元々は平安時代の初めにあった山荘が、双丘寺となったのが由来です。双ヶ丘(ならびがおか)は先月登りました。
律宗という宗派はあまり聞いたことがないのですが、言葉のとおり戒律を重んじる宗派で、日本では奈良時代に鑑真が中国から持ち帰って広めたが、平安時代の最澄や空海が支持しなかったせいか、あまり人々には知られていません。
鑑真に由来するため、律宗の総本山は奈良の唐招提寺です。
さて庭園に入ると、蓮で一杯でした。池に浮かぶ蓮はなんどか見ましたが、鉢植えの蓮というのはあまり見た記憶がありません。
花弁が非常に大きい。
蓮以外にも変わった花が。ベニカンゾウという名前。カンゾウは忘れ草といわれ、一日しか咲かないから。
本尊は阿弥陀如来です(写真はネットの拾い物)。阿弥陀如来の見分け方は人差し指を立てる阿弥陀定印(あみだじょういん)です。
これは青女の滝といわれるもので、平安時代の作だそうです。人が作ったものとは思えないような自然らしさと、平安時代という古さから国の特別名所に指定されています。写真だけみると、どこがいいのかわかりませんが、実際に見ると、その立体感が、自然らしいんだけど、自然でもなかなか見られないような絶妙なバランスです。
蓮で埋まった池。水に浮かんでいる蓮もあれば、こうやって茎がのびる蓮もあるのですね。と、思って調べてみると、水に浮かぶのは睡蓮、茎を伸ばすのが蓮、と種類が違うとのことです!また蓮と違って睡蓮の葉は切れ込みがあります。
でも両方とも、花は朝に開いて夜に閉じて、3日くりかえすと、花は落ちてしまうのだそうです。なんとも面白い花ですね。
二つ並んだ花弁がデュエットで踊っているよう。
こちらもデュエット。
ちょうどトンボが止まっていました。
アップです。胴体の青がキレイですね。
地面にとても近いところに鮮やかな花が咲いていました。これが桔梗(ききょう)で、園芸店では見かけますが野生種は絶滅危惧種だそうです。
さて、近くにある木嶋坐天照御魂神社(このしまみますあまてるみたまじんじゃ)、通称、蚕の社に寄りました。この神社は京都市でも最古の神社らしいです。知らなかった。
この地域は、もともと養蚕技術を伝えた渡来人の秦氏(はたし)によって開かれ、この神社は織物の神様を祀るために建てられたということです。
秦氏とはいったいどのような種族だったのでしょう?秦氏は朝鮮から奈良時代以前に渡来してきた一族で、長岡京や平安京の新都建設に大きな貢献をしたと言います。
京都盆地の南部と西部に強い勢力を持っており、土木技術、陶器、養蚕から絹織物までの技術に抜きんでていたと言います。
太秦(うずまさ)は、絹を「うず高く」積むほどの生産をしたところから、偉大な秦氏の太秦にあてて名付けられたというのが定説のようです。
秦氏が創建した神社は、この蚕ノ社以外に、伏見稲荷、松尾大社、また奈良の広隆寺もそうです。これは秦河勝、秦氏の族長的人物ということです。
この秦の始皇帝を祖先に持つという秦氏を大和に連れてきたのが葛城家という話もあります。葛城家の廟は先週金剛山に訪れました。古代ロマンですね。
この蚕ノ社は、この鳥居で有名です。鳥居を円形に囲んだ下には湧き水で浸されています。なんとも神秘的。
この鳥居が変わっているところは、三本柱になっているところ。この三方はそれぞれ、松尾大社、伏見稲荷、下鴨神社の方向を向いています。下鴨神社は賀茂氏の創建ですが、秦氏と賀茂氏は勢力のバランスを婚姻関係でとっていたと言います。
きれいな水です。このあたり一帯は元糺の森(もとただすのもり)に覆われていたとのことです。いまはすっかり普通の住宅街になってしまっていますが。
「かいこのやしろ」と書いてあります。
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