秀吉がこの一大イベントをやったときは亡くなる5か月前だったということは意外によく知られていないと思う。もともと醍醐寺は秀吉のおかげで応仁の乱の傷跡から復興したのだが、花見においては700本の桜を植樹し、招待した1000人以上の女性には一人3着の着物を新調し宴会中に衣替えをさせたという。特設された茶屋にはお風呂まであったというからハンパネェ花見だった。
霊宝館で展示されていた自分の好きな浮世絵の一部が下の画像だが、秀吉61歳にしては若すぎる。もっともこれは栄華を極めたと言われる徳川家斉を風刺したと言われた絵で、作者はなんと50日間手錠をかけられる刑に処したらしい。
地下鉄醍醐駅から気持ちの良い路を15分ほどあるくと総門につく。
一番きれいに咲いていたのがこの八重桜。八重というだけあって花弁が八つ窮屈そうに固まっている。なんでこんな咲き方をするのだろうか?
仁王門から本殿に向かう。 これは北側から撮った写真。奥に桜が見える。
金堂の桜。藤棚のようにあつらえてある。
金堂は紀州からの移築で、秀吉の時に移築開始をしたが完了したときにはすでに秀吉は亡くなってしまっていた。
清瀧宮本殿。この桜の木はものすごく背が高い。満開なので豪華です。
五重塔と桜です。
0 件のコメント :
コメントを投稿