余談ですが、私の家の周りのレストランの多くがテイクアウトサービスを始めましたが、これはフレンチレストラン信さんの、お弁当。この豪華さで、2200円。
さて、京都府での標高第四位の地蔵山(948m)ですが、愛宕山山頂から標準で往復80分となっています。愛宕山登山ですと、清滝から登って愛宕神社に参拝し、月輪寺を周って下山するのが一般的(2017年の記事)ですが、今回は地蔵山が目当てなので、水尾の駐車場から登るショートカットコースです。
S氏の車で、マスク着用、ドアウィンドウ全開で、感染防止に気をくばりながら、水尾の小学校跡そばの駐車場に到着。
駐車場は、5台ほどのスペースです。朝8時に行動開始。
こちらの駐車場は無人で、郵便受けに、500円を投入するシステム(?)です。
水尾は、柚子の産地で有名です。2018年の柚子の季節の水尾の記事はコチラです。
春から初夏に咲くツルニチニチソウです。
こちらは牡丹。
こちらが登山口。
3Dの全体ルートです。水尾の別れで、愛宕山登山メインルートと合流します。愛宕山と地蔵山の間は、とても歩きやすく心配はありませんし、植生も愛宕山までと違って面白いです。
少しペース速めで6時間弱ほどの行程でした。
お互いが感染者でないと100%言えないので、一応2メートル以上離れて歩きます。
水尾の別れまでの道は、なだらかな登り道が続きますが、変化がなく、あまり面白くありません。
こちらが水尾の別れ。ここから愛宕山登山のメインルートです。
開いているのを見たことがないのお茶屋ですが、7/31の千日詣りの際は開店するのかもしれません。
黒門が見えてきました。
石段に、満州大坂住人と書いてあります。明治時代かな。
頂上付近の広場です。GW二日目ですが、ほとんど誰もいません。
愛宕山頂上の神社は後回しにして地蔵山方面へ向かいます。
地蔵山に行くまでに3つ分岐があり、一つ目は、サカサマ峠から大きく迂回して清滝に戻るルート、もう一つは芦見谷ルート、そして竜ヶ岳に行くルートです。
これは最初の分岐。
林道になっていて歩きやすい。
これは竜ヶ岳に向かうルート。
地蔵山が見えます。
後ろにモコっと見えているのが竜ヶ岳。
ARヤマナビで確認。ちなみにホサビ山は、竜ヶ岳のずっと後ろ。このアプリ、前後がわかりやすく認識できれば、さらに良いが。
愛宕スキー場跡の看板があります。地蔵山へはこの看板の方向へ歩かないといけないところ、そのまま林道をまっすぐ行ってしましました。
この林道は、北西に地蔵山を迂回して越畑にまで続いています。
嵯峨樒原(しきみがはら)の集落が見えます。以前は愛宕神社の門前町として旅籠や酒屋で栄えたそうです。
S氏に言われてルートが違っていることに気が付き、メインルートへ戻る道(オレンジ)を行きますが、ここがなんと倒木祭り。
病院が大変な状態で、怪我をすると世の中に迷惑になりますので、注意深く倒木のなかを進みます。
多分ミズナラだと思います。先日、峰床山に登ってミズナラを多く見ましたが、地蔵山も同じような植生です。
馬酔木(アセビ)が非常に多い。毒があるので、鹿が食べないから増えているようです。
後ろを振り返ると愛宕山。
拡大写真です。比叡山にゴツンとやられてタンコブになっている部分です。
途中に反射板がでてきました。S氏撮影。
山を越えて電波を送り届けるための設備のようです。
三か所の足元を見ると、それぞれ微調整できるようになっている。
地蔵山の全貌が見えました。ミズナラの若葉は五月上旬から吹き出すそうで、ほとんど禿山のように見えますが、部分的にアセビと思われる緑がモヒカン刈りのようになっています。
頂上に到着。
残念ながら眺望はほとんどなく、隙間から竜ヶ岳をのぞき見える程度。
11時ですが、ランチにします。10メートルくらい離れて座ったので、大声で話さないと聞こえませんが、他に誰もいないので気にしなくても良い。
馬酔木の花が少し残っています。
帰りは正しいルートで愛宕山頂上に向かいますが、このあたりは昔はスキー場だったのです。どのあたりで滑降していたのかよくわからなかったのですが、この場所だと滑れそうに見えます。
Googleで調べてみました。上の写真は、右から左下を眺めていますが、やはりこのスロープがメインのコースだったように思われます。
当時はスキーリフトもないので、滑ったあとは雪の上を歩いて登ったのでしょう。かなり体力の要るスポーツだったかと思います。ちなみにスキーリフトは、昭和22年に進駐軍が志賀高原に設置したのが第一号のようです。
昭和4年(1929)に愛宕山鉄道が開業、嵐山から清滝までは鉄道で、清滝から愛宕山の間にケーブルカーが開業されました。愛宕駅は水尾の別れと黒門の間から少し脇道にそれたところにあったそうで、今度行ってみたい。
当時の愛宕駅。
遊園地やホテルまであった。
ところが15年後、終戦の約一年前の1944年に愛宕山鉄道は不要不急線ということで、戦時資材を確保するために解体されてしまいます。スキー場も閉鎖。
スキー場を開いたのは、京都の中学校校長であった中山再次郎という方で、伊吹山スキー場も開かれたそうですが、当時あった銅像までもが、戦時資材として持っていかれてしまいました。
愛宕山まで来たら、白髭社方面のみちを登ります。
木の下に隠れるように小さな祠が。
白髭社を過ぎると、愛宕大社の石段途中に出てきます。
お参りしたら石段を下りる。
斜めに突き出すような古生代のチャート層。
水尾の別れまで戻ってきました。
長い単純な坂道の後、水尾の登山口に到着。しなびてしまった柚子の実がいくつか残っています。
シャガがきれいな季節です。この後、S氏の車で、ドアウィンドウ全開で帰りました。もう初夏の陽気です。
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