2022年1月16日日曜日

【西国街道】西宮~神戸

 例年より寒さが厳しいです今年の冬ですが西国街道の続きです。

西国街道は京都から下関までの650kmの旧街道で宿場は50カ所あります。西宮から下関までは「山陽道」とも言われます。今回は西宮から神戸までを歩きます。


以下がJR西宮駅からJR神戸駅までのおおよその西国街道ルートですが、距離は約20km、28,000歩で、休憩入れて約5時間でした。

主に国道2号線沿いの道路沿いや脇道の住宅街を歩きます。このルートは本街道と呼ばれ大名行列などに使われたものです。別ルートとして海よりに浜街道と呼ばれる庶民用の街道があります。

このあたりの歴史的経緯を調べてみました。

まずは伊能忠敬による日本で最初の実測地図、江戸時代の1805年頃、伊能忠敬が60歳の頃に作った地図です。村々をつなぐ街道と瀬戸内海の間は無数の池や沼になっている様子がうかがえます。

この頃は、街道を歩きながら、塩や酒を積んで瀬戸内海を進む藩船や北前船が見えたのではないでしょうか。

(国土地理院より)


次に、下図は明治の終わり頃(1892~1910年)の地図を現在の地図に重ねたものですが、神戸市がすでに15万人程度の都市になっています(現在150万人)。

対して、西宮町と御影町が少し開発されている程度で、ほとんどが草むらや田んぼです。現在の高級住宅街である芦屋も川沿いに遊園がある以外は田んぼです。

西国街道沿いに阪神電鉄【1905年(明治38年)開業】が走っていて、集落は駅の南側にあります。おそらく漁師が多かったのでしょう。

旧国鉄の東海道本線は西宮駅と三宮駅の間には住吉駅があるだけで西側に住吉村の小さな集落が見えます。小林一三さんの阪急電鉄の神戸線はまだありません。【開業1920年(大正9年)】

(「今昔マップ on the web」より作成)

下図は住吉駅、御影町あたりの拡大図ですが、浜街道のほうに「西国街道」と表記がされていて、本街道には何の表記もなく、どこが街道だったのかすでにこの時点ではっきりとは分かりません。

これは、おそらく明治維新後は幕府の権威を嫌い本街道はどうでもいい扱いになり、浜街道を正式な西国街道として扱ったのではないかと思います(筆者想像)。

今回のルート(本街道)を歩いて、立派な西宮神社を除き、街道沿いの神社仏閣が少なく、常夜燈やお地蔵さん、また道祖神をほとんど見かけなかったのは、こういう理由があったというわけです。

浜街道の方を歩くべきだったのかもしれません(また今度😀)

(「今昔マップ on the web」より作成)



街道沿いの写真ですが、今回はRX1Rを忘れたのでiPhone Xでの撮影です。

既に述べた理由から、今回の街道歩きは旧街道の歴史を匂わせるものはほとんどなく、あまり面白くはありません😅でした。

私は西宮出身で、西宮神社は地元では「えべっさん」と言われていますが、全国3500社ある戎神社の総本社という偉大な神社です。

釣り竿を鯛を抱えた姿の七福神の一人である、えびす神は漁業の神様で、広く商売繁盛の神様でもあります。港のあった西宮や海沿いの村々で漁業が行われていたことがわかります。


こちらが本殿。まだ1月半ばなので、お賽銭待ちの列が出来ています。


芦屋川から六甲山方面をARヤマナビで確認しました。

ゴロゴロ岳(565m)と林山(745m)の間は、芦屋と有馬をつなぐ芦有ドライブウェイが通っています。以前、コルベットでドライブを楽しみました。


JR甲南山手駅そばの森稲荷神社の赤鳥居。


JR摂津本山駅そばの山王神社。


住吉川手前の国道2号線に合流するところで見つけたお地蔵さん。今回のルートで出会った唯一のお地蔵さんです。頭部だけで、「花松くび地蔵」という名前で、大正時代の建立と書いてあります。


頭部だけのお地蔵さんは今まで街道歩きで見たことがないのですが、大正時代というのは、明るくて呑気な空気があったようなので、こんなのを作ったのでしょうかね。


住吉川から六甲山方面をARヤマナビでチェック。油コブシ(626m)は神戸大学の北東にあります。


JR住吉駅そばで、今回唯一見つけた常夜燈。なんと個人宅が壁で囲んでしまっています。本街道を保存しようとせず、やみくもに土地を売りさばいたのでしょう。


阪神御影駅と石屋川駅の間にある天神川にかかる小さな橋。ここに以前は一里塚があったそうです。

通常は土がこんもりと盛り上がっていたりするのですが、跡形もありません。よくここが本街道跡だとわかったものです。


阪神石屋川駅そばの石屋川と理性院。


阪神石屋川駅と新在家駅の間、国道43号線そばに乙女塚古墳があります。

ここから北に行ったところにある「おとめ塚温泉」は、源泉かけ流しで酸化していない緑色のフレッシュな泉質が実に素晴らしい。ただ、ときどきモンモンの組の方がいらっしゃいます。

でも、こんな古墳があったとは知りませんでした。

「おとめ塚」というのは、このあたりの村で昔、美しい娘が、二人の男から求婚されて困って死んでしまったという伝説が由来だそうです。


古墳の上に登ることができます。3世紀後半のものだそうで日本書紀の時代です。前回の西国街道歩きで高槻そばにあった古墳が、第26代継体天皇(507年?~531年?)のものでしたが、継体天皇より前の天皇は実在したのかどうかを含めて歴史がよくわからないようです。


明治終わりの地図に戻ると、「乙女塚」としっかり書いてあります。しかしながら、大正11年に国の史跡指定を受けた時にはすでに一部が道路で削られてしまっていたそうです。


特に撮影するようなものもなくずっと歩いて阪神春日野道駅そばの商店街。ここで初めて「旧西国街道」の石碑が。まだ新しい。


このあたりは明治時代に「大安亭」という名の浪花節で有名な寄席小屋があったそうです。


だんだんと三宮らしい雰囲気になってきました。


以前六甲アイランドにあったP&Gに通勤していた頃はよく飲みに出かけた三宮駅に到着。


三宮神社。調べてみると、生田神社の周りには8つの神社が囲んでおり、その中の三番目の神社だから三宮神社になったそうです。勿論これが三ノ宮の由来なのでしょうが、学生時代から何度も遊びに来た三宮の由来が今はじめてわかりました。恥ずかしい💦


久しぶりに見た神戸大丸。なかなか立派な建物です。百貨店業界は大変そうですが。


オミクロン株による第6波が到来しようとしていますが、元町商店街は結構な人だかりです。

学生時代に古着を買いに出かけた高架下商店街はかなり寂れていましたが。


元町中華街への道。


思わず誘われてしまいそうになる脇道。


「はた珈琲」という名のお店で美味しい一杯をいただき、JR神戸駅から新快速で京都へ帰りました。西国街道は中山道と違って基本、鉄道沿いなので家との往復は楽です。





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