2026年1月14日水曜日

【東海道】佐屋宿、神守宿、万場宿、岩塚宿、近鉄烏森駅

 2026年になりました。今年最初は東海道歩きの続きです。

去年12月に桑名を過ぎたところまで進んだので、今回は名古屋を横断して岡崎まで2泊3日で行きます。

江戸時代の東海道は桑名から熱田まで「七里の渡し」と呼ばれた舟便で行きました。今はそのような船便が存在しないので陸路を歩きます。

前回は適当に国道1号線を8kmほど歩いて旅を終えたのですが、後になって江戸時代に舟が苦手な人向けに佐屋街道という道があることを知り、今回は8km戻って佐屋街道を歩きます。

3日の行程は以下のようになりました。1日目の佐屋街道は知名度が低いせいか普通の道路で大した見どころはありませんでしたが、2日目は熱田神宮と桶狭間、そして名古屋城、3日目は岡崎城と見どころの多い旅になりました。

宿は2泊とも名古屋のアパホテルです。

宿場町については保存された場所はなく、街道は一里塚は多く3日目の松並木が印象的でしたが、おおむね道路中心です。ただ、桶狭間近くの有松地区が「日本遺産」に認定され、宿場町でもないのに旧街道の雰囲気を大変良く残していて良かったです。

  • (名鉄佐屋駅)、神守宿、万場宿、岩塚宿、(近鉄烏森駅) 28km、7時間半
  • (近鉄烏森駅)、熱田宿、鳴海宿、(名鉄豊明駅) 26km、7時間(後で名古屋城訪問)
  • (名鉄豊明駅)、池鯉鮒宿、岡崎宿、(名鉄美合駅) 20km、5時間


1日目の詳細ルートを記します。

江戸時代の舟が苦手な人向けのルートとして、桑名の湊から出立する「三里の渡し」に乗って、佐屋の船着き場に着いたというシナリオです。そこから佐屋街道に沿って近鉄烏森(かすもり)駅まで歩きます。

途中には、神守(かもり)宿、万場宿、岩塚宿の3つの宿場があります

佐屋街道は東海道の補佐的な役割の街道だったので、あまり保存しようという動きもないようで、普通の市道、県道でした。



名古屋まで新幹線で進み、名鉄に乗り換えて普通電車で40分ほど行った佐屋駅(写真)で下車します。時間は10時過ぎ。

名古屋駅はあまり下車したことがなくて新幹線出口から名鉄までが歩いて10分くらいかかってややこしいので事前に調べておいてよかったです。

名古屋は名鉄が放射線状に延びていて、JRよりもずっと駅数が多いです。

特に放射の中心の名鉄名古屋駅は「日本一のカオス駅」と言われているだけあって、乗り場が7色くらいに区分けされているのですが、色の違いがわからず戸惑いました。たった2本の線路に一日900本の電車が停車するらしい



見にくいですが「佐屋三里之渡址」と書いてあります。木曽川から1.5kmほどの場所にありますが、昔はここまで舟が来れたということですね。



舟着場のすぐそばにある佐屋代官所址。このあたりが佐屋宿です。旅籠の数を調べてみると桑名宿から七里の渡しを使った旅人の方が多かったのがわかります。歩いてみてわかったのですが、佐屋宿から熱田宿までの陸路も川の数が多くて当時は渡し舟を何度も使ったでしょうから、七里の渡しのほうがずっと便利です。

【桑名宿120軒】---ー(七里の渡し)---【熱田宿248軒】
          --ー(三里の渡し)---【佐屋宿31軒】



昭和の終わりごろに建てられた佐屋街道の石碑。「海道」と書いてある。



愛宕神社。白い拝殿が印象的だった。



鳥居の跡。これは伊勢湾台風で倒壊して修復されないまま残されているものです。四日市で、伊勢湾台風で水田や用水路が破壊されたと書かれた場所がありましたが、三重県、愛知県での被害は特に大きかったのがわかります。

この鳥居は背面西方向にある津島神社の参道で、後で知りましたが尾張を代表する神社の一つのようだ。



日光川堤防にあった地蔵菩薩。



お昼になったのでちょうど道程にあったキッチン鳶色に入ります。ランチセット1種類のみです。右のゴマがかかっている揚げ物はレンコンで糸をひいて美味しかった。お客さんはほぼ全員が地元の奥さまたちでした。



神守(かもり)宿に到達。佐屋宿と万場宿の間が長いので作られた宿場町だそうで、補佐的役割だったためか旅籠は12軒と小さめ。

金属製の立派な山車蔵が目を引く。



神守宿にある憶感(おっかん)神社。さきほどの愛宕神社と同じでこの神社も拝殿が白い。



七宝焼原産地の碑。英語で書かれた石碑は初めて見た。「Shippoyaki Toshima」と書いてあります。明治の中頃、尾張七宝は有名で外国人が買い付けに訪れることが多かったので英語で書かれているそうです。

江戸時代にオランダ船でやってきた七宝焼きをまねして造ったのが尾張七宝の由来だそうですが、オランダ人の職人から教わらずにやったとしたらすごいですね。



ちょっと疲れてきたので一休み。七所社という神社。赤い架け橋が印象的。今回、サーモスの350mlボトルを買ったのだけれど保温力はさすがだと思った。

あと、ティーバッグじゃないパウダータイプの緑茶も水筒に向いていて正解でした。



新川を渡るあたりで名古屋の高層ビル群が見えてきました。



浅間神社。センゲンと読まれることもあり時々見かけます。浅間山信仰のことかと思っていましたが、「浅間」というのは火山を意味していて、日本における火山信仰の中心は富士山なのですね。祭神は自ら火を放った産屋で出産したコノハナノサクヤヒメです。



国玉神社、八剣社の前にあった巨大な常夜燈。この先あたりが万場宿があったところ。庄内川をはさんだ向こう岸に岩塚宿があり、月の半分で万場宿と岩塚宿で分担していたそうな。

こういう形態の宿場町は初めてです。



庄内川を渡る。歩いてみてつくづく感じるのは名古屋って川が多いこと。佐屋街道は現在の国道1号より北側を迂回していますが、江戸時代は佐屋街道より南側は無数の川で安定した道がなかったんじゃないかと思います。



七所社。神守宿そばで休憩したのも七所社でした。調べてみると、熱田神宮の7社を祀っている神社ということらしい。熱田神宮の影響範囲に入ってきたということでしょうか。

ここの七所社には日本武尊が東征を終えた後に立ち寄って腰かけた岩があります。地理的に考えて伊吹山の闘いの前でしょう。日本武尊は、大切な劔を尾張の豪族の妻に預けて伊吹山に向かい、素手で怪物と闘ったせいで敗けてしまいました。

腰かけ岩のうえには何故か二宮尊徳がいます。

この先が岩塚宿です。さきほど書いたように岩塚宿と万場宿は月の前半後半で役割分担していました。残念ながら宿場町を感じさせるような建物は残っていません。



この後、3時半頃に近鉄烏森駅に到着して近鉄名古屋に向かい、名古屋駅西口にあるアパホテルにチェックインしました。近鉄名古屋駅からJR名古屋駅に向かうのも迷いました。名古屋駅って慣れないせいか立体迷路です。

烏森は「かすもり」と読みます。京都の烏丸「からすま」に似ていますがちょっと違う。近鉄名古屋駅までは3駅です。間の駅に黄金(こがね)駅がありますが、他にも名鉄に金山駅があって、名古屋ってやっぱり金のシャチホコのイメージがありますね。

2日目はこちらへ。