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2025年5月5日月曜日

【岐阜県】妙法ヶ岳(西国三十三箇所終点の華厳寺)

 ゴールデンウィークが終わって天気が良かったので、岐阜県の妙法ヶ岳(667m)に行きます。京都方面からは名神高速で関ヶ原を通って大垣から北上したところにあります。滋賀県側から見ると伊吹山地の裏側ですね。岐阜県西部の国定公園の区域内になっています。


妙法ヶ岳に行こうと言い出したのは歴史好きの奥さんで、この山の麓には谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ)というお寺があり、このお寺は西国三十三所の33番目、つまり最終地点であり東の端に位置します。奥さんはすでに三十三所をほぼ全て巡っています。

ちなみに西国三十三所巡りを最初に巡ったのは平安時代の花山天皇で、この寺を終点という意味で「万願所」と名付けたので千年の由緒があるわけです。

(駐車場にあった案内版)



これが登山ルートです。登山口は華厳寺の奥にあり、45分ほどで奥の院に着きます。奥の院から頂上までは1時間強です。登山道は東海自然歩道の一部になっているので良く整備されていて登山装備じゃなくても登れます。

華厳寺の参拝時間もいれて約4時間半、距離6.6㎞、累積標高600mの軽登山でした



華厳寺参道に入ってすぐ横に大きな無料駐車場があったので利用しましたが、他にも参道沿いにいくつか駐車場がありました。



参道の様子。連休明けの平日のせいか、どの店もお休みです。



8分ほど参道を歩くと仁王門が出てきてこの先が境内になります。左のお茶屋さんだけが営業していました。



仁王門にあった巨大なわらじ。奥さんの説明によると巨大なわらじを掲げる理由は奥にいる仁王の存在に畏怖させるためだとか。一人暮らしの女性が玄関に男物の靴を置くのと似た理由です。



境内にあった華厳時の境内図。本堂の後ろにこれから登る妙法ヶ岳と奥の院が描かれています。山号の「谷汲山」の由来は近くの谷から油が湧いたからだそうで、日本では珍しそうなので調べてみると、新潟や東北、北海道に少量の油田があるそうですが岐阜県には油田と言えるような場所はないようです。多分、ほんのちょっとだけ湧出していたんでしょうね。

内燃機関が発明される前なので灯明くらいしか用途はなかったのでしょうが、それでも夜に灯りが使えるというのは仏典の学習や研究には非常に便利だったと思います。



百度石。今日は素晴らしい天気で青空に新緑が映えて大変美しい。



シャガが咲き始めると5月になったなぁと感じます。



本堂前の観音像2体。ご本尊の十一面観音が秘仏なので、代わりにこの観音様を拝むそうな。



本堂の柱に打ち付けてある青銅の鯉。とてもリアルでよく出来ていると思う。三十三箇所を巡り終えた巡礼者はこの鯉を撫でるのがきまりになっていて、なでることで「精進落とし」ができる。精進落としとはそれまでの厳しい精進を終えて普通の生活に戻ること。

後ろの本堂の屋根の下に掲げてある「御油料」には大正時代の大垣女人講の名前が連ねてある。信心深い大垣の女性グループからの寄進を意味していると思われますが、谷汲山で油が採れたことに由来しているのでしょう。



石燈には油に由来したやかんと灯明のようなものが彫られています。



本堂の裏にある苔ノ水地蔵尊。観音像が包帯で巻かれたミイラみたいになっていますが、これは参拝者が自分の体の悪いところにお札を霊水に付けて貼るからです。こういうのは初めて見たかも。



お寺の奥の万願堂が登山道の入り口になっていて、見ざる聞かざる言わざるの狸バージョンのレリーフがあります。この場所には他にも狸の像がたくさんいるのですが、満願堂で西国三十三箇所を全て満了した人は他の人々よりも優れている、「他を抜く」ことからタヌキになっているそうです。



登山道が始まると道沿いに観音様を納めた小さなお堂があり、それぞれが西国三十三所のお寺の代わりになっています。写真は宇治にある第十番の三室戸寺。この小さなお堂を全部拝めば三十三所を巡ったことにさせてもらえるのかしら。

同じようなミニ巡拝所はいくつか歩きました。印象的だったのは仁和寺のミニ四国八十八所巡りコース



沢道なのでところどころに小さな滝があって楽しませてくれます。ちなみにこの道は東海自然歩道の一部ですそのせいか、登山道は階段が設置されていたりとてもよく整備されています。先月登った福井県の久須夜ヶ岳のガタガタ道で去年の捻挫が少しぶり返していたので道が良くて助かりました。



まだ元気に進む奥さん。これは第十六番、烏丸御池のオシャレスポットにある六角堂です。「我が思ふ 心の内は六ツの角 ただまるかろと思うなりけり」と六角堂にかけてあります。心を常に平穏に保とうと言う、とても仏教らしい歌。



本当は歩きにくい沢道ですが、橋もちゃんと整備されていて気持ちの良い登山です。



歩き始めて1時間と少し、ようやく奥の院が出てきました。



最後の観音堂は勿論、第三十三番の華厳寺です。



奥の院の横、奥さんのいる場所でおにぎりとかき玉春雨のランチにしました。



ランチの後、奥の院からさらに進んで妙法ヶ岳頂上へ向かいます。奥の院にある注意書きによれば妙法ヶ岳より先へは4時間歩かないと下山はできないとのこと。東海自然歩道だと思って甘く見てはダメですよ、と。

我々は妙法ヶ岳頂上からの往復ですが、登山道についてはいままでの道と同様に良く整備されています。



登山道が整備されているのは、やっぱり東海自然歩道になっているからでしょうね。



登山道に小さな鈴のような木の実が無数に落ちています。調べてみると檜(ひのき)ボックリと言われるヒノキの実です。

松ボックリは大変馴染みがありますが、檜ボックリは知りませんでした。多分何度も見ていたけれど小さいから印象に残らなかったのでしょう。

松ボックリも檜ボックリも動物や鳥に食べてもらって種を運ぶのではなくて、特殊な形状により風で運ばれやすい構造になっています。



もう少しで頂上。奥さんがへばってきました。



美しい新緑の単葉が裂けていて珍しいので調べるとアオギリ(青桐)という広葉樹でした。



奥の院からさらに1時間と少しで妙法ヶ岳頂上に到着。

山頂は広いのですが、あいにく景色はほぼ皆無です。シャトレーゼの柏餅でコーヒー休憩をしました。



下山途中に樹木の間から揖斐郡の平野部がかろうじて見えます。



下山は、ため池方面を進んで帰りました。



ため池そばにあった妙法ヶ滝。行場として使えるようになっているようです。



最後に華厳寺の阿弥陀堂を見て帰路につきました。







2018年1月4日木曜日

三留野宿~大井宿

去年2017年の3月に大井宿から西に向けて中山道を歩き続けていますが、正月休みを使って、大井宿より東を歩いてみることにしました。

京都から新幹線で名古屋まで行き、名古屋から特急しなの号で、南木曽で下車。約2時間で到着。


南木曽駅。最初は「みなみきそ」と読むのかと思ったが、「なぎそ」と読みます。


三留野(みどの)宿は、南木曽駅の南側にあります。


11時頃に残雪の道を歩きはじめます。


D51が展示しています。


妻籠(つまご)宿まで3.1Kmです。


袖振りの松。木曽義仲が弓を射る際、松が邪魔だったので巴御前が袖を振って枝をなぎ倒したという逸話がある。
義仲は、平家の大軍団を北陸で破り、勢いに乗って都へ軍を進め、恐れをなした平家は自ら都を焼き払って西へ落ちた。その後都入りした義仲は、後白河法皇と折り合いが悪く、同じ源氏の頼朝が鎌倉から送り込んだ義経の軍に敗れて戦死してしまう。



義仲は、正妻の巴御前だけでなく、葵や山吹という女戦士を連れていて、彼女たちは愛人かつ用心棒だった。巴御前が最期の戦いで薙刀で敵武士をバッタバッタと切り捨てる様子は新平家物語第十巻で。


義仲の兜を左手にかかげた「かぶと観音」


真ん中の道を行くと妻籠宿への道だが、右の道を登り、妻籠城跡に寄り道する。


 特に何も残ってはいないのですが、自然の要塞だけあって景色がよい。この山は伊勢山かな?


北東を見ると、白銀の駒が岳が。


拡大してみました。


さて妻籠宿に到達。




江戸時代の蕎麦屋を思わせるいい感じのお店。





これは馬屋。


片土間という造り。当時の典型的な民家。中に入ると、日が差さないので、ものすごく寒い。よくこんなところに住んでいたものだと思う。


妻籠宿からしばらく歩くと、大妻籠という場所にまたいくつか宿がある。


馬頭観音。


ところどころ残雪がある。凍っていて、場所によっては極めて滑りやすくスケート靴でリンク上に立つぐらい滑り過ぎて全く前に行けないところもあった。妻籠宿、馬籠宿の間は、外国人観光客に非常に人気の場所で特に西欧人にすれ違った。みんな滑らないように必死で歩いていました。



男滝女滝と言われるところ。この滝は男のほうかな?



神居木(かもいぎ)といわれる樹齢300年のサワラの木がある。しかし、この写真はどうやら違う木のようですが、見た感じ、この木のほうが妖気を漂わせていました。



残雪の白いスクリーンに樹影が。


茶屋跡。江戸時代後期。


恵那山が良く見える場所に来ました。2000mを超える山です。


馬籠にやってきました。中山道で一番絵になる場所ではないでしょうか。




少し坂道になっているのが山中の街道らしくていいです。雄大な恵那山がどこからでも望まれるのは見事な借景です。この辺の写真が今回のベストショット集です。




思ったより近代的な造りの白木屋さん。今回は真冬というのもあり、馬籠宿沿いの宿はパスしたのですが、ここなら暖房効果も高そうです。


今日の宿は、花更紗というところです。馬籠から路線バスで少しいったところで、バスを待つ間、コーヒーで休憩。


こちらの宿は、クアハウスと併設になっています。宿泊者はクアハウスも無料で使えるのですが、人が多いのと連絡通路が吹きさらしなので、使ったのは一度だけ、主に宿館のB1の温泉をつかいました。湯は弱アルカリで、ぬめっとした感触です。


翌朝は8時に出発。宿はこんな感じ。路線バスにのって馬籠まで戻って続きを歩きます。


馬方は、朝8時に出発して中津や落合まで行き、帰ってくるのは11時。馬と籠を仕事の道具にしていたので、馬籠という名前になったとのこと。

だったら、妻籠はどこからきたのかな?


男女双体道祖神。仲の良い夫婦のようです。


江戸時代そのままの家屋を倉庫として使っているようです。


進行方向、高峰山が見えてきました。ふもとの町並みが中津川です。



宿として営業されている新茶屋。とても雰囲気が良さそうで泊まってみたく思います。ヒノキ風呂があるとのこと。



落合の石畳。一部の石畳はオリジナルです。歩くだけでとても気持ちの良い路。




落合川を渡ります。




落合宿に到達。旧家屋をおしゃれなショップにしています。こういうお店は京都には多いのですが、中山道では珍しい。




恵那山はやはり大きいですね。


善昌寺の門冠の松。樹齢450年だそうです。


このあたりの中山道の道は、このように黄色と白の石を埋め込んでいて、まるで黄金に輝いているような演出をされています。おかげで、街道から外れる心配がなく、とても歩きやすい。



道端の切り株の上にミニチュアの家を飾っています。ほほえましい。


中津川宿到達。


ちょうど、地域の消防団のパレードがされていました。


婦警さん達。


駅はこんな感じ。




酒屋さん。


中津川を渡ります。中津川宿から大井宿までは11kmの道のりなので中山道でも距離のある区画。


再び、双体道祖神。でもこれは男女なのかな?男同士に見えますが。



ここは中山道と遠州秋葉道の分岐点です。秋葉道は、浜松の秋葉山まで続くこれはこれで長い街道で、塩街道としての役割もあったようです。



まぶしいくらいに白く輝くのは御嶽山。さすがの存在感です。



御嶽山が展望できる小さな公園。大井宿に近づいてきました。



恵那の町にやってきました。



大井宿に着きました。去年2017年3月5日に中山道歩きをスタートしたところです。ちょっと感動。



無事に恵那駅に到着。今回は、馬籠宿から大井宿までの距離が長かったのですが、三留野宿から馬籠宿のほうが、登りで雪と氷ではるかにしんどかったです。やはり距離だけでなく高度や勾配でずいぶんちがうものですね。