2026年になりました。今年最初は東海道歩きの続きです。
去年12月に桑名を過ぎたところまで進んだので、今回は名古屋を横断して岡崎まで2泊3日で行きます。
江戸時代の東海道は桑名から熱田まで「七里の渡し」と呼ばれた舟便で行きました。今はそのような船便が存在しないので陸路を歩きます。
前回は適当に国道1号線を8kmほど歩いて旅を終えたのですが、後になって江戸時代に舟が苦手な人向けに佐屋街道という道があることを知り、今回は8km戻って佐屋街道を歩きます。
3日の行程は以下のようになりました。1日目の佐屋街道は知名度が低いせいか普通の道路で大した見どころはありませんでしたが、2日目は熱田神宮と桶狭間、そして名古屋城、3日目は岡崎城と見どころの多い旅になりました。
宿は2泊とも名古屋のアパホテルです。
宿場町については保存された場所はなく、街道は一里塚は多く3日目の松並木が印象的でしたが、おおむね道路中心です。ただ、桶狭間近くの有松地区が「日本遺産」に認定され、宿場町でもないのに旧街道の雰囲気を大変良く残していて良かったです。
- (名鉄佐屋駅)、神守宿、万場宿、岩塚宿、(近鉄烏森駅) 28km、7時間半
- (近鉄烏森駅)、熱田宿、鳴海宿、(名鉄豊明駅) 26km、7時間(後で名古屋城訪問)
- (名鉄豊明駅)、池鯉鮒宿、岡崎宿、(名鉄美合駅) 20km、5時間
1日目の詳細ルートを記します。
江戸時代の舟が苦手な人向けのルートとして、桑名の湊から出立する「三里の渡し」に乗って、佐屋の船着き場に着いたというシナリオです。そこから佐屋街道に沿って近鉄烏森(かすもり)駅まで歩きます。
途中には、神守(かもり)宿、万場宿、岩塚宿の3つの宿場があります。
佐屋街道は東海道の補佐的な役割の街道だったので、あまり保存しようという動きもないようで、普通の市道、県道でした。
名古屋まで新幹線で進み、名鉄に乗り換えて普通電車で40分ほど行った佐屋駅(写真)で下車します。時間は10時過ぎ。
名古屋駅はあまり下車したことがなくて新幹線出口から名鉄までが歩いて10分くらいかかってややこしいので事前に調べておいてよかったです。
名古屋は名鉄が放射線状に延びていて、JRよりもずっと駅数が多いです。
特に放射の中心の名鉄名古屋駅は「日本一のカオス駅」と言われているだけあって、乗り場が7色くらいに区分けされているのですが、色の違いがわからず戸惑いました。たった2本の線路に一日900本の電車が停車するらしい。
昭和の終わりごろに建てられた佐屋街道の石碑。「海道」と書いてある。
鳥居の跡。これは伊勢湾台風で倒壊して修復されないまま残されているものです。四日市で、伊勢湾台風で水田や用水路が破壊されたと書かれた場所がありましたが、三重県、愛知県での被害は特に大きかったのがわかります。
日光川堤防にあった地蔵菩薩。
お昼になったのでちょうど道程にあったキッチン鳶色に入ります。ランチセット1種類のみです。右のゴマがかかっている揚げ物はレンコンで糸をひいて美味しかった。お客さんはほぼ全員が地元の奥さまたちでした。
七宝焼原産地の碑。英語で書かれた石碑は初めて見た。「Shippoyaki Toshima」と書いてあります。明治の中頃、尾張七宝は有名で外国人が買い付けに訪れることが多かったので英語で書かれているそうです。
新川を渡るあたりで名古屋の高層ビル群が見えてきました。
国玉神社、八剣社の前にあった巨大な常夜燈。この先あたりが万場宿があったところ。庄内川をはさんだ向こう岸に岩塚宿があり、月の半分で万場宿と岩塚宿で分担していたそうな。
庄内川を渡る。歩いてみてつくづく感じるのは名古屋って川が多いこと。佐屋街道は現在の国道1号より北側を迂回していますが、江戸時代は佐屋街道より南側は無数の川で安定した道がなかったんじゃないかと思います。
この後、3時半頃に近鉄烏森駅に到着して近鉄名古屋に向かい、名古屋駅西口にあるアパホテルにチェックインしました。近鉄名古屋駅からJR名古屋駅に向かうのも迷いました。名古屋駅って慣れないせいか立体迷路です。









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