2021年3月10日水曜日

亀山城址

 亀岡市は、以前亀山だったのですが、三重県の亀山市と重なるという理由で、明治政府によって強制的に亀岡に改名させられます。今では、亀岡市の方が亀山市よりも人口が二倍近いのですが、当時は何か政治的な力関係があったのかも知れません。

ですので、亀岡市にあったお城は、亀山城なのです。

こないだ大河ドラマが終わった「麒麟がくる」の明智光秀が京都の西を守る拠点として建設した城で、三重の堀で城下町までまるごと囲むという総曲輪(そうぐるわ)と言われる本格的な城です。

(亀山城パンフレットより)

ちなみに丹波篠山の篠山城は、徳川家康が建てた城で、亀山城に部下の大名を入城させると同時に、篠山城の築城を始めています(1609年)。

京都の西を城の二段構えで睨みをきかせたわけです。

その五年後に大坂の陣で豊臣家を滅ぼしてしまいます。


篠山城址に向かう途中、梅が満開の季節になりました。


城址の入り口に「おほもと」と書いてありますが、ここは実は宗教団体の大本教が所有する敷地なのです。


日本の歴史上重要な城址を、新興宗教団体が乗っ取っているようで、第一印象はあまり良くないのですが、これには非常に複雑な歴史があります。


明治になって撮影された写真(Wikiより)を見るとまだ完全に城の形を保っていたようですが、その後の明治政府による廃城令で陸軍にとって価値のない城は全て廃棄され、亀山城も解体され、「城売り」といわれた商人たちによってバラバラに切り売りされてしまいます。

荒廃した状態の城址を大本教の教祖である出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)が大正時代に全部買い取ったというわけです。

もしも買い取っていなければ、今のようにまとまった形の城址にはなっていなかった可能性があるので、歴史保存という意味では良かったのではないかと思います。
しかも王仁三郎は亀山城に思い入れがあったので埋もれた石を掘り起こしてまで以前の城郭を復元すべく信者一同で工事をしたそうです。

ところが、王仁三郎は、B29が日本国土に爆弾の雨を降らせることをにおわせるような予言をしたり、信者に多くの軍人が増えつつあったため、不敬罪として大本教は強く弾圧され(大本事件)、昭和の初めには当時亀山城址にあった神殿施設は、1500発のダイナマイトで徹底的に破壊しつくされるという事態にまで発展しました。

太平洋戦争後、不敬罪は解消され所有権も大本に戻り、昭和21年から再修復を始めて今にいたるというわけです。


こちらが天守エリアへの入り口の門です。この前に大本の事務所で入場料の300円を払いました。


復元された天守の石垣。下から約三分の一は、明智光秀築城当時の石組み跡を残しているそうです。とは言うものの、新しく復元した部分との境目はよくわかりません。


石垣を上から眺めた図。敷地内は毎朝百人くらいの信者が清掃されているそうで、非常に美しく維持管理されています。


天守の高台から見えるのは愛宕山から保津川をはさんで南にある、みすぎ山。
この高台には、大本教の聖地である国魂岩で組み上げられたドームがありますが、撮影禁止です。

大本では世界平和と統一を理想にしていて、エスペラント語の普及活動もしています。私の大学時代ではエスペラント学科に学ぶ知り合いもいましたが、これだけ英語が国際語になったのだから、もう英語でいいんじゃないかと思います。英語がこれだけ普及したのはインターネットとハリウッドなどのアメリカ文化ですが。


堀のなかにある中の島は植物園になっています。大本の教祖の出口王仁三郎は丸山応挙の直系子孫だそうで、芸術文化に対する造形が深かったためか、この敷地一帯に清らかな美を感じます。


みつまた。和紙や紙幣の原料に使われる。


馬酔木(あせび)の花。


池には亀が一列に並んでいます。他のカメは近づくと逃げてしまいましたが、こちらの二匹は、取り込み中のご様子。


ふと足元を見ると、こちらにもカメがいました。イシガメのようです。頭をなでても無反応。頭も固い。


城址を見学したあとは城下町を歩きます。商店街の区画が「H」の形をしていたから名付けられた「H商店街」。大人のおもちゃの店はありません。


舟山酒造。この通りには古い醤油屋さんもあります。亀岡は山からの名水に恵まれていました。


龍のように延びた見事な松の枝。大抵、枯れかけが多いのですが青々とした葉を茂らせています。


ツガの木。葉の形は杉のようですが、枝ぶりは杉とは全然違います。亀岡の銘木だそうです。


亀岡の城下町は道幅や碁盤の目のようなつくりから京都を思わせます。毎年10月に行われる亀岡祭りで巡行する山鉾を納めた鉾蔵が町のあちこちにあります。

ごちゃごちゃしたお店がない分、今の京都よりも京都らしいかもしれません。



塩屋町の案内版にあった山鉾の蛭子山(えびすやま)を飾る西陣製の錦。レディに貴族が挨拶をしているのでしょうか。犬がヤギみたいに見えます。


黄色と紅色の梅のコンビが美しい。


案内所を兼ねた町家カフェで、ランチのカレーをいただきました。とても親切な男性がいろいろ説明をしてくれましたが、これは、亀山城で使われていた屏風絵だそうです。
誰が何を描いたのかはわからないそうですが、これも天守閣がバラバラに切り売りされた一部だったのでしょう。


こちらの欄間(らんま)も亀山城から来たのか確認していませんが、近江八景を彫ったものだそうです。

案内してくれた男性の方は、大河ドラマの「麒麟がくる」で、明智光秀の本拠地である亀岡をドラマの後にあるナレーションで取り上げてくれなかったことを残念がっていました。

コロナだけでなく、その前に沢尻エリカ逮捕もあり計画が大幅に狂ってしまったせいかと思いますが、亀岡だけでなく、丹波篠山もほとんどドラマでは登場しませんでした。以前、丹波篠山の八上城(やかみじょう)の記事で紹介しましたが、明智光秀の母役の石川さゆりがはりつけにされるシーンはドラマのハイライトであったはず。

ドラマの終盤で、石川さゆりのコンサートが丹波篠山市で予定されていたのは、はりつけシーンと合わせるつもりだったのだと思いますが残念でした。


こちらは大圓寺。本殿前のあしらいがとても美しいです。

普段何気に通り過ぎてしまう亀岡ですが、丹波篠山と合わせた丹波国というのは、京都の山城国と同じくらいに格のある場所だったことをあらためて感じました。





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