2017年4月10日月曜日

醍醐寺の桜

醍醐の花見で有名な醍醐寺へ行ってきた。

秀吉がこの一大イベントをやったときは亡くなる5か月前だったということは意外によく知られていないと思う。もともと醍醐寺は秀吉のおかげで応仁の乱の傷跡から復興したのだが、花見においては700本の桜を植樹し、招待した1000人以上の女性には一人3着の着物を新調し宴会中に衣替えをさせたという。特設された茶屋にはお風呂まであったというからハンパネェ花見だった。

霊宝館で展示されていた自分の好きな浮世絵の一部が下の画像だが、秀吉61歳にしては若すぎる。もっともこれは栄華を極めたと言われる徳川家斉を風刺したと言われた絵で、作者はなんと50日間手錠をかけられる刑に処したらしい。



地下鉄醍醐駅から気持ちの良い路を15分ほどあるくと総門につく。



こちらが霊宝館の周りの桜。一番有名な深雪桜(みゆきざくら)は残念ながら2,3日前に散ってしまっていた。ちなみに醍醐寺は深雪山ともいわれる。



一番きれいに咲いていたのがこの八重桜。八重というだけあって花弁が八つ窮屈そうに固まっている。なんでこんな咲き方をするのだろうか?



霊宝館の中に久しぶりに入ってみたのですが、一番好きだった快慶の不動明王坐像が展示されてなくて残念。同じ仏像でも快慶のは存在感の次元が違う。



仁王門から本殿に向かう。 これは北側から撮った写真。奥に桜が見える。


桜まつりの行灯がたち、花見ムードをもりあげてくれる。


金堂の桜。藤棚のようにあつらえてある。



金堂は紀州からの移築で、秀吉の時に移築開始をしたが完了したときにはすでに秀吉は亡くなってしまっていた。


清瀧宮本殿。この桜の木はものすごく背が高い。満開なので豪華です。



五重塔と桜です。


2017年4月1日土曜日

岡崎 桜回廊十石舟めぐり、琵琶湖疏水、都ホテル

桜のシーズンということで琵琶湖疏水の水路を十石船(じっこくぶね)で廻ろうというイベントに行ってきた。といっても冬が長かったせいで生憎まだ桜はなく、チラシのようにはいかなかった。


地図でみていただく通り、動物園のそばの船着き場から聖護院のあたりまで往復30分程の舟めぐりの旅。


さすがに桜がほとんどないので乗客も多くはなく、案内の女性の方もどことなく申し訳なさそうにしていました。


この十石船ですが、屋根が自動で上下する仕組みが斬新。なんせ橋が非常に低いので屋根を下げてもギリギリで最初は一瞬ヒヤっとする。



行程で唯一の鑑賞に耐えうる桜がこれでした。川面に垂れる姿がなかなか美しい。



十石船めぐりのあと近くの琵琶湖疏水記念館に行った。明治23年に大津から蹴上までをつなぐ水路を作る大プロジェクトを実行し、その後3回大がかりの拡張工事が行われている。


これは記念館にあったジオラマで、ちょうど記念館から南東の方向を見たかたちになっている。右が東山で左が大文字山のふもと。
山の谷間に山科に向かってまっすぐに伸びているのが蹴上インクライン。


蹴上インクラインは、京都と大津を結ぶ海上輸送ルートで、高低差があるので舟をひっぱりあげる役割を担っていた。琵琶湖疏水は水の消費が目的だけではなかったんだ、と理解。


GoogleEarthで今の様子をみるとこんな感じです。


琵琶湖疏水について勉強したあとは都ウェスティンホテルの敷地にある散策コースを歩く。華頂山(かちょうざん)のふもとの30分くらいの散策コース。
華頂山というのは初めて知ったがマップでみると、東山三十六峰の中の一山で、登山ルートもあるようだ。


散策路はウェスティンホテルの敷地内で歩く人も少なく、ウグイスの声に癒される。


上まで登ると景色が広がる。右手に少し見えるのが比叡山。



ホテルの敷地内には散策路の他に小川治兵衛作の葵殿(あおいでん)庭園があった。回遊式庭園だが細くて急な石畳の上下に小滝が流れ、庭園というより沢と言った趣。


こちらは村野藤吾作の佳水園(かすいえん)。宿泊可能で一泊54000円。もっと高いかなと思った。



ウェスティンのティールーム。



コーヒーはおかわり自由。まあ値段を考えれば当然かも。



会計でお金を払ってる時に旧都ホテルを訪れた著名人達の写真がずらりと並んでいて、そこにチャールズとダイアナの写真があった。調べてみると京都訪問は1986年の5月。もうすでに二人の関係は冷え切っていて別居していたらしい。ひょっとしてホテルでも別々の部屋に寝たのかも。けっして口外できないホテルの秘密とか?


【4/16に追加です。】

この記事は桜がなくて寂しいので追記します。満開のピークが過ぎた週末に撮影しました。琵琶湖疏水の聖護院あたりに水位調整の場所があり、そこに落ちた桜の花びらがじゅうたんのようにしきつめれていてとても美しいので撮りました。








2017年3月26日日曜日

本法寺の長谷川等伯

本法寺で長谷川等伯の大涅槃図を公開していたので見に行った。先週は腰をいわしてほとんど動けなかったのがリカバーして歩けるようになった。うれしい。

これはチラシ☟

一年のうち少ししか公開しないため絵の傷みが少なく、彩色が非常に鮮やかなまま保たれている。普段は巻いて箱にいれて保管しているらしい。

勿論撮影禁止なのでこれはネットで拾った画像を自分の記憶に基づき若干色温度補正をしてます。


満月の光に照らされて永遠の眠りにつく釈迦を悲しむ者たちが描かれており、高さが10mもあるので下からだけでなく、二階からも鑑賞できるようになっている。

下部に描かれた動物たちの中には犬のコリーもいて、獅子や象などが抽象的に描かれているのに比べると精緻に描かれていることから等伯は外国から来た実際のコリーを見て描いたのではと言われている。あと、釈迦の頭の一番左端で沙羅双樹に寄り添う緑の服を来た男は等伯自身だと言われているらしい。この作品を描いたのは60歳になってからでちょうど関ヶ原の闘いがおきる直前頃の作品とういうこと。

等伯は能登出身で絵師となり京都にきてから大きく評価されて、狩野派と並ぶほどの大家となった人。千利休と親しくしていたという。狩野派の大御所、狩野永徳とはライバル関係で仕事の邪魔をされたりしたらしい。

この作中の緑の衣を着た永徳は、自分の跡継ぎに決めていた長男を亡くし、友人の利休は秀吉に切腹させられて、深い悲しみを表情にたたえている。


本法寺(ほんぽうじ)は、日蓮宗のお寺で、所在地を何度も移している。大坂堺に場所を置いていたこともあったという。

これは日蓮の蓮池。残念ながら蓮はまだなかったが、池の周囲のデザインがとてもユニークだ。本阿弥光悦の作品。


お堂の前には見事な桜の木があり、花を吹き出そうとする蕾が無数にある。いよいよ春がやってくる。



ウグイスが「ホーホケキョ」と鳴くのは春だけ。澄んだ声が美しかったのでスマホで録音しました。




2017年3月18日土曜日

中山道 大湫宿~細久手宿(無念)

前回、大湫宿(おおくてじゅく)まで行ったので、今回三連休で、再び中山道を再開することにした。

前回は大湫宿からJR釜戸駅まで歩いて行ったが、四キロの車道の下り坂だったので楽しくなかった。

調べてみると、釜戸駅から大湫宿まではコミュニティーバスがあるのだが、なんと週末は運休しているということで、東鉄タクシーに電話で予約した。

釜戸駅に到着すると、ちゃんと車の外に立って待っていてくれていたので、前回の中山道の終着点だった高札場(こうさつば)まで走っておろしてもらった。

「さぁーいよいよだぁー!」と充実したスタートに喜びいっぱいになりつつ、バックパックの中のカメラを取り出そうとしゃがんだ途端...

ビリビリ!

腰の後ろに衝撃が走った。その瞬間、JR在来線とタクシーを乗り継いで寒村に置いてけぼりにされたむなしさに無念の気持ちでいっぱいになってしまった。

去年もテニスを始めた時に一度やっており、その辛さはわかっているので、もはや歩くのは諦めて、予約していた大黒屋さんに断りの電話をいれると、当日キャンセルは全額払ってもらわねばならず、もし良ければ車で大湫宿まで迎えに来てくれるという。

それならとお言葉に甘えて、車に載せてもらい、宿に着いた。大湫宿から大黒屋のある細久手宿(ほそくてじゅく)までは車道が走っており、基本的に車道の北側が中山道なのだが、ところどころ車道と中山道が共有しているという。恵那から大湫まではほとんどが山道だったので街道を味わうという意味では細久手までは面白味は薄れるようだ。

宿に着いて部屋のある二階に案内される。腰をいたわりつつゆっくりと上がる。

階段の踊り場が廊下になっていてとても風情がある。


この奥に、刀による傷跡があったのだが、正直刀なのかよくわからなかった。

とても静かでよい空気でした。




部屋にはすでに布団が敷いてあったので夕食の時間まで横になって安静にしていた。

5時にお風呂を入れてくれたので入る。小さな家族風呂だがよくあったまった。

6時に夕食で、部屋に運んできてくれた。



日本酒は注文。料理は決して豪華ではないけれど、山や川の幸を使った心のこもったものでした。

聞いてみると今日のお客さんは自分だけらしい。中山道は外国人で大人気だと思っていたけれど、大人気なのは妻籠と馬籠で、それ以外はあんまり来ないという。考えてみればそりゃそうで、初めて中山道を歩く外国人が、いきなりマイナーで車道の多い細久手には来ない。

そんな状態なのにキャンセルしようとしていたことに対して反省。

翌朝は7時に朝食。一階のお座敷でいただく。



歩けないので8時に予約したタクシーが到着するあいだ、宿の周りをヘロヘロの腰で歩く。

細久手宿の看板を見ながら、絶対リベンジしてやるぞと誓う。


こちら大黒屋さんの外観。


タクシーはJRの瑞浪(みずなみ)駅まで走ってくれたが、非常に丁寧なドライバーさんでした。「みずなみ」という読み方が珍しいのだが、古代は海だったらしい。ちょうど今小学校の合併で新校舎を建てていたところ、アンモナイトの化石がでたと新聞に載ったそうです。

ホームで電車を待つと、確かに「化石のまち 瑞浪」と看板にでていた。「化石のまち」と言われてもねー。あまりアトラクティブではない。


ということで、今回の中山道は「無念」編でした。考えてみれば先週は肩と背中がガチガチに凝っていて、その状態でかがんだから、腰の筋肉が切れたんだろうと思う。

ふだんから力を緩める練習をしなければ...と考えているところ。