2024年1月22日月曜日
【滋賀】宇佐山(大津京跡、近江神宮、宇佐八幡宮)
2024年1月17日水曜日
【西国街道】今津宿(松永駅)、尾道宿、三原宿
西国街道の旅(荏原駅(矢掛宿)~三原宿)の三日目です。
三日目のルートマップを下に掲載します。
二泊した福山のホテルを後にして昨日の終着点であった山陽線の松永に向かいます。
写真は福山駅前の天満屋(てんまや)百貨店。岡山が本店だそうですが地方の百貨店にしては(失礼)そこそこ垢抜けた印象でした。
松永駅から歩き始めて本郷川を渡ると古めかしい町家風の家屋が出てきました。松永専門店会の宮沢呉服店と書いてあります。
高諸神社(たかもろじんじゃ)。地元の神社でちょっと寄ってみます。
ここにも注連柱(しめばしら)が。こういう文言ってナゾのメッセージがありそうで気になります。
筆者の勝手な訳ですが右は「輝き霊を放つ宝剣を大切にするぞ」、左は「高くそびえる社殿はめでたい気を帯びているぞ」といった意味。神社の宣伝みたいなものですか。
神社の拝殿にある絵も気になりますが、大きな漬物問屋のある商店街と思われる町を必死で消火しているように見えます。
消防員の服装を見るとこれは戦前の警防団だと思われるので、岡山、福山の大空襲の際の火災ではないかと思われます。永井荷風の断腸的日乗の下巻で東京からわざわざ岡山に疎開してきた永井が死にかけたと書いています。昭和20年(1945)6月28日、140機のB29が襲来、空襲警報が鳴らなかったせいもあり1700人が死にました。その日の朝は旅館のおかみさんが「雀の子が飛んで行ったのに帰ってこない。何か変だ」と言ったらしい。
も一つ、これは天洋丸と書いた船の絵。調べてみると明治41年(1908)に長崎造船所で竣工された国産初の1万トン越えの客船でした。アジア、アメリカに渡って活躍した世界的にも先端を行く豪華客船でしたが、なぜここ福山に奉納されているのかはどうしてもわかりません。
高須村手前の小さな社のよこの石碑に「恋の水」と書いてあります。この歌詞は恋をしてしまうくらい美しい水だなぁという地元の歌を伊勢音頭に合わせて歌ったもので、多分このあたりの祝いの場などで歌われたのでしょう。坊地というのはおそらく今の西瀬戸尾道ICな南西の防士峠だと思いますが、そこから「くだって鶴亀山」というのがどこかわかりません。ぜひ解説版を設置してもらいたいものです。
道路右の小さい石碑に「右ちかみち」と書いてあります。今でこそ道が張り巡らされていますが明治時代の地図を見るとこの道を通らなければ南の尾道水道を周って行くしかないことがわかります。
この道は今の西瀬戸尾道ICのある峠道です。といってもせいぜい高度100m程度です。
IC手前の屋根付きの小さな祠。街道歩きをしているとICに出くわすことがありますが、あまりいい予感はしません。
ICそばのコンビにで小休止しましたがICの周りは基本的に歩く人は想定外なのでどこを歩いていいのか迷うことがあります。しかもちょっと間違えるとビュンビュン走る車道に出くわすので危ない。
念仏と言えば筆者の地元(堅田)の蓮如上人を思い浮かべますが、蓮如は室町時代で徳本上人は江戸時代の人です。でも浄土宗の徳本上人にとっては念仏が最重要、なのでこんな独特の書体になっているのでしょう。
眼下に尾道の町並みが見えてきました。
民家の間から海岸に出られる場所があったので尾道水道を眺めてみる。護岸工事でコンクリートで埋め尽くされている海岸線で今回見た唯一の砂浜。ホッとするものがある。