2019年5月3日金曜日

山上ケ岳、大普賢岳、行者還岳

大峰奥駆道フレンズの山行第二弾です。前回は吉野から山上ケ岳の手前の洞辻茶屋まで歩きましたので、今回は洞辻茶屋スタートになります。

フレンズ二人に車をそれぞれ出してもらい、一台は到着地点の行者還トンネル西口に置いてから、もう一台で清浄大橋まで行ってパーキングする作戦です。京都5時に出発したのですが、細い道での対向車のすれ違いなどで時間をとられ、スタートが9時過ぎになりました。

山上ケ岳の後は大普賢岳を越えて行者還岳に登り、大峰奥駆道出合からトンネル西口で完了というルートです。テント泊の場所は七曜岳手前の稚児泊を目標にしましたが、結果は天候不安もあり大普賢岳手前でテントを張ることになります。


清浄大橋から山上ケ岳までのヤマレコ3Dルート図です。 清浄大橋、山上ケ岳の標高がそれぞれ918mm、1719mなので約800mの標高差になります。


清浄大橋の駐車場はかなり広いのですが、10連休のゴールデンウィークだけあって9時過ぎの段階ですでにほぼ満車でした。数多くの登山客の中にはホラ貝を吹き鳴らす修験者もおられ、さすが大峰奥駆道といったところ。

すれ違いざまには、「ようおまいり」という挨拶をすることになっているようですが、人数が多いのでいつのまにか、「おまいり~」と省略形になります。


このような本格的な修験者もいれば、アディダスの白いスポーツウェア上下で修験者っぽくしている人も多かったです。


 洞辻茶屋に到着。お不動様に旅の安全を祈願。


前回来たときは閉まっていた茶屋ですが、今日はお客が多いので営業中。


左の木の後ろに見えるのが山上ケ岳。前回最後に見た景色。ここから先は未踏の領域です。



途中にこのような茶屋が2,3軒ありました。宿泊できるところもあります。陀羅尼丸屋の経営のようです。



パッと見、右のほうがラクそうですが、「階段多し、足にくる」と書いてあるので左のルートを進みます。





このあたりが油こぼしと言われる場所。こぼさずに登るのはほぼ不可能では?


鐘掛岩。この岩場を登るのが大峯山の難行の一つになっています。我々は右の階段を登ります。


登山で鍛錬を絶やさず最後まで足取りが鈍らなかったN氏。


若干腰を心配しつつも冷静さで最後まで歩きぬいたS氏。



大峯山の四門の三番目である等覚門。仏心に近づいたということらしいです。



巨大な石碑に右に西の覗、左に大峯山寺と書いてあります。


「捨て身の行」と言われる大峯奥駆道を代表する修行スポットである西の覗です。


 断崖絶壁です。


遠くに清浄大橋の駐車場が見えます。


左右に鎖があるので、ここから吊り下げられるのでしょう。「一回五百円」と書いてありましたが、誰も修行はしていませんでした。


仏の世界を垣間見ることは到底できず、ただコワかっただけでした。

本を読んだり講話を聴いたりしてわかったような気になっても、いざ修羅場に巻き込まれると弱い精神が悲鳴をあげてしまいます。修行とは自ら修羅場を作り出し、教えを本物に精錬することなんだということは理解できた気はします。


山上ケ岳頂上の大峯山龍泉寺。境内は洞川温泉そばにあり、こちらは山上参篭所です。女人結界の中心。5月~9月まで利用可能で一泊二食で8000円。


こんな立派な宿坊が数件建っているとは驚きです。


「講」とは仏教を研究する僧の集団を意味する。



こちらが重要文化財の龍泉寺本堂。本尊は蔵王権現。蔵王権現については前回金峯山寺で拝観しましたが、修験道の大本尊で、勒菩薩、千手観音、釈迦如来が合体した憤怒の形相をした神。



頂上は広大な広場のようですが、クマザサが多いのと平地が少ないので意外とランチをする場所がありませんが、当初予定よりもスタートが遅かったこともあり、手早くおにぎりを食べると続行です。


さてここから先ですが、巨大な谷を東から南に回り込むようなルートになります。


こちらはヤマレコの3Dルート図です。ほとんど尾根伝いに山々を制覇していく感じです。







このあたりが投げ地蔵があったはずなのですが、見逃してしまいました。


小笹の宿(こざさのしゅく)に到着。


ここにも立派なお不動さんの像が。


沢ですが豊富な水場がありました。前回は11月だったせいか場所のせいか水場は枯れていたのに対して今回は水には困りません。


京都の山では借景作りに人手で植えられた松のひこばえを見慣れているのに対し、このあたりは自生の松が多い。岩場が多く貧栄養なのが松の生育に最適なのでしょう。


すくすく自然に育つベイビー松くんたち。


このあたりから倒木が非常に多くなるが、特にこの場所が酷い。道を見つけるのが大変だし、跨いだりしゃがんだりの連続。今回55Lのザックが背が高く、樹にひっかかり体力を消耗させられるし、さっきまで可愛いと思っていた松の葉がチクチク足に刺さる。


「倒木祭り~」とふざけながらなんとか乗り切るしかない。


 阿弥陀ケ森分岐の女人結界門。


巨大な岩から数本の樹々が根からはがれながらも、そのまま生きている珍しい風景。


 東方向に日本岳、和佐又山が連なって見えます。和佐又口にバスが接続していてそこから大普賢岳に登るルートもある。底無井戸という名の巨大な岩穴などがあり鎖場も多く上級コースになっている。


途中で見かけた岩。燃えよドラゴンを思い起こさせる。


ハンの鉄爪に似ている。



経函石(きょうばこいし)分岐。


ちなみに経函とは経典を納める箱のこと。こんな箱がはいるような四角いくぼみのある岩が見れるようです。


小普賢岳までたどり着き、いよいよ大普賢岳に向かおうかとした矢先に雲行きが怪しくなりゴロゴロと雷が二度ほど鳴りました。ここから先が今回一番の難所となり大雨が来たら滑落の危険性が非常に高まるので、先に行かず、引き返して適度な場所でテン泊することに決断。


小普賢岳にあるお札の束。


経函石分岐よりさらに少し引き返したところに開けた場所があり、なんとか三人それぞれ平地を見つけてテントを設営します。

薄暗い雨雲から雨のしずくが何時落ちるかとヒヤヒヤしていましたが、結局雨は降りませんでした。4時頃でしたが設営も終わり、少し休憩してから夕食にします。前回とても美味しかったハンバーグをリピート。出てきた肉汁を使ってコンビニのおにぎりを焼き飯にしていただきました。


少し上にはピースを決めるN氏のテントが。


 この緑が私のテント。玄関前の枝がどうしても取り除くことができず邪魔でしたが仕方がない。後ろのオレンジがS氏のテントです。

今回は残念ながら3人で雑談しながらのディナータイムというわけにはいきませんでした。何より想定以上に疲労しており、19時くらいには寝てしまいました。

時々飛行機の音と風の音で目が覚めますが、雨も降らず、風でテントが揺らぐこともなく、比較的ぐっすりと眠れました。ただ朝方3時頃にはかなり冷え込み、シュラフカバーを装着して潜り込んで寝ました。


朝は5時過ぎに起床、フライパンで赤飯のおにぎりを焼き飯にして食べると撤収作業にはいります。6時30分から行動開始したのですが、それまでにすでに5人以上の登山客が大普賢岳に向けて歩いていきました。山上ケ岳の宿坊に泊まった人たちでしょうか。


経函石分岐に戻る。


小普賢岳を越えます。少し険しい下りが続く。


尾根沿いのゆるやかな道にホッとします。


東側の山々。


大普賢岳頂上を巻く道があります。


さあいよいよ大普賢岳へ。


頂上からの景色です。遠くに弥山と小さな三角の八経ケ岳が確認できます。


修験者の方がやってきて般若心経をあげていました。


一緒に記念撮影。地下足袋で毎年七日間かけて大峯奥駆道を縦走されるとのこと。奥駆道は南のほうが体力的に大変だと言われていました。



 大普賢岳を越えたことで今回の踏破に自信がつきましたが、真の難所はここから七曜岳(しちようだけ)の間なので全然気をゆるめられません。


 弥勒岳付近で西から東へ方向転換するため踏破してきた山々が見えてきます。


これが大普賢岳。遠くから見ると、よくこんな山に登ったもんだと感無量です。

普段の一歩一歩があとで振り返ると大きな成果に見える、人生と同じですわ。


S氏と一緒に、「あの山から来たんだぜ~」のポーズ。


和佐又山の南に広がる巨大な谷。




岩場をホイホイと軽やかに降りるN氏。


あの先に見えるのが国見岳。


国見岳頂上まで来ました。


さあここから「薩摩転げ」「内侍落とし」といわれる鎖場のオンパレードです。体力よりも精神力がモノをいいます。
内侍は女官のことなので、女は無理ということなのでしょうが、薩摩とはどういう意味でしょうか?




鎖もつかわずポーズをとるN氏。もはやシェルパの域に達している。


安全第一で冷静に降りるS氏。


岩に直接打ち付けてある鉄バシゴ。時々グラついていたりするのがコワい。



なんとか危険地帯は踏破しました。


稚児泊にて。ああ、これでとりあえず生きて帰れそうな気がして、ホッと一息。
元々はこのあたりでテン泊をするつもりだったのですが、体力的に一日でここまでくるのは相当厳しかったように思います。なので、経函石分岐手前でテン泊しておいて大正解でした。やはり15キロ近くの荷物をかついで歩くと確実に疲れます。


弥勒岳に大普賢岳。少し離れて右に小普賢岳。ちなみにこの小普賢岳は我々の登った小普賢岳とは別の山で東に和佐又山につながるルートになります。


七つ池を見下ろして。残雪がパラパラ見られました。




鎖をつかんで登る私。ちゃんとバックに小普賢岳を入れてくれています。


七曜岳に到着。


断崖絶壁に架けられた橋。


小さな三角の八経ヶ岳は目印としてわかりやすい。



こちら七曜岳から行者還岳を通ってトンネル西口までのヤマレコ3Dルート図です。



和佐又山への分岐。


倒木と土砂崩れの跡。


木のハシゴもときどき針金が取れていたりするので要注意。



このあたりからキャベツみたいな緑の草が大量に生えていた。調べてみるとバイケイソウという種類で6~8月にかけて開花する花で、有毒アルカロイドを持つそうです。
行者ニンニクに姿が似ていることから時々中毒事故が発生し、場合によっては死亡することもあるということです。

毒性が強いので鹿にも食われずに生えまくっているのですね。


大阪工業大学のワンゲル部の部員の慰霊碑。


ここから往復15分ほどで行者還岳に登れる。重い荷物は置いて行く。


行者還岳頂上で。


ここからも八経ヶ岳が見える。


難所は通り越したといってもハシゴや鎖は所々に出てきます。


行者還の水場。湧き水がどんどん出ていました。下山のハシゴを見上げるとココもなかなかタフな場所。


ようやく行者還小屋に到着。トイレが二つあるので、使わせてもらう。ちょうどお昼なので、小屋のなかでオルニチン入りのマルタイ棒ラーメンに餅を入れて食べる。

お昼を食べるともう登山も終わったような気になるのですが、ここから奥駆道出合まで約2時間、そこからトンネル西口まで40分なので、合計3時間近くも歩かなければなりません。

実際は写真の右後ろから登ったのですが小屋から見ると行者還岳がものすごく険しい山に見えます。


ここから先はところどころ倒木がありましたが歩きやすい道でした。


バイケイソウの毒のじゅうたん。


八経ヶ岳と弥山が近くなってきました。


一の峠。


もう少しで奥駆道出合だと思って頑張る私の後ろ姿。


ようやく奥駆道出合に到着。


あとは下山するだけと、最後に行者のポーズで決める。


ここからトンネル西口のルートは2017年10月に登ったのですが、どんな道だったかすっかり忘れていました。予想以上に岩場が多く、40分の下山はかなり足に来てしまいました。後半は砂利も多く、あやうく転びそうになりながら最後の力を振り絞って進みます。

今回はそもそも岩場のアップダウンが非常に多かったのに加えて、水を持って行き過ぎたのと、背の高いザックが重心を狂わせるし倒木をくぐるときに引っかけるわでかなり体力を消耗してしまった感があります。前回よりも2割増しくらいのしんどさでした。

残念ながらカリマーアルピニステは今回限りでお役御免にして次回は、頭の上に突き出さなくて背中にフィットしたザックを新調することにします。


ようやく沢まで下山できました。


トンネル西口に到着。私のガッツポーズはN氏の勝利のポーズに完全にやられてしまっています。


トンネル西口に停めてあったN氏の車で清浄大橋まで戻り、停めてあったS氏の車のところで、S氏とは解散です。そこでふと上を見上げると山上ケ岳がきれいに見えます。西の覗から駐車場が見えたように、ここからも西の覗らしき場所が確認できました。

まだ4時前くらいだったので洞川温泉センターで垢を落としてから帰ろうかと言っていましたが、ゴールデンウィークで駐車場には車の行列が。仕方がないので諦めます。


N氏の車に同乗して帰る途中に寄った道の駅でアユの塩焼き600円。ここでS氏と再会を果たします。大峯奥駆道シリーズの次回は、もう一度トンネル西口から八経ヶ岳に登り、釈迦ケ岳、前鬼というルートになりそうですが、いつになるでしょうか。


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