2019年4月13日土曜日

蕨宿~桶川宿

去年の3月に、日本橋から蕨宿まで歩きましたが、今回はそこからの続きです。

ちょうど佐東利穂子による初の独自振り付けの公演が荻窪のKARASであったので、それに合わせての街道歩きです。


公演開始が夜8時だったので、それまでの間、東京駅周辺のギャラリー巡りをしました。東京ステーションギャラリーで、60~70年代に活躍したフィンランドの建築家アウヴァ・アアルトの作品を鑑賞。ミッドセンチュリーをベースにした北欧テイストのデザインでした。


東京ステーションギャラリーの階段ですが、オリジナルのレンガを壁に使っています。



そのあと、三菱一号館美術館で、「ラファエル前派の軌跡展」に行きました。東京らしいスキっとして気品のある場所です。


展示室のなかで、「写真OK」の部屋があったので遠慮なく撮影。これはプレ・ラファエルを代表するロセティの作品。私が一番好きなのはアーサー・ヒューズ。


これはミレイの作品。結婚通知を破棄されたという悲しみの表情です。


高円寺のホテルで宿泊して朝8:30に前回の終点である蕨駅から中山道歩きを始めます。


蕨宿。


蕨宿は資料館もあり、わりと歴史保存の認識は高そうです。


蕨宿に宿泊した著名人が書かれた札がありました。姫君は、中山道では一番有名な和宮様が書かれています。楽宮(さざのみや)は別名、喬子女王(たかこじょおう)とも言われ、第十二代将軍の徳川家慶(いえよし)の正室です。



蕨宿は、中山道で5指に入る大宿場。毎年7/11と12/26は市が立つと書いてあります。


蕨市立小学校。桜がきれいです。


毎月、一と六がつく日に市が立ったことから、一六橋といわれています。ひょっとして一六タルトとつながっているか?と思いましたが、あちらは明治16年創業だからでした。


辻の一里塚跡。横に外環状が走っていて街道の趣はないが、桜が美しい。


以前このあたりは湿地帯で通行に難渋したということで、水難除けの弁天様が祀られている。


途中で見かけた見事な桜。


この坂で名物の焼き米を売る立場があった。お米のグラノーラみたいなもの。


今回の埼玉の中山道歩きですが、東京都内と違って庶民度が高く、食事も中華が非常に多い。


こちらの井戸は、関東大震災や東京大空襲の際の人々の喉を潤した。


右下に井戸があります。


調神社、「つきじんじゃ」と読む。この「調」は律令制度の税制度である租庸調(そようちょう)の調のことであり、繊維が基本で、代わりに地方特産品や貨幣も認められた。
この調神社は、これら貢物の搬入場所になっていたので、鳥居は邪魔になるとされ存在しない。

見事な楓が新緑をつけている。



楓の巨木の下から、可愛いひこばえが生えている。


調を「つき」と読んだことから、月の動物とされるウサギが狛犬のかわりに置かれている。


蕨宿から約4.7kmの浦和宿に到来。


小田原城を制した豊臣秀吉の家臣、浅野長政が民心の安定のために、毎月2と7のつく日に市を設けた。月に六回市が立ったので六斎市と呼ばれた。終戦まで続いた市を記念したブロンズ像。


浦和宿。名物の焼米のお店がある。遠くに噴煙を上げているのは浅間山。こんなにはっきりと見えたのですね。


JRの線路沿いに咲くヒナゲシの花。



突然変異のあざやかな美しい芋がここで発見され「紅赤」と名付けられた。関東ロームの赤土でないと栽培できなかったそうです。今はさらに人為的な品種改良されたサツマイモが売られている。


庚申塔。


埼玉はやっぱり地方だな、と歩いていると大都市のようなビルが見えてきたが、ここが、さいたま新都心と言われるところ。

この一風変わったビルは日本郵政グループのビルのようです。


ケヤキ並木。


シャガが咲く季節になりました。


これらは新都心の庁舎。新都心とは都心を補完するための都市機能であり、みなとみらい21や幕張も新都心。

都心と新都心の間の規模を副都心と言う。有名なのが新宿や池袋副都心がある。


巨大な副都心ビルの線路をはさんだ足元にあるのが、右のお女郎地蔵、と左の火の玉不動尊。お女郎地蔵は、親の借金で売り飛ばされた美しい姉妹の姉が材木屋の若旦那と恋に落ち結婚を誓ったが、悪党にも見染められてしまい、見受けせねば女郎小屋に火をつけると脅され、主人に迷惑をかけてはと高台橋から身を投げて死んでしまった。それを哀れに思った村人たちが地蔵にして供養をしたという話。



COCOON CITYという一大ショッピングエリアになっている。


氷川神社の鳥居。寛永5年に中山道のルートが変わった。以前は参道が街道だったのが、神域を道路にするのは不敬と考えられたから。




塩地蔵。父の病気を治してもらおうと祈願のために娘が塩断ちをしたのが由来。健康上の理由で塩を断つのはわかるけれど、祈願のため、というのがどういう理屈なのでしょう。


大宮宿は浦和宿から6.1kmですが、大きな街になっていて中山道宿の面影を示すものは何もない。廃屋のようになった家が残されているのが何かいわくがありそうに見えます。



大宮宿。富士山が麓まで見えたのですね。今とは全く違う風景。氷川神社の門前町として栄えたそうです。


JR大宮駅。


樹齢100年くらいの巨大な椎の木が二本。街道の目印になっていたという。


ファミレスでランチ。ハンバーグ、海老フライ膳。


JR宮原駅。


天神橋跡。昔は川があったんでしょうか。欄干の石が無造作に駐車場の外に置かれています。誰も気が付かないでしょうね。


加茂神社。


ここのベンチでほうじ茶を飲む。2万歩を越えてくると少し疲れてくる。


江戸時代はこのあたりでも紅花を栽培していたそうです。




天然記念物のセンダン。


5月から6月に薄紫色の花が咲くといいますが、まだ枯れている状態です。


このあたりの中山道は庚申塔が多い。土台に「見ざる言わざる聞かざる」の三猿がいる。


切株の脇に花ニラかな、と思われる白い花が咲いています。



愛宕神社。



氷川鍬神社。






JR上尾駅、ここに上尾宿があった。


紅花の売買で財をなした須田家。いまでも立派な屋敷として存在しているけれど、どんな仕事をしている人たちが住まれているのでしょうか。


このあたりが桶川宿。紅花の産地として繁盛し、京都へも送られたという。


氷川神社の場所を尋ねる旅人。このあたりは湿潤地帯であった。


武村旅館。この木造家屋でなく横のビジネスホテルが今の武村旅館となっている。




ちょっと見かけないデザインの家。なにやら頑丈そうに見えます。


京都にありそうな古民家を活かしたおしゃれなカフェ。


桶川宿の本陣。




本当は桶川宿の先の鴻巣宿(こうのす)まで歩こうと思ったけれど、新幹線の時間が気になり、途中の北本駅で終わることにした。約25kmの行程でした。これより先はどんどん東京より遠くなる一方、結局東京まで帰らないと新幹線に乗れないので、時間と交通費がバカにならない。最低二泊、あるいは三泊くらいの覚悟が必要な一方、道路を歩くので面白さがない。困ったものです。



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