2019年1月12日土曜日

石山寺駅~音羽山~逢坂山

今回はザックを新調しました。ミレーのパルス28。もう百回近く使ったコロンビアのバークマウンテン30Lも素晴らしい商品ですが、巾着の部分がボロボロになってきたので。ミレーのザックは、一言でいうとカッコいいです。


2本のストックを逆八の字型にさすので、デッドプールみたいです。


さて、今日は、逢坂山登山がテーマで、いろんなルートがありますが、石山寺駅から音羽山に登ってから逢坂山に登るルートを選びました。

全体のルートです。音羽山の真下には新幹線が走り、逢坂山の真下には東海道本線が走っています。

G(ゴール)直前の左のヒゲは道に間違えたもので意味はありません。


3D地図で見るとこんな感じ。石山寺は瀬田川のすぐそばなのがわかります。


3D地図を回転させて京都上空から東を見たらこうなります。2017年に音羽山に登っていますが、その際は今回のゴールである追分駅からずうっとこの図でいうと下のあたりまで来て牛尾観音経由で頂上に行きました。なので前回は西側、今回は東側を歩くことになります。


石山寺駅です。石山寺は有名ですが今回は訪問しません。


右が北の図で、現在地から右上の幻住庵の方面に進みます。日本酒を飲んでいい気持ちになってる石山温泉が気になりますが、旅館は2件くらいしかないようです。


岩間寺というのは知りませんでしたが、なかなか山の中にあるようです。西国三十三霊場の12番。石山寺が13番です。醍醐寺から岩間寺に行くルートが良さそうなので今度行ってみたい。


音羽山7.5Km、逢坂山10Kmの標識です。


近津尾神社(ちかつおじんじゃ)鳥居


途中にあった幻住庵(げんじゅうあん)。松尾芭蕉は近江を愛したといわれ、四カ月ほど滞在したと言われます。松尾芭蕉については全くの勉強不足で、まだあまり興味を湧かず通り過ぎます。


幻住庵に至るあたりアパートがいくつかありましたが、住民も居なさそうで、かなりうらびれた感がありましたが、よい家が並ぶ場所もありました。


音羽山のソーラーパネル絶対反対の看板がいくつかありました。大規模というわけでもないですが、そこそこの敷地に並んだパネルは太陽の向きに合わせて自動でパネルの角度を変えられる仕組みになっています。

確かに住宅地の真横にこういうのが出来ると土地の価値は決して上昇するとは思えませんが、みんな電気なしでは暮らしていけないわけで、脱原発のためにもうまく住民と合意してほしいと思います。


舗装道路から外れます。標識が出ている。


獣害除けの柵を越えるといよいよ音羽山への道が始まります。


坂道には石や木で階段がつくられていてとても歩きやすい道です。



倒木もいくつかありましたが、京都の北に比べれば非常に少ない。


音羽山に近づくにつれ傾斜がハードになりますが、整備されているので歩きやすい。


パノラマ台を通って行くことにします。


パノラマ台の景色です。近江大橋がよく見えましたが、パノラマというには180度くらいの画角で見えてほしかった。


パノラマ台はスペースは結構あります。


少し行くと音羽山の頂上です。ここからの景色は実に素晴らしい。琵琶湖と比良山が望めます。雪化粧をしているのは武奈ヶ岳。
ホント、送電線がなければもっといいのに。


武奈ヶ岳のアップです。


こちらは京都方面。山科と洛中の間にある清水山、稲荷山。御所が見えてその先は愛宕山。写真には入っていませんが、北方向には大文字山、比叡山も見えます。京都オールスターズに琵琶湖まで見える。まさに絶景。


拡大です。雪がはらはらと舞う中、豚汁が美味しかった。


頂上を後にして逢坂山方面に向かいます。


右手に時々琵琶湖の景色が楽しめるので歩いていて楽しい。


大変よく整備されています。倒木の影響もほとんどなし。


杉の植林されたいい感じの道です。


途中で岩がゴロゴロした地層に変わります。火山性マグマの貫入っぽい。



東海道一号線に出てきます。


道路の上の歩道橋を渡るようになっています。


まさにここが逢坂の関だったのです。


逢坂山関跡。本当の関所の位置はよくわからないようですが、琵琶湖側の入り口付近という説が有力なようです。


Wikiで見ると、逢坂の関は飛鳥時代に存在していて、その後廃絶されたり存続したりを繰り返しているようです。平安時代後期からは東海道の鈴鹿関、中山道の不破関とともに三関の一つであったとのこと。京都に非常に近いので出ていく方を取り締まる意図のほうが強かったのでは?という気がします。


逢坂の関と言えば、蝉丸の歌が有名です。

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

が真っ先に浮かびます。知る人も知らない人も、京都に入ったり出て行ったりと、慌ただしい情景が思い浮かびます。いまの大都市の駅も同じですね。

恥ずかしながら逢坂はずっと大坂のことだと思っていました。


清少納言の

夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

鳥の鳴き声をまねて門をあけてもらったという中国の故事を使って、清少納言を訪ねようとした男に、「逢わないからね」とビシっといった句です。逢坂の関は洒落で使っています。

さてここには、有名なうなぎ屋さんがあります。土曜日ということもあり車で訪れるお客さんが多そうでした。

京極にも、きんし玉子の「かねよ」があります。ネットで見ると、逢坂山のかねよのほうが元祖で京極は暖簾分けのようですが、きんし丼の商標で争っているみたい。仲良くすればいいのに。


さて、また登山道に戻ります。


実は元々は三井寺駅に抜ける予定だったのですが、それでは逢坂山に行けないことがわかり、この地点で「自然観察の森」方面に進みます。白いテープが張られているのはちょうど本日トレイルランが開催されていたからで、次から次へとハァハァとランナーが走ってくるので、ハイカーの私としてはちょっと迷惑。


地図で言うと、新幹線を越えたところで左下方面に方向転換している部分です。しばらく行って、少し上に進んだ新幹線の真上が逢坂山になります。その後は、ゴールの追分駅。




音羽山の頂上が見えます。あそこから逢坂の関を越えてまた少し登ったところがここです。


もう一息で逢坂山頂上。


325mの頂上の向こうには素晴らしい琵琶湖の景色が待っていました。


音羽山頂上の景色もよかったですが、琵琶湖の景色でいうならば東側も見えるので、こちらの方が上。パノラマモード。


雪化粧の武奈ヶ岳。


近江富士で有名な三上山が見えます。プリンスホテルのビルが目立ちます。



景色を堪能したら追分方面に行きます。送電塔そばで見つけた「菱形基線測点」と書かれた礎石。調べてみると、大文字山など、山科を中心にこの石が4点配置されていて、目的は地震などによる地表の歪みを観測するものらしい。日本に16か所しかないうちの1つが京都にあり、その4つの石のうちの一つということで偶然にも珍しいものを見つけたことになる。


送電塔からの景色。


この辺りはマイナーな道のせいか、倒木が残骸が多い。でも歩行に困難なわけでは全然ありません。


さて一号線が再び見えてきました。


この辺りから追分への下りが結構急な上に、階段など整備されおらず少し注意を要します。しかも市街地が近づくにつれ、道がほとんどわからなくなります。

道路のそばに下りるような道は、ロクな道がありません。


お寺の裏の墓地と、線路の横の川にはさまれた場所に出てきました。ハッピーエンディングではありません。


何はともあれ、追分からは京阪と東西線がつながっているので帰るのは便利です。
ここはまだ大津市、滋賀県なんですね。どこから京都府なのでしょう。


駅にあった大津絵。東海道はまだ歩いていませんがこのあたりに街道があり、大津絵が名物だったそうです。
でもこんな絵、本当に買っていたのかな?


これも駅にあった名所図会。たしかに左から二軒目を見ると何やら絵を売っています。


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