中山道が一般人が使う街道であったのに対し、この街道は将軍の上洛か朝鮮通信使のみが使用することを許されていた道だったのです。
朝鮮通信使は室町時代から、文字通り正式な国家間のコミュニケーションの手段として使われていたのですが、その道中では人々との触れ合いの場でもありました。
文禄・慶長の役で一時期途絶えたものの、江戸時代に再開し、11代将軍の徳川家斉まで続きました。
中山道の野洲宿と鳥居本宿の間が別ルートになるので、鳥居本駅からスタートです。
ちなみに中山道の醒ヶ井から米原に行き、彦根に抜けて鳥居本に行くルートはこちらの記事で。
こちらが今回のルートです。朝鮮人街道の距離が約40Kmで二日に分けるとちょうどよく、安土駅あたりが真ん中あたりなので、安土駅を今日のゴールに考えていたのですが、結果的に安土駅の手前の能登川駅がゴールになりました。
京都駅から途中で近江鉄道に乗り換え、鳥居本駅へ。近江鉄道の車両がアニメ化していて妙な感じでした。
さびしい駅についたのがお昼の12時。誰もいない駅舎で、持参のおにぎりを食べる。
今年は12月になっても身をさすような寒さはありません。
専宗寺。
この道を右に曲がると朝鮮人街道への分岐。
まっすぐ行くと中山道。
こちらが広重の絵図なのですが、違いすぎてどこなのか想像がつきません。琵琶湖がすぐ先に見えたのでしょうね。その先は比良山系なのかな。
分岐してからは、ラブホテル街を通ってトンネルを抜けます。
トンネルの先には佐和山城跡があります。鎌倉時代に建てられたお城で、三成が入城していた。
遠くに見える彦根城の方向に向かいます。
護国神社が外堀にあります。
お堀の大きさは二条城くらいかな。
このあたり、夢京橋キャッスルロードという名前で、昔風の街並みにショッピングやレストランがあって、楽しそうな空間になっています。
彦根の名店、親玉のお店があったので、よもぎ餅を買いました。
ひこにゃんショーをやっていました。平和です。
井伊直政が佐和山城から移築した赤い門が目立つので、赤門と呼ばれています。
奥にあるこの絵が通信使の像とされていますが、本当は誰の絵なのかよくわからないそうです。
表情をよく見ると、眉毛の感じや優しそうな目から、とても人の好さそうな朝鮮系の人に見えます。
通信使を描いた本が置いてありました。数十頁がずっと通信使の絵で、ものすごく長い行列であったことに驚きます。
宿泊した通信使が眺めたであろうお庭。
宗安寺を後にして、県道206号に出るあたりが銀座街という商店街になっていますが、人影はまばら。抽選イベントで家族相手にガラガラを回していたおじいさんが、わびしくも微笑ましい。
206号線沿いに歩きます。冬は日が短い。
お地蔵さんが寄せ集められています。信長が比叡山など焼き討ちにした寺から運んできた地蔵を建築資材にしたものがあとで発掘されて祀られるケースが多いですが、これもそうかな。
醒ヶ井の水と並んで名水百選に選ばれている十王村の水。驚くのはその豊富な水量。地元の方が汲んでおられました。名水のある所に住むというのは、幸せだと思います。
遠くに見える荒神山がここから向かうところです。
GoogleMapで見るとこんな感じ。右上が琵琶湖です。
甘露の名水と言われる場所ですが、水量が少ない。
こちらで、夢京橋キャッスルロードの親玉で買ったよもぎ餅を、持参のサーモスのお湯でいれたアツアツのお茶でいただく。疲れが和らぎます。
なにやら昭和っぽい商店。
荒神山が近くにせまってきました。284メートルなので、山というか丘陵。
このあたりでパラパラと雨に遭う。
登る時間がないので登山口を見るだけ。
山頂にある荒神山神社は、火産霊神(ほむすびのかみ)で、火の神様なので、かまど、つまり台所、さらに言えば、家内安全のご利益があるそうです。
荒神山神社への道標。
さて、次の目標は、繖山。これで、「きぬがさやま」と読む。「きぬがさ」とは身分の高い人が頭上に掲げた傘を意味するとのこと。
近江の頭上の傘、ということなのでしょうか。433メートルの高さがあるので、山と言ってもよい、存在感があります。
5時頃になると、もう日が暮れてきます。
GoogleMapで、右下が荒神山、左上が、繖山。
繖山への朝鮮人街道は、県道2号線なので、県道をひたすら歩きます。
日が暮れてくるし、県道歩きで正直つまらない。
2万歩ほど歩いたあたりで、暗くなってきたし、このあたりで本日は終了にすることに。
JR琵琶湖線の能登川駅。失礼ながらこんな場所にしては立派な駅です。夜景が映えてなかなか美しい。
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