2023年1月11日水曜日

【西国街道】姫路、正條宿、相生駅

 年が明けて2023年になりました。

京都を出発して通算7日間姫路まで歩いてきた西国街道ですが、今回はいよいよ岡山県(備前市)入りです。

ここまで来ると(交通費)>(宿泊費)の法則が成り立ってくるので二泊三日の旅になりましたが結果的にはこのようになりました。

  • 1日目:姫路(播磨高岡駅)~相生駅 20㎞ 5時間 2.7万歩
  • 2日目:相生駅~三石宿 23㎞ 6時間20分 3.3万歩
  • 3日目:三石宿~藤井宿手前(香登駅) 19㎞ 5時間30分 2.7万歩

3日連続なので無理せず歩きましたが年末年始の運動不足がたたって3日目は腰が張ってかなりツラくなりました。

今回の街道ルートはあまり旧街道を感じさせる名残りもなく、少しわびしい旅路でした。国道わきの車ビュンビュン道も多いです。それでも良かった所は赤穂市の神社に必ず赤穂浪士の絵が並べてあったのと、焼き物の備前市でした。



路線図を理解しておかないと街道歩きの旅はできません。今回は道中に宿があるような駅がほぼないので、2泊とも姫路駅のホテルに宿泊しました。

西国街道ルート近辺にある鉄道駅をプロットしてみましたが、いろんなJR路線が走っていて近くの駅でも路線が違います。

山陽本線も神戸線みたいな幹線ではなくて一時間に1,2本のローカル線で、代わりに新幹線が神戸線新快速みたいな役割を果たしているように見えます。
  • 播磨高岡駅【姫新(きしん)線】
  • 有年(うね)駅【山陽本線】
  • 三石(みついし)駅【山陽本線】
  • 備前片上(びぜんかたかみ)駅【赤穂線】
  • 香登(かがと)駅【赤穂線】
  • 上道(じょうとう)駅【山陽本線】
  • 岡山駅【山陽本線】
  • 吉備津駅【吉備線】
  • 清音(きよね)駅【井原鉄道】
  • 矢掛駅【井原鉄道】


面白いのが「特急スーパーはくと」で、京都から倉吉まで、京都線→神戸線→山陽本線→智頭急行→因美線→山陰本線と連続して乗り継いで行きます。


さて旅日記ですが...

1日目は播磨高岡駅から相生駅まで歩きました。

大阪から姫路まで新快速、姫路から神姫(しんき)線に乗り換えて播磨高岡駅で下車したのが10時前です。

昨年12月はとても寒かったのですが年が明けてからは寒さは厳しくありません。しかも今日はよい天気。



こちらが一日目のマップです。あまり大した見どころはありません



深い切り通しの道。



明治天皇が山陽道をたどられた歳に小休止された記念碑。西国街道には多くありますが、ちょっと休憩しただけで記念碑が建つというのは権威のすごさを感じます。ロシアを破って世界の列強と対等に渡り合った神の国。



桜井の名水。播磨10名水の一つだそうですが、蓋をされて枯れた竹に埋もれています。郷土愛が薄いのかなぁ。



黒岡神社



斑鳩寺の参道。聖徳皇太子と書いてあります。聖徳太子も斑鳩寺も奈良ですが、調べると推古天皇14年(606年)、聖徳太子32歳のときに推古天皇からこの地を所領として授かったことで聖徳太子にちなんで斑鳩寺が建てられたそうです。

ここの町名も太子町になっておりますが、この町名は昭和に命名されたようです。



茶屋垣内地蔵尊。


庄屋彌右衛門翁彰功碑。



揖保川を渡ります。山陽本線に長い貨物列車が走る。揖保川の東が兵庫県揖保郡で、そうめん「揖保乃糸」の発祥地です。そうめんは室町時代から作られていたようですが、明治時代に三輪そうめんの産地にある大神神社から勧請して、この地にも大神神社が建立されたそうです。聖徳太子もそうめんも、奈良とのつながりは深いようです。

そうめんも、うどんも、重要な材料は塩と小麦。

瀬戸内海をはさんで北は赤穂の塩を使った揖保乃糸、南は屋島の塩を使った讃岐うどんが生まれたのでしょう。今では塩も小麦はオーストラリア産を使っているようですが。



山陽本線竜野駅。ここから先は古地図がないので明治時代がどんなだったかわかりません。



赤エプロンの地蔵さん。



竜野から備前までは100m~200mくらいの低山がポツポツとずっと広がっています
そのせいか、平野がなく大規模な稲作ができないせいで繁栄することがなかったのではないかと思います。



Google Earth で見ると竜野から先はほぼ全体的に山地に覆われているのがわかります。赤穂城がある千種(ちぐさ)川河口の場所が唯一広い平野で、ここで赤穂の塩の塩田がありました。

今の赤穂の塩はオーストラリアで作っているみたいです。「赤穂の」という意味は「赤穂のレシピ」という意味ということです。



若宮神社。子守荒神の名の方が知られているようです。室町時代に庄屋さんの枕元に大日如来が現れ、地面に埋まった仏像を掘り出せとお告げをされた。その仏像には安産のご利益がありその後も安産を願う人々がお参りにくるそう。

荒神(こうじん)というのは、仏教でもなく古事記に出てくるようなオフィシャルな神でもない土着神を指すようです。中山道を歩いているとよく道祖神が出てきますが、東は道祖神、西は荒神さんなのでしょうか。



相生駅の手前の石碑、「竹室庄左衛門頌徳碑」とある。

カットしましたが、これ以前にも2カ所ほど庄屋さんと思われる人の記念碑がありました。説明版もなく地元の人も知らないのじゃないか?やはり郷土愛が薄いのか。

「清野長太郎書」と書いてあるので調べてみるとこちらはWikiにあり兵庫県知事だった方でした。「勲三等」と書いてあるので、この石碑は明治から大正にかけて建てられたものであることがわかります。


相生駅までを一日目にします。電車で姫路駅まで戻ってホテルで泊まることにします。

2日目のブログに続きます。

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