2023年6月4日日曜日

【四国】石鎚山と奥祖谷散策

(石鎚神社成就社から見える石鎚山)


 四国は愛媛県にある石鎚山の登山をメインに、日本三大秘境と言われる奥祖谷(いや)を訪ねる旅に行ってきました。

今回は三泊四日の旅で、三日目から奥さん合流です。

  • 1日目:丸亀城、翠波峰(すいはみね)、石鎚神社
  • 2日目:石鎚山登山
  • 3日目:祖谷のかずら橋、落合集落の宿
  • 4日目:落合集落散策、祖谷渓谷、満濃池


【1日目】丸亀城、翠波峰(すいはみね)、石鎚神社

四国へは前回、剣山登山以来1年半ぶりです。新幹線で岡山で乗り換え特急で丸亀駅まで行き、レンタカーを借ります。



まずは丸亀城から。天守はとても小さいのですが、木造天守が現存しているのは丸亀城を含めて日本に12の城だけです。



丸亀城から見える讃岐富士(飯野山)の姿が美しい。讃岐地方には小さな山々が点在していますが、これらは比較的もろい花崗岩の上に、硬い安山岩が局所的にコーティングされたおかげで風化されずに残ったものです。

こういった地形は瀬戸内海をはさんだ岡山県にも見られますが、このあたりの安山岩は特に硬質で、サヌカイトと呼ばれているそうです。



丸亀城と讃岐富士の位置関係がよくわかる地図。丸亀駅で入手できますが、このイラスト地図はすばらしい。



角が完璧に揃った算木積みの石垣。城下からのそれぞれの石垣を足し合わせると60メートルあり、日本一の高さになるそうです



天守の中に入ってみます。天守を完成させたのは京極高和(たかかず)。京極氏は関ヶ原の戦いで大津城にて西軍と奮戦した京極高次が最も有名ですが、高和は高次から数えて三代目で丸亀藩主となりました。



天守の三階最上階は10人くらいでいっぱいになりそうな空間。受付のおじさんに聞くと、柱は栂(つが)で出来てるとのこと。非常にしっかりしていて歩いても軋む音がしない。



天守の解体修理が昭和25年に完了したそうですが、天井を見てみると昭和24年の横木が張ってありました。



丸亀城のあとは、前にも行った港にある一徳さんで瀬戸内の魚を食べます。



右は鯛で左は、あいごという魚。美味しい刺身は舌にのせた瞬間にその滑らかさでわかります。



しばらく車を走らせたところにある三豊(みとよ)市の津嶋(つしま)神社。海に浮かぶ小島にある神社を橋で渡してあるのが特徴。橋を渡ることができるのは一年のうち8月4,5日の夏季大祭の時だけです。



次の目的地にいこうと車を走らせると、なんと車道を大きなスッポンが歩いていました。車に轢かれると大変なので、慌てて車を停めて横の畑に逃がしてやりました。



次に観音寺市にある天空の鳥居に行こうと思って車を走らせていると山道の手前で交通誘導員に止められました。土日は朝以外は混雑するので通行止めとのこと。

途中でこのようなブドウ栽培の畑を見られたのでまあ良かったか。



おやつ代わりに、道路沿いにあった讃岐うどん屋で本場のうどんを食べました(こだわり麺屋というお店)。最近はどこでも讃岐うどんを食べられるのであまり感動はありませんが、なんとなく本場の方が麺がしっかりしているような気がします。

今の讃岐うどんは、小麦も塩もオーストラリア産なので讃岐である必要はどこにもないのです。赤穂の塩でさえオーストラリア産なのです。



次に四国中央市で国道11号線から国道319号線に入って山にどんどん登って行ったところにある翠波峰(すいはみね)で展望を楽しむことにします。

北東方向には四国中央市の全体がよく見えます。右手の海までつながる山で香川県と愛媛県が区切られています。



北東方向は新居浜市と西条市が見えます。こちらも山が海岸線まで突き出していますが、山の向こうは松山市です。松山市は4年前に道後温泉と山頭火を訪ねる旅をしました。



翠波峰から南西方向が見渡せる展望所。左下に見える川は銅山川。中央左のギザギザが方角的にも石鎚山かと思いましたが、石鎚山より全然近いエビラ山という山でした。



銅山川を見下ろして。このあたりは昔、銅が採掘できたのでしょうか。



地質図で見ると青い地帯の上部が諏訪湖からつながる中央構造線で、中央構造線の下部は日本列島が形成された後で出来た地形で、下から押されてきたので南北にシワシワになっています。

さらに中央構造線の下部は早いところでは1年に1ミリの速度で西へ動いているので東西にもシワシワになっています。このシワシワの交点がちょうど剣山と石鎚山なのだと思います。西日本の2000m近い高山が四国九州に集まっているのもわかります。

(日本シームレス地質図より)


最後に西条市の石鎚神社に行って明日の登山の無事をお祈りします。石鎚山山頂にある石鎚神社と区別するために口之宮と名が付いています。



山岳信仰の元祖、役行者。石鎚山は日本七大霊山の一つです。



本日から2泊、西条市のスーパーホテルに宿泊します。夕食は歩いて行けるマルトモ水産で魚を賞味しに参ります。



切り身が大きく食べ応えがあります。味は一徳が上ですが、それでも旨い。



ほろ酔い気分でホテルへの帰り道、満月が中央構造線の向こうから昇ってきました。



【2日目】石鎚山登山


これが石鎚山のルートです。全体的に尾根ルートで沢はありません。ロープウェイで標高1300m近くまで運んでくれるのでずいぶんラクな感じに見えますが、やはり西日本最高峰1972mまで登るのと、急坂が多いのでなかなか歯ごたえがある登山です。

また、このルートにはクサリ場が4箇所あってかなり本格的なので全国からチャレンジャーを惹きつけています。

累積標高約1000m、距離12km、約6時間半の山行でした。


スーパーホテルで朝食ブッフェを終え、朝7時に出発します。県道を南に走っていると、石鎚山が見えました。上部が平らでギザギザしています。あー、アレに登るのかぁ。



積乱雲が最高に発達した形態をかなとこ雲といいますが、石鎚山の名前の由来も金床なのかなと思いました。昔は石鉄山と書いたらしいですが、何やら鉄を打つことと関係がありそうです。

(Wikipediaより)


40分ほど山道を走るとロープウェイ入り口の駐車場に到着しました。



登山シーズンの日曜日だけあってロープウェイは満員です。ロープウェイを使わず歩くと3時間半ほどかかるようです。



山頂成就駅まで800m以上の高低差を10分弱で運んでくれました。



山頂駅からの北方向の景色。



東方向には日本300名山の瓶ヶ森(1897m)が見えます。ロープウェイ乗り場から5時間ほどの距離のようです。



20分ほど歩くと石鎚神社の成就社に着きます。とても広い平地で宿や売店があります。テン泊で縦走する人たちにはとても便利な場所です。



成就社でも登山の無事をお祈りします。



成就社の背面はガラス張りになっており、石鎚山の姿がちょうど絵画のフレームのように中に収まります。神々しさを感じます。



成就社からはこの神門をくぐってから本格的な登山(お参り)に赴く。ここで8:40分。



標高1300mの八丁のコルまでゆるやかな下り坂です。ここからほとんど全行程で頂上が見通せます。



八丁のコルから急登りが連続します。階段が数多く設置されています。



石鎚山にはクサリ場が4箇所あります。それぞれ迂回ルートも用意されています。
  • 試しの鎖
  • 一の鎖
  • 二の鎖
  • 三の鎖
最初に出てくるのが試しの鎖で「お試し」にしてはかなりハードです。クサリを待っている間に以前登ったという人と話をしましたが、難易度は、
  • 一の鎖(普通)
  • 試しの鎖、二の鎖(ハード)
  • 三の鎖(ベリーハード
といった感じのようです。特に三の鎖はぶら下がったクサリのみを掴んで登るらしい。

今回はおニューのモンベルの登山靴(アルパインクルーザー600)を履いてきましたが、モンベル独自のソールであるトレイルグリッパーのグリップ力が強力で、岩場に足をかけても滑らないし、滑る気がしない。石鎚山にはもってこいの靴です。



試しの鎖の頂上には役行者の石像があります。360度の景色が御褒美。



試しの鎖は下りが垂直に近い斜面で簡単な足場がなくてかなり気を遣います。



下りている人の様子。登山道という意味ではこういう場所はクサリよりもハシゴの方が間違いなく優れているとは思いますが敢えてクサリにすることで行場としての意味を持たせているのでしょう。



夜明け峠を進みます。



一の鎖の手前から石鎚山山頂がはっきりと見えます。ギザギザが水平に続く山並みを見ると、中山道歩きで印象に残った群馬県の妙義山を思い出します。標高は妙義山の方がずいぶん低い(1104m)ですが、サメの歯のような山容から推測するに、おそらく厳しさは妙義山の方がずいぶん上なのではないかと思います。

一の鎖は写真を撮り忘れましたが、大峯奥駈道で時々出てくる程度のクサリ場でした。



二の鎖手前の小屋から見た二の鎖をよじ登る人たち。小屋にはトイレもあります。ここから観察すると試しの鎖と同等か、より難易度が高そうに見えます。なにより人が多くて大変そうなので、ここは迂回路を進むことにしました。



頂上手前までくるとギザギザの岩肌が明瞭に見えます。一番奥にあるのが矢筈岩(1846m)、その右が大砲岩(1982m)かな。



ちなみに矢筈(やはず)とは床の間に掛け軸をかけるために使う棒のことだそうです。

(Wikipediaより)


さあ、この鉄階段を登れば頂上だ。



ようやく頂上にたどり着きました。成就社から約2時間半かかりました。



頂上には石鎚神社の頂上社があります。修験者の方々がお勤めをされています。修験者の装束をよく見ると、地下足袋にはゴムソールが施されていて、スパッツやザックをしょってる人もいました。

頂上社でお札とお守りを求めました。



中央右が剣山の方向なのですが、多分見えていないんじゃないかな。四国山地は2000m近い山々の連続で独立峰がないので山を同定するのが非常に難しい。




愛媛県西条市から瀬戸内海、広島の群島もうっすらと見えます。レンズに止まっていますが、小さい羽虫が大量に湧いているのが鬱陶しい。



西の方角には二ノ森、堂ヶ森へと続く縦走ルートがはっきりと見えます。



石鎚山山頂から岩場を進むと15分ほどで天狗岳で到達できます。クサリ場もなさそうでそんなに危なくはなさそうですが、なにせ人が多くて混雑しているので見送りました。

石鎚山は人気の山だけあって、全国から山好きが集まってきているようです。



この後、来た道を戻って下山、ホテルに戻ってこの日もマルトモ水産で瀬戸内の魚を食べて2日目は終わり。

【3日目】祖谷のかずら橋、落合集落の宿

奥さんが電車で阿波池田駅までやってきたのを車でピックアップしました。

本当は見ノ越からロープウェイで登ってから剣山山頂まで奥さんと一緒に登る予定にしていましたが、ロープウェイ乗り場に向かう国道439号線の一部が大雨のおかげで前日に崩落して通行止めになってしまいました(赤円部分)。

迂回路(青色)があるので車を進めましたが、細くて急勾配の村道で時折対向車がくるので、離合が極めて困難。レンタカーを破損させそうになるのでやむなくあきらめました。

筆者は前に剣山には登ったので良かったのですが、奥さんには残念でした。


剣山に登れなかったので代わりに祖谷の名所を観光します。

祖谷は日本三大秘境と言われていて、平家の落人伝説で知られています。吉川英治の小説を含めて一般的な平家物語では、幼い安徳天皇は壇ノ浦の戦いで入水したことになっていますが、祖谷においては、安徳天皇は平教経(のりつね)に連れられて屋島から逃避したと信じられています。剣山では安徳天皇が三種の神器の一つである剣を奉納したとも言われています。平教経、別名国盛(くにもり)は平清盛の甥であり平家軍最強の武将と言われていて、安徳天皇の守護神であったという説は面白いのですが、屋島の戦いを前にして、最強の武将が脱落するというのも考えにくい話でもあります。

(平教経 Wikipediaより)


(安徳天皇 Wikipediaより)


その平家の落人がいざ、源氏の追手がやってきたときに切り落とせるようにしたといわれるのが祖谷のかずら橋。

かずら橋はこの祖谷かずら橋と奥祖谷二重かずら橋の二か所ありますが、昔は7つ以上あったそうです。素材となっているツルは、しらくちかずら(別名サルナシ)と呼ばれる植物で、キウイフルーツのような実がなるそうです。



このかずら橋には鋼鉄のワイヤーがベースになっていますが、着色してサルナシのツルを巻いてあるのでワイヤーがわからないようになっています。がっしりしていて怖さはありませんが、足が板の間に滑り落ちそうなのと、撮影中のiPhoneを落っことしそうでヒヤヒヤします。




祖谷のかずら橋のそばにある琵琶の滝。



その後、今日の宿のある落合集落へ向かいます。落合集落はこの地図の中央にある山の斜面のつづら折りに沿って家屋や畑がある集落ですが、439号線をはさんだ対面に展望所があり、落合集落の全体を見渡すことができます。

ちなみに赤い×印は通行止めで行けなかったところ。



こちらが展望所から見た落合集落の全貌です。高低差390mの上の方まで家々が並んでいます。



これが3倍ズームで、赤円でマークしている茅葺きの民家が今日の宿です。



それなりに気を遣うガードレールもない細い道をうねうねと車で走らせて宿に到着。

こちらの宿は、桃源郷祖谷の山里という団体が運営しています。この落合集落のなかで8軒ほどの宿泊所があり、どれも一棟貸しで長期滞在可能な施設になっています。

分厚い本格的な茅葺き屋根を含めてきれいに管理された民家で、我々の泊る家は「晴耕(せいこう)」という名前がついています。ちなみに隣は「雨読」という名前で、畑を耕すのはともかく、一週間ほど引きこもって読書するのも乙なものです。

前を通ったおばあちゃんに「いいところですね~」と声をかけると、「どうじゃろかな」という返事。日本有数の秘境であることは確かで、東北にもこれだけ都市から隔絶された場所はないんじゃないか?

それでも週に一度はアマゾンのような配送トラックが来てくれるのと、食材は生協が届けてくれるそうです。



東方向の遠方に見える尾根は、右の天狗塚(1812m)から左の三嶺(1894m)へ続く縦走ルートです。三嶺からもさらに縦走ルートは続いて剣山へと続いています。見るからに気持ちのよさそうな縦走ルートですが、交通手段はあるのでしょうか。



室内には囲炉裏があります。知っていたら魚を買って炭火焼きをしたかった。



隣はダイニングルーム。



キッチン設備も充実していてオーブンレンジまであります。



この宿は外見こそは伝統的な茅葺きの古民家ですが、内部は洗練されたウェスタンテイストを感じます。この宿はアメリカ出身のアレックス・カーという日本文化研究家が監修をされているのがその理由です。

アレックス・カーは20代のころから日本中を旅して日本の伝統を研究、産業化により破壊されつつある日本の文化遺産についての問題提起のための著作までされています。

夕食はケータリングをお願いしていたので運んでいただいた食事をいただき、これで3日目は終了です。


【4日目】落合集落散策、祖谷渓谷、満濃池

朝食のあと、落合集落を散策することにします。つづら折りの細い車道を縫うように里道が縦に走っています。足腰の鍛錬には良いと思います。



宮本常一さんの「忘れられた日本人」にはこういった秘境における伝承が書かれています。祖谷については、平家の落人がやってきた話がよく紹介されますが、平家の落人以外にも罪人やレプラ患者(らい病)など村を追われた人々が集まってきて、しかもこういった社会的弱者を受け入れる風土がありました。

「忘れられた日本人」には、石鎚山の東にある寺川において悪代官を村人が丸太で殴り殺した話などが書かれています。こういった場所では米も採れず年貢が免除されていて、国家権力の目の届かない無縁の世界が形成されていたようです。

実際に歩いてみると、あまりの急斜面なので、一般的な棚田にするのも厳しい場所です。それでもなんとか石垣を作って水田にしています。これで300平米くらいだから、一人一年分の米も採れません。

今のように貨幣で食材を配達してくれる時代の前では、米のかわりに粟(あわ)や稗(ひえ)を食べていたそうです。まさに「生きるためだけに生きる」といった感じ。



石垣の裏にはモルタルを張っているようです。そうしないとせっかくの水が全部こぼれ落ちてしまいます。



山所神社。



丸亀までの帰り道に、祖谷渓谷を見下ろせる絶景ポイントに立ち寄りました。渓流の形が、ひらがなの「ひ」の字に似ていることから「ひの字渓谷展望所」と呼ばれています。



岩々に当たって砕けながら流れている渓流の姿がダイナミックです。



丸亀市に入って、満濃池(まんのういけ)にやってきました。司馬遼太郎「空海の風景」に満濃池が出てきますが、若かりし頃の空海は地元の讃岐佐伯氏とともに満濃池をため池にした灌漑工事にたずさわり、その後佐伯氏のツテもあり京の大学に入学します。



満濃池はため池としては日本最大級ということで、取水口は琵琶湖疎水を思わせる規模です。瀬戸内を挟んだ兵庫、岡山、広島でもため池の数は非常に多く、やはり近くに高山がないことと同時に広大な平地が水不足をもたらしたのでしょう。



満濃池を見つめる空海の像。

司馬遼太郎の「空海の風景」では、空海が満濃池を始めて訪れた際、地元の人々が盛大に出迎えをさせるように取り計らいながら、自らはあえて質素な姿で現れて地元の尊敬を勝ち取ったというエピソードを紹介して、なかなか「食えないやつ」と書いてありました。

小説の中でも一貫して、賢いが計算高いというキャラで書かれており、純粋で真面目な最澄との対比が面白かったです。



レンタカーを返して電車に乗る前に丸亀の「新世」でお造り定食を食べました。とても美味しかったですが、やっぱり一徳が一番かな。













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