登るには、北大路駅から出る「もくもく号」に乗ります。8:40発で料金500円。8人乗りくらいのマイクロバスに30分乗って下の「現在地」の場所である岩屋橋に到着。
左が志明院、右が桟敷ケ岳登り口と出ていますが、面白いのは左側です。今回は左側から入って頂上からぐるっと回って、この右側の道を逆に歩いて、岩屋橋に戻るというルートです。
山と高原地図でいくと今は〇の場所。ここから右回りにいきます。
左に入ると旅館なのか食堂なのかお店がある。お客さん来るのかな?
惟喬親王(これたかしんのう)を祀る神社。桟敷ケ岳の由来は、惟喬親王が都を眺めるために山上に高楼を作ったという伝説から。でも実際登ってもそんなに都の景色は良くはなかったですが。
しばらく車道を進みます。iPhone Xの写真は確かに解像度は目まぐるしく上がっているけれど、階調の自然さはまだまだRX1Rには及ばない。全体にフラットな感じがする。
この階段の先は志明院。最初はこのお寺を抜けていくのかと思い進んでいくと、明らかに人を歓迎したくない老婆に山に行くなら脇道を通るように言われました。
このお寺には魔物が住んでいて怪奇現象が起きるといううわさ。
お寺を左手に見ながら脇道を上がっていきます。
この標識を右に行きます。ネットを見ると間違えて左にいった人も多いみたい。
この桟敷ケ岳は、あまり目印のテープも少なく、道がはっきりしないので、GPSなしで間違えずに上るのはまず不可能、と言っておきましょう。
今回のiPhone XはGPSとデジタルコンパスの精度が非常に良いので、ものすごく助かりました。逆にこれが壊れことを考えるとコワいです。
これが六体地蔵。進路は奥から手前に進んできたのですが、これをそのまま手前方向にいくと大森リゾートキャンプ場に行くようですが、桟敷ケ岳は地蔵達の背中側を進みます。
iPhone Xのポートレートモードで。
六体地蔵のある場所は薬師峠とよばれています。
すぐに何やらお墓のようなストーンサークルが。何となく不気味です。
こういう道がはっきりとわかるルートは少ない。
かなりな急こう配をストックを使って登りきると、岩茸山(いわたけやま)。
ここから桟敷ケ岳頂上までは尾根沿いです。急に景色が開けました。向こうに見える山はナベクロ峠と言われる場所のようです。
送電線。いつも思いますがよくこの山奥にどうやって立てるのでしょうね。
桟敷ケ岳頂上に到着。誰もいないし、景色もさして良いわけはないのでヤッターという気分にはならない。
こんな景色を見ながらお弁当をいただきました。沸かしたお湯で食べる豚汁が美味しい季節になってきました。
さて、帰りは東向きのルートで下っていくのですが、沢沿いになります。雨が降ったあとなどは、おそらくこのルートは避けた方がいいと思います。
GPSで何度も確認しながら間違えないように進みます。このような標識はほとんど出てきません。
途中に相当な急こう配があります。多分道を間違えたのだとは思いますが、落ち葉で滑りやすく、ストックで支えながら下りて行ったのですが、見事に滑って3メートルほどいってしまいました。滑る途中でストックを置いていってしまったので、また這い上がってストックを掴んでまた滑るというちょっとしたスリルを味わいました。
滑った先にはまた沢があります。イワナが獲れるんですね。いまは禁漁のようですが。
すぐに道路にでてしまいました。「えっ」という感じです。自転車で登ってくる若い子たちがいました。
ひたすら道路を歩いていきます。はっきりってあまり面白くありません。行きのルートを戻った方が良かったかも。
スタート地点の岩屋橋に近づくと赤い提灯が。
料理旅館 洛雲荘。川床料理で冬のぼたん鍋が名物ということ。でも車で来たら飲めないし、泊まるほどではないし、微妙です。
北大路へ戻る「もくもく号」は15:10発。ところが岩屋橋に戻ってきたのが13時前。やはり帰りが道路だったのでめちゃくちゃ早く着いてしまった。
こんなところで2時間も待っていてもしょうがないので、もくもくのルートを逆に、とにかく歩き出す。
このあたりは雲ケ畑と呼ばれ、平安時代は平安京の木材をここから支給していたということ。
道すがらのお家。松の枝を家の坂に合わせて伸ばしている。昔からのちゃんとした集落という雰囲気。
持越峠。このあたりはサイクリングコースになっているようで、スポーツ車でスイスイ走っている人が幾人か見かけた。
途中で二ノ瀬へ向かう東海自然歩道のルートを見かけたのでそちらへ向かう。北大路までいくにはまだ10キロほど歩くが、こちらのルートだと3キロ弱。
夜泣き峠へ向かう道へ出る。夜泣き峠にいくのは三度目。
最後は二ノ瀬にでるので叡山電鉄鞍馬線に乗って帰りました。
岩屋橋から二ノ瀬へのルートはこちらです。
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