2021年3月20日土曜日

【丹波篠山】白髪岳

 桜の季節の到来です。体の筋肉が緩んできて気持ちも朗らかになってきます。

京都御所の近衛邸跡に行くと、しだれ桜が満開になっています(写真はiPhone)。緊急事態宣言が解除されましたが、例年に比べると人手が少なくベンチに座ってゆっくり鑑賞できるのはありがたいです。


さて、今回は丹波篠山で人気の関西百名山の一つである白髪岳(しらがだけ)に前の会社の友達たちと登ります。

篠山城跡から南西の方角で車で20分ほどの距離です。JRの古市駅からもアクセス可能なようです。

ルートですが、住山地区の空き地に駐車して白髪岳に登頂し、そこから右に周回して、もう一つの山である高尾山に登ります。歴史的には高雄山の方が意味深い山で、周辺の史跡を辿りながら不動の滝を観てから元の位置に戻ります。


こちらが詳細なルートです。駐車場から長い林道が続きます。白髪岳頂上手前に岩場地帯がありますが、注意して登ればこわくはありません。頂上から先はとても歩きやすい道なので初心者でも楽しめる登山ルートだと思います。

歩行距離約9Km、標高差約450mで所要時間は4時間半でした。


駐車ポイントは7、8台程度が停められる場所です。土曜日だったので9時前でしたがすでに3台ほど停まっていました。


今回は久しぶりの4人のパーティーです。



さきほどの写真の案内版です。道路の先から白髪岳の登山口までの林道を「ワン谷」林道と呼ぶようです。桜はまだつぼみでしたが、案内版にあるワン谷の桜は名所のようです。


「ワン谷」とは何だろうと話しながら歩いていましたが、ワンコではなく、鰐(わん)谷でした。鰐はワニの漢字なのですが、こんなところにワニが出たはずもありません。

調べてみるとワニが付く地名は、粘土質の赤土を現す「ハニ」から「ワニ」に変化したというのが通説のようです。この近くには丹波焼の中心地であったことを考えると赤土説で間違いないと思います。

一般的に神様の名前と同様、地名は非常に当て字が多く、漢字に意味がないことが多いのです。「夜露死苦」みたいなもんです。

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丹波篠山のサイトにこのあたりの住山地区の昔話を見つけました。ワン谷の猟師が自分が鉄砲で撃った雌鹿が死ぬ間際に苦しみながら小鹿を生んだのを見て、猟師を辞める決意をして小鹿を育てたという泣ける話です。

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登山口からは一気に300メートルほど急坂を登って行きますが、ジグザグに整備されているので歩きやすいです。


駐車場からは隠れて見えなかった白髪岳が見えてきました。


関西100名山の人気の山だけあって整備された道は歩きやすい。


...と思いきや、頂上にかなり近づいたあたりで岩場が現れます。


写真で見るとオソロしそうに見えますが、岩の突起に手で掴める場所が多いので比較的安心して登れます。



このあたりが一番の岩場。注意して進みます。


連なる岩場の向こうは神戸です。うっすら見えるのは六甲山だと思います。


白髪岳山頂に到着。頂上は広くて、全方向に視界が広がります。多紀連山も端から端まで見渡せました。天気の良い日は瀬戸内海まで見えるそうです。


記念写真。


少し休憩したら、さっそく松尾山に向けて周回コースを進みます。両側にしっかりとロープが張られています。


途中に水山という名前の頂点を越えます。689mなので松尾山よりも高いのですが、白髪岳から近すぎるのか名前は売れていないようです。

松尾山に行く手前に、登山口のワン谷へのショートカットがありました。このルートなら岩場を行かないで白髪岳山頂に行けますね。


振り返ると白髪岳頂上が見えます。形がよいので丹波富士とも呼ばれるそうですが、明智光秀の八上城(やかみじょう)で有名な高城山のほうが丹波富士としては有名ではないかと思います。

山頂の岩場が白く光ったので白髪岳と言われるようになったのかな、と想像します。


尾根の廊下。


尾根沿いでなく白髪岳と松尾山を一直線に結ぶルートとの十字路である「鐘掛の辻」。丹波篠山では修験者が多かったので、大峰山の難所である鐘掛岩を意識したのかも知れません。


80メートルほど登れば山頂です。岩場もなく歩きやすい。


松尾山山頂に到着しました。12時前ですがランチにします。どん兵衛カレーが美味い。


こちらの山頂は白髪岳の山頂よりも広々としていますが、ここには城があったのです。

酒井氏は応仁の乱の後に丹波で勢力を誇りましたが、その後波多野氏に敗れて波多野氏の傘下で存続しますが、明智光秀の丹波攻めの際には、より攻められにくい山頂に城を築いたとのことです。それでも酒井氏は、結局は波多野氏と同時に光秀に滅ぼされてしまいます。


千年杉という名のついた二本ペアの杉の巨木


巨大な岩石が外に突き出しています。「仙の岩」と書かれていますが、「XXの覗き」のように修験者が修行に使っていたのかも知れません。


撮ってもらいました。もうちょっと先まで行けたのですがこの辺で。


岩が多いですが比較的歩きやすいです。とても楽しそうなN氏。


「卵塔群」と呼ばれる場所に出てきました。


こういった卵形の墓石を「無縫塔(むほうとう)」と呼び、僧侶の墓として使われたそうです。


愛宕堂と書かれた祠。


途中に高仙寺本堂跡に出てきました。さきほどの卵塔群は、こちらのお寺の僧侶の墓だったのでしょう。


本堂の基礎が残っています。この場所にあったのが本堂(七堂伽藍)ですが、ここ以外にも26の坊舎(僧侶が住む場所)があったらしいのでかなり大きなお寺だったのでしょう。


「大化元年に法道仙人が開基」と書いてありますが、あの大化の改新の大化は、日本の元号の一番最初ですので、かなり神話に近いです。


法道仙人という名前は初めて耳にしましたが、インド人で雲に乗って日本に渡ってこられたそうです。主に瀬戸内寄りの近畿地方で名前が聞かれるようです。


ここからは最後の名所である不動の滝に向かいます。すこしロープ場がありますが、特に難しくはありません。先日行った筱見四十八滝の方がスリリングでした。


こちらが不動の滝。

ここ数日雨が少なかったせいもあり、水量は少なかったのですが、不動の滝の名の通り、雄々しい姿です。


しばらく行くと林道に出ます。


林道沿いに、和紙や紙幣の原料になるミツマタの大群が黄色い花を咲かせていました。いまでも紙幣の原料として活躍していますが、残念ながら、ほとんどはネパール産になっているようです。



2021年3月10日水曜日

亀山城址

 亀岡市は、以前亀山だったのですが、三重県の亀山市と重なるという理由で、明治政府によって強制的に亀岡に改名させられます。今では、亀岡市の方が亀山市よりも人口が二倍近いのですが、当時は何か政治的な力関係があったのかも知れません。

ですので、亀岡市にあったお城は、亀山城なのです。

こないだ大河ドラマが終わった「麒麟がくる」の明智光秀が京都の西を守る拠点として建設した城で、三重の堀で城下町までまるごと囲むという総曲輪(そうぐるわ)と言われる本格的な城です。

(亀山城パンフレットより)

ちなみに丹波篠山の篠山城は、徳川家康が建てた城で、亀山城に部下の大名を入城させると同時に、篠山城の築城を始めています(1609年)。

京都の西を城の二段構えで睨みをきかせたわけです。

その五年後に大坂の陣で豊臣家を滅ぼしてしまいます。


篠山城址に向かう途中、梅が満開の季節になりました。


城址の入り口に「おほもと」と書いてありますが、ここは実は宗教団体の大本教が所有する敷地なのです。


日本の歴史上重要な城址を、新興宗教団体が乗っ取っているようで、第一印象はあまり良くないのですが、これには非常に複雑な歴史があります。


明治になって撮影された写真(Wikiより)を見るとまだ完全に城の形を保っていたようですが、その後の明治政府による廃城令で陸軍にとって価値のない城は全て廃棄され、亀山城も解体され、「城売り」といわれた商人たちによってバラバラに切り売りされてしまいます。

荒廃した状態の城址を大本教の教祖である出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)が大正時代に全部買い取ったというわけです。

もしも買い取っていなければ、今のようにまとまった形の城址にはなっていなかった可能性があるので、歴史保存という意味では良かったのではないかと思います。
しかも王仁三郎は亀山城に思い入れがあったので埋もれた石を掘り起こしてまで以前の城郭を復元すべく信者一同で工事をしたそうです。

ところが、王仁三郎は、B29が日本国土に爆弾の雨を降らせることをにおわせるような予言をしたり、信者に多くの軍人が増えつつあったため、不敬罪として大本教は強く弾圧され(大本事件)、昭和の初めには当時亀山城址にあった神殿施設は、1500発のダイナマイトで徹底的に破壊しつくされるという事態にまで発展しました。

太平洋戦争後、不敬罪は解消され所有権も大本に戻り、昭和21年から再修復を始めて今にいたるというわけです。


こちらが天守エリアへの入り口の門です。この前に大本の事務所で入場料の300円を払いました。


復元された天守の石垣。下から約三分の一は、明智光秀築城当時の石組み跡を残しているそうです。とは言うものの、新しく復元した部分との境目はよくわかりません。


石垣を上から眺めた図。敷地内は毎朝百人くらいの信者が清掃されているそうで、非常に美しく維持管理されています。


天守の高台から見えるのは愛宕山から保津川をはさんで南にある、みすぎ山。
この高台には、大本教の聖地である国魂岩で組み上げられたドームがありますが、撮影禁止です。

大本では世界平和と統一を理想にしていて、エスペラント語の普及活動もしています。私の大学時代ではエスペラント学科に学ぶ知り合いもいましたが、これだけ英語が国際語になったのだから、もう英語でいいんじゃないかと思います。英語がこれだけ普及したのはインターネットとハリウッドなどのアメリカ文化ですが。


堀のなかにある中の島は植物園になっています。大本の教祖の出口王仁三郎は丸山応挙の直系子孫だそうで、芸術文化に対する造形が深かったためか、この敷地一帯に清らかな美を感じます。


みつまた。和紙や紙幣の原料に使われる。


馬酔木(あせび)の花。


池には亀が一列に並んでいます。他のカメは近づくと逃げてしまいましたが、こちらの二匹は、取り込み中のご様子。


ふと足元を見ると、こちらにもカメがいました。イシガメのようです。頭をなでても無反応。頭も固い。


城址を見学したあとは城下町を歩きます。商店街の区画が「H」の形をしていたから名付けられた「H商店街」。大人のおもちゃの店はありません。


舟山酒造。この通りには古い醤油屋さんもあります。亀岡は山からの名水に恵まれていました。


龍のように延びた見事な松の枝。大抵、枯れかけが多いのですが青々とした葉を茂らせています。


ツガの木。葉の形は杉のようですが、枝ぶりは杉とは全然違います。亀岡の銘木だそうです。


亀岡の城下町は道幅や碁盤の目のようなつくりから京都を思わせます。毎年10月に行われる亀岡祭りで巡行する山鉾を納めた鉾蔵が町のあちこちにあります。

ごちゃごちゃしたお店がない分、今の京都よりも京都らしいかもしれません。



塩屋町の案内版にあった山鉾の蛭子山(えびすやま)を飾る西陣製の錦。レディに貴族が挨拶をしているのでしょうか。犬がヤギみたいに見えます。


黄色と紅色の梅のコンビが美しい。


案内所を兼ねた町家カフェで、ランチのカレーをいただきました。とても親切な男性がいろいろ説明をしてくれましたが、これは、亀山城で使われていた屏風絵だそうです。
誰が何を描いたのかはわからないそうですが、これも天守閣がバラバラに切り売りされた一部だったのでしょう。


こちらの欄間(らんま)も亀山城から来たのか確認していませんが、近江八景を彫ったものだそうです。

案内してくれた男性の方は、大河ドラマの「麒麟がくる」で、明智光秀の本拠地である亀岡をドラマの後にあるナレーションで取り上げてくれなかったことを残念がっていました。

コロナだけでなく、その前に沢尻エリカ逮捕もあり計画が大幅に狂ってしまったせいかと思いますが、亀岡だけでなく、丹波篠山もほとんどドラマでは登場しませんでした。以前、丹波篠山の八上城(やかみじょう)の記事で紹介しましたが、明智光秀の母役の石川さゆりがはりつけにされるシーンはドラマのハイライトであったはず。

ドラマの終盤で、石川さゆりのコンサートが丹波篠山市で予定されていたのは、はりつけシーンと合わせるつもりだったのだと思いますが残念でした。


こちらは大圓寺。本殿前のあしらいがとても美しいです。

普段何気に通り過ぎてしまう亀岡ですが、丹波篠山と合わせた丹波国というのは、京都の山城国と同じくらいに格のある場所だったことをあらためて感じました。