大文字山の京都と大津を結ぶ最短コースといわれている如意越えコースを歩きます。
哲学の道から山に入り、大文字山、如意ケ岳を越え、長等山で琵琶湖の景色を楽しんで三井寺に降りるルート。嫁連れでしたが約4時間のお手軽ハイキングコースです。
鹿ケ谷から登る代わりに、山科の毘沙門天門跡からスタートして同じく如意ケ岳、三井寺に行くコースは今年の春先に登っています(記事はこちら)。
京都市バスの錦林車庫前で下車、少しだけ哲学の道を歩きます。
大豊神社近くの案内版で哲学の道を少し北へ進みます。
この案内板で霊鑑寺の東に歩きます。
霊鑑寺。尼寺で、後水尾天皇の皇女が開山したため門跡寺院となっている。
お寺の壁を見ながら登山口に向かいます。
シュウカイドウ(秋海棠)。バラ科の秋の花。黄色いオシベがかわいい。
このルートは京都一周トレイルと同じなのですね。俊寛碑を経て大文字山と書かれている方向に進みます。
あまり整備はされていないので時々迷いますが、歩きやすい道です。
巨大な岩石が立っていると思いきや、これが俊寛碑でした。
俊寛の名前は以前読んだ平家物語で記憶にあり、喜界島に流された和尚で、偉そうな変人という印象だったので、この立派な石碑に違和感を感じました。
俊寛の人物像は、その後、近松門左衛門の描いた歌舞伎で人間味のあるものに変えられ、尊敬の対象に変わったようです。
喜界島(鹿児島県の硫黄島)に他の二人と共に流されて、一年後、平清盛の恩赦を受けた船が喜界島に到着し救われたと思いきや、俊寛だけが船に乗せてもらえず、その翌年、断食により自殺してしまいます。でも、極限の絶望にしては2年はちょっと早いような。
で、なぜ大文字山に石碑があるかと言えば、流された原因が、俊寛が鹿ケ谷の陰謀という事件に関わっていたからです。
俊寛だけが取り残された理由は、恩赦の発端となった千本の卒塔婆流しに加わらなかったとか、歌舞伎では自分の恩赦のスロットを敢えて他人に譲ったとか、イロイロあるようですが、清盛から、奴だけは許さん、と睨まれていたと考えるのが常套でしょう。
この鹿ケ谷コースでの見どころが楼門の滝です。一本の強い水流ではなく、全体に複数の糸が広がるような風流な景観です。
大文字山の頂上にはいかずに如意ケ岳に進みます。
こちらで少しコーヒー休憩。出会ったおばさんから、如意ケ岳はどこですか?と聞かれました。従来から如意ケ岳と大文字山は混同されていたのですが、今は西峰が大文字山、東峰を如意ケ岳というようになっています。東山三十六峰にも大文字山というのは存在しません。如意ケ岳の別名という扱いです。
大文字山を過ぎると登山客も少ないマイナールートになるので倒木処理も必要最小限。
大文字山と如意ケ岳の中間地点にある雨神社。昔は大きな池があったそうですが、今は小さな水溜りが残るのみ。
陽が当たってうれしそうなクリタケ。クリやコナラの切り株や埋もれ木から発生する種類で、良いダシがとれるそうです。ただ最近毒が含まれていることが見つかり海外では食用としては禁止されている。
如意ケ岳の頂上には、航空無線標識所があり、立ち入り禁止になっており迂回しなければなりません。
琵琶湖が見えました。近江大橋、大津プリンスホテルが確認できる。
ガードレールの下の抜け穴から下に降りるのがわかりにくい(というかまず無理)ですが、前回学んだので、もう経験者。
下には如意越えルートがちゃんとあります。
巨石群が出てきて、ストーンヘンジのような宗教センターのようにも感じましたが、調べてみると、灰山庭園という名前の庭園があったそうです。
その後、ここに灰山城が築城されたようですが、今となっては巨石が残るのみ。
巨大ロボットのような特大の送電塔。
長等山山頂に到着。景色がとても良いです。ここに来る途中、すれちがった若者のパーティーから、「長等山テラスどこかわかります?」と聞かれました。
調べてみると、長等山山頂の手前を北東へ進み早尾神社を抜けて大津京に至るルートがあり、皇子山ゴルフコースの東側に長等山テラスという眺望ポイントがあるようです。
カフェがありそうなオシャレな名前で、今度行ってみたい。
夏に訪れた柳生街道の一刀石のような岩石がありました。
児石と書かれたお地蔵さん。
ここから先は三井寺の管理域なので有料となっています。
前回は600円払ったのですが、今回は三井寺の寺院には立ち寄らないということでスルーさせていただきました。
三井寺前の風月というレストランで名物弁慶そばを食べて、京阪琵琶湖浜大津駅から帰ります。
0 件のコメント :
コメントを投稿