2025年10月22日水曜日

【東海道】草津宿~石部宿(三雲駅)

 昨日(10/21)に高市さんが新総理に任命されました。女性初の総理大臣ということも有意義だと思いますが、久しぶりに覇気を感じる首相が出てきたなと思いました。

気候の方は先週まで30度に迫る暑さだったのに10度以上下がって一気に秋が来たといった感じです。本当は今のような気候は9月に来るはずなんですが。

さて、今回は東海道歩きです。先月に初の東海道歩きを始めたのですが、奥さんの希望で鈴鹿峠の前後(土山宿、坂下宿、関宿)を歩いてしまったので、草津宿から土山宿を2回に分けて歩くことにしました。今回はその1回目で草津宿から石部宿になります。正確には石部宿を過ぎたJR三雲駅までが行程です。

東海道は京都の三条大橋がターミナルですが三条大橋から草津宿までは既に踏破した中山道とカブっているので省略して、筆者の東海道歩きは草津宿を始点にしています。



以下が詳細ルートと記事で紹介したスポットです。全行程19kmで4時間半ほどの歩きでした。いつもはもう少し歩くのですが、前述したような都合があったので短めの距離になっています。

全体的に旧街道の面影を感じるとても良いルートでした。旧東海道は交通量の激しい国道1号線沿いをトボトボ歩くといったイメージを持っていましたが、全く国道沿いは歩かずに済みました。これから江戸までもずっとこんな感じだと良いのですが。。。



朝、9時前に今回の歩きのゴールであるJR三雲駅の駐車場に車を停めて、三雲駅から草津線に乗って、JR草津駅で下車しました。9時20分から行動開始です。



草津駅から歩いて10分弱のところが草津宿です。中山道歩きでここを通ったのがもう7年前。草津宿は東海道(伊勢路)と中山道の分岐点(追分)でした。



東海道名所図会の追分の図。
(国立公文書館より)


草津川を越えるところにある道標。草津川は天井川といって平地の上を流れている。氾濫しないように堤防を人為的に高くしていった結果こうなってしまいました。人家の屋根より高くなっています。

道しるべには東海道(左)と信楽道(右)を記してあり、夜間でもわかるように立派な燈籠が上に乗っている。こういうのを花袋式といいます。



このあたりは年を取って働けなくなった牛や馬が残酷に殺されないように保護していた場所だそうです。



新幹線の線路を南下した草津川沿いにある田楽茶屋「ほっこり庵」。このあたりは目川集落で名物が田楽だったそうです。



ここが伊勢路を代表する三大田楽茶屋の一つ「こじま屋」があったところ。田楽の豆腐も味噌も大豆が原料。近江は全国有数の米どころで、裏作に大豆を育てたのでしょう。豆類は肥料になるので、それでまた稲が良く育つというわけです。



東海道名所図会にも目川の田楽が紹介されています。「豆腐百珍の一種」と書いてあるので調べてみると、江戸中期に「豆腐百珍」という料理本が大ヒットしたそうです。「目川に来たら絶対に田楽を食べなきゃ」と言ってたのでしょうね。

(国立公文書館より)


今回のルートは全く国道を通らないばかりか、旧街道の雰囲気の残り香が感じられる道が多くてとても楽しめます。



同じく目川のひょうたん屋さん。いまでも販売されているようです。かつては年間9千個を売り上げたそうです。

ひょうたんってびっくりするほど軽いんですよね。旅人の水筒としては耐久性から竹筒かなぁ。ひょうたんは形が良いのでお酒を入れて家で使うのが良いかも。



東海道と中郡街道の道標。中郡街道の下の説明を読むとどうやら東海道の東方面を指しているようです。

写真の右側は堤防になっていて、草津川の支流の金勝川(こんぜがわ)がL字型に曲がる場所にあるのが目川池。ため池だったのでしょう。

ため池ごと天井川になっている地形も珍しいのではないでしょうか。



街道の先に見えるのが近江富士こと三上山。いつも思うけれど山を背景にした街道っていいですね。



このあたり、いくつかため池があるのですが、これは上鈎(まがり)池の堤防の下の石碑。

ちょうど今、今谷明さんの「近江から日本史を読み直す」を読んでいて、この話が出てきました。

将軍の足利義尚(よしふさ)が近江で権勢を思いのままにしていた六角氏を倒すために軍を起ここして陣を張ったのがこの上鈎村でした。

六角氏は形勢不利とばかり甲賀へ逃げたそうですが、義尚はというと、この陣に1年半もいるうちに酒宴を繰り返して23歳の若さにして、ここで亡くなってしまいました。



階段があって堤防の上に登れたので上鈎池を眺める。正方形で一辺100メートル以上あります。



「すずめ茶屋」跡。ここも田楽が名物だったらしい。この道標にも「中仙道」と書いてあります。どうやら昔は草津方面は中仙道と言われていたようです。

東海道は中山道と比べて山中を歩かずに済むのですが、代わりに渡河が多く本格的に使われるようになったのは交通技術が発達した室町後期からだそうで、近江地域でも伊勢路と中山道の存在感が大きかったのではないでしょうか。



手原村の稲荷神社。JR手原駅が近くにあります。



手原の稲荷神社にあった奇妙な石造りの手掌。説明を読んで調べてみると、手孕み伝説というのが元になっているらしい。

これは「手」だけを生んだ女の話だったり、男から手をかざされて出産した話だったりで、ここの説明では歌舞伎「源平布引滝」で木曽義仲の愛人兼武人だった葵御前が自分の子を守るために産んだのは「手」だけだと偽り続けたと書いてありますが、実に奇談ではあります。

この地が以前から「テハラ」という名前だったことで後から付いてきた話だとは思います。



手原醤油店。今は末裔が住まわれているのでしょうか。明治維新以降は銀行家として名をあげたと顕彰碑に書かれています。



「肩かえの松」と記されています。旅人足がこの松の下で休憩して、荷物を別の肩にかけ替えたそうな。



六地蔵村。ここも旅人が急速する立場であり、「和中散」という胃腸薬の販売で有名だったそうです。

胃腸薬といえば奈良の陀羅尼助か、木曽の百草丸が有名ですが、黄檗ではなくてビワの葉を使った薬のようです。いずれも柑橘系が胃腸に良いと言うことでしょうか。



このあたりが東海道で最も近江富士に近い所。キャベツ農家さんらしく整然と植えられているキャベツ畑と近江富士の景色が素晴らしい。

筆者の畑でも9月にキャベツとハクサイの植付けを終えて順調に育っているところです。

キャベツは密植栽培のほうが競い合ってよく育つと本で読んだので、この農家さんのキャベツの株間を目を凝らして見ましたが、密植ではなく、やっぱり標準的な30cmほどで仕立てているようです。



ここが和中散の本舗「ぜざい」です。徳川家康の腹痛がこれで治ったことで有名になったそうです。



石部宿が近づいてきました。



石部宿の西端、西縄手と呼ばれた場所。京都方面からきた大名行列はここで隊列をあらためて宿場に入る準備をしたと書いてある。



石部の宿場町の角にある田楽茶屋。平日のお昼ですが営業されています。石部宿には3軒の代表的な田楽茶屋があったそうです。



日替わりランチ。良いお味でした。名物の田楽は食べませんでした。筆者が街道歩きの人なので、帰り際に「気を付けて」とやさしく声をかけてくれました。



田楽茶屋を出てからゴールまで小雨が降り続けました。



ここが2軒あった本陣のうちの一つ。廃屋があって雰囲気がないですが明治天皇も宿泊されたそうです。

石部宿には飯盛女を置いていなかったので、それが堅ブツを意味する「石部金吉」の語源になったとか。



案内板が立て込んでいますが、目を引いたのが「お半」と長左衛門の心中話。浄瑠璃になったほどの有名な話のようで調べてみました。

お半は少女で、長左衛門は中年の妻帯者だったのが、石部宿の旅籠で丁稚に言い寄られたお半を長左衛門が自分の布団にいれてかくまったのがきっかけで男女の関係になり、不義に悩む二人は心中して京都の桂川で水死体となった浮かんだという。



人形浄瑠璃「桂川連理柵(れんりのしがらみ)」。連理とは木目が揃っていることで、二人の仲がよほどピッタリ合っていたことを現している。心中話は昨今では美談になることは全くないのですが、昔の人は大好きだったのですね。戦前の昭和でも驚くような連続心中事件がありましたが。

(朝日新聞サイトより)


石部宿は458軒の旅籠が1.6kmほど続いたそうなので、このあたりもまだ宿場町の続きなのでしょう。




筆者が好んで飲んでいる滋賀の銘酒、北島酒造。フレッシュでフルーティーなお酒です。いつもの酒屋さんが北島酒造は品質が安定していることを褒めていました。

蔵元限定酒でもあれば買おうかなと思いましたがあいにく定休日でした。



東海道から分岐で飯道神社へつながる道があります。飯道山には去年奥さんと登りましたが、南側の麓には、知っている人はほとんどいませんが、1年ほど都だった紫香楽宮(しがらきのみや)がありました。

聖武天皇が最初に大仏を建てようとして企画倒れになった都です。




夏見集落。ここも立場になっていて、何軒かの茶屋で名物のトコロテンと名酒桜川がふるまわれたと書いてある。目川は田楽で、ここはトコロテンと楽しい道中だったのですね。



野洲川に流れ込む大沙川(おおすながわ)の下をくぐる隧道。この川も相当の高さの天井川です。この隧道は明治時代のもので、それまでは直登して川を渡っていたそうです。



写真右側から天井川に登れるようになっているので行ってみると弘法の杉があります。樹齢750年と書いてありました。左利きで箸を使う子供を矯正するのに、この杉の小枝で作った箸を使わせたという変わった逸話があります。

この天井川沿いに山手に1キロ弱ほど行くと三雲城址があるようです。前述した六角氏が足利義尚の攻撃にそなえて配下の三雲氏に築城させました。

ここから約20分ほどあるくとゴールのJR三雲駅です。朝に駐車していた車に乗って家路につきました。



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