充実しています。
蹴上から大津まで歩けるようですが、今回はその一部、御陵から京阪山科までの区間を歩きます。

京阪電車サイトの詳細マップです。天智天皇陵から黄色の蛍光ペンの部分が今回のルートです。


参道脇に、琵琶湖疎水沿いの歩道の入り口を示す擦れた看板があります。


最初は疎水というか側溝のような水路を歩く。この辺りの人家が静かで緑も多く、すこし羨ましい。


ここからが疎水の本道ですが、とても立派な構造物であるのと、緑が非常に豊富なところに空から陽の光が差し込み、散歩には最高のルートです。
ただ、今の時期(コロナ警戒中)のこともあるせいか、人影がまばらで、少し寂しい気もします。


先に山科の諸羽山(もろはやま)が見えてきます。


琵琶湖疎水の下を川が通り抜けています。これは大文字山から毘沙門堂門跡の横を通って、山科川に合流する川です。


安朱橋(あんしゅばし)です。今年3月にここから三井寺まで歩いたときは、ちょうどこのあたりに菜の花が咲き誇っていました。


ここから諸羽山を抜けるトンネルです。トンネルの中も歩けそうですが通行不可。でも一直線でトンネルの先の光が見えます。

ちょうどトンネルの上に人家、しかも立派な家が建っているのが面白いです。

ここから疎水沿いではないのですが、東山自然緑地、疎水公園と気持ちの良い道が続き、そこから南へ降りて山科駅から帰路につきました。