今回の旅の最終日です。
前日の沓掛の宿が素泊まりだったので、お腹もすいているし、朝風呂に入って朝7時に出立します。朝食は近くのコンビニでサンドイッチをほおばる。
軽井沢から西は、もうすっかり地方の町になっていて国道18号線沿いを歩くのですが、幹線道路だけあって結構な交通量です。群馬県を歩いていた時のようなのんびりした楽しさがなくなったのが残念です。
朝日を浴びた浅間山は山の輪郭がはっきりとわかります。この二日間で気温が高かったので頂上の雪もずいぶん減ったように見えます。
浅間神社。明治2年に浅間山が噴火しそうな気配を見せたので、明治天皇の勅祭(ちょくさい)が行われた。勅祭とは、天皇から使者が派遣される祭祀のこと。
結局噴火はしなかったのですが、天明の大飢饉のきっかけとなった1783年の大噴火の話を聞かされていて皆恐れていたのでしょう。
最も最近の爆発は1982年です。大規模な噴煙で都心にも火山灰が降りましたが、付近の民家に大きな被害はなかった模様。その後も数年おきに小規模な噴火は発生しています。
(jiji.comより)
登山ルートを見てみると、浅間山荘から標高差約1000メートルで往復8時間くらいの日帰り登山にちょうど良いコースで、以前は火口付近の前掛山山頂(2524m)までいけたのが、2021年3月に気象庁から噴火警戒レベル2に引き上げられて、賽の河原分岐より先は立ち入り禁止になったようです。
浅間山荘といえば、1972年の連合赤軍の立てこもり事件がありましたが、事件の舞台は、登山口の浅間山荘ではなく、JR軽井沢駅よりもさらに南にありました。
犯人達を殉教者として赤軍のヒーローにしないために全員生け捕りという方針で進めたこともあり、機動隊1500名が動員、重軽傷者26名、死者3名を出すという大事件になりました。
浅間山登山口に続く道と中山道の分岐点。
沓掛宿から4.8Km、このあたりが追分宿です。
ここは北国街道と中山道の分かれ道です。北国街道は敦賀と福井の間を歩いただけですが、いつか踏破してみたい街道です。
お地蔵さんの台に各地までの距離が書いてあります。京都まで93里、金毘羅山まで103里❗
浅間山が見えるかわいいケーキ屋さん。立ち寄ればよかった。
御代田(みよた)町に入ると、広大な平野が広がり、進行方向右には、雪をかぶった立山(3015m)が見えます。
さらに進行方向すこし左手には、穂高岳(3190m)が。
で、浅間山はまだ後ろに見えます。
大山神社。今回は急いで歩かないので、良さそうな神社仏閣は一つ一つ見るようにしています。これくらいのペースがベストです。
小田井宿が近づいてきました。時が止まったかのようなお店の看板に惹かれる。
小田井出身の女傑、安川ハルさんの「おはる地蔵」。髪を切って家を飛び出し、貧しい農家を助けるため人糞を肥料にするための釜炉を開発、その後、自分の血液で何百もの写経をされたそうです。
小田井宿の休憩所。ありがたく使わせていただきました。でも今日はとても気候が良いのであまり疲れていません。
追分宿から5.7Km、このあたりが小田井宿です。飯盛りのない宿で、おかげで婦女子の利用が多いことから「姫の宿」と呼ばれました。でも稼ぎ頭の飯盛り商売が無いせいで、お金を落としてくれず、ひなびた宿だったそうな。
ダブルの背広をイタリアン風に着こなす男。
龍雲寺。武田信玄の遺骨を納めた霊廟があるとか。
新幹線の佐久平駅が近くにあるので商店街になっています。
小田井宿から4.7Kmの岩村田宿です。
商店街を過ぎたこのあたりは、以前田畑だったのが、新幹線の駅のおかげで、新しい一戸建てが立ち並ぶようになったそうです(帰りのタクシー運転手さん談)。
家の敷地の外にポツンと置かれた道祖神さんがなにやら所在なさげです。
標高が高いので、冷涼な土地でよく育つリンゴ畑がありました。
リンゴの花が咲いています。今年はいつもよりも開花が早いそうです。
荘山(かかりやま)稲荷社。
百万遍供養塔。
スイセン。標高が高いのでまだ満開です。
庚申塔の下の土台は浅間山噴火の際の溶岩だそうです。
このあたりが塩名田宿。岩村田宿から5.6Km。
この千曲川(ちくまがわ)の手前あたりが中山道の雰囲気が残っていていい感じです。
このあたりにケヤキの大木があり、根元から大量の清水が湧き出したそうです。
中津橋を渡って千曲川を越えます。
千曲川の南には遠くに南アルプスが見えます。天狗岳(2646m)、赤岳(2899m)かな?
中津橋を渡ったところに休憩所。浅間山を見ながらランチは、おにぎり2個となめこ汁。
八幡神社バス停が、古いまま保存してあって面白い。当時は、「パーマネントウェーブ」と略せずに言ったことがわかる。女性がパーマを楽しみだしたのは大正末からなので、昭和初期にかけての広告でしょう。
八幡神社。国の重要文化財。
格式を感じさせる社殿。
江戸時代らしいですが、木彫りの技術が高く、生きているようです。
塩名田宿から2.7Kmの八幡宿。宿場間が短いのでどんどん進みます。
珍しい宮廷貴族風の祝言像。祝言(しゅうげん)像とは、男女の婚礼の像で、女性が男性の盃にお酒を注いでいるものをいう。中山道歩きで初めて見たような。
ちなみに女性が持っているのは瓢箪で、瓢(ふくべ)と読みます。この他に、平たいやかんのような形をした提(ひさげ)のパターンもあるそうです。
もうすぐゴールの望月宿、というところで幹線道路から外れて瓜生坂を上ります。そこにあった一里塚跡。
この瓜生坂を下りたあたりも中山道の風情が残っていていい感じです。
鹿曲川(かくまがわ)を渡ります。千曲川(ちくまがわ)といい、読めない漢字を当てるのはまるで京都のようです。
八幡宿から3.9Kmで、今回の旅のゴールの望月宿に到着。連続歩行三日目で3.6万歩ですが、天候がよくて中山道らしい道だったので、ほとんど疲れはありません。
このあたりは電車の駅もバス停もなく、望月観光タクシーに電話をかけて、タクシーを呼びました。女性の運転手さんで、楽しく話をしながら、北陸新幹線の佐久平駅まで走ってもらって、そこから、新幹線を乗り継いで京都まで帰りました。
新幹線に乗ると、軽井沢駅から高崎駅までほぼトンネルの中を心地よいほどの乗り心地で風のように進みます。
明治時代までは徒歩オンリーで、そこから歯車(アプト式)の蒸気機関車、電気機関車という歴史を歩いてみて、人間が築いてきた技術文明の進歩には驚くほかありません。
でも、これ以上はもう進歩しなくてもいい、とも思いました。
さて、次回は中山道のもう一つの難所、和田峠に挑む予定です。
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