でも、去年の秋ごろに3月の予約がとれ、ようやくの出発となりました。
コタキナバルへの行き方ですが、19日に関西空港を23:30に出るシンガポール航空SQ613に搭乗し、見慣れたチャンギ空港に20日の現地時間5:40に到着しました。空港にフードコートがあるので朝ごはんにします。といっても機内ですでに朝ごはんを食べているのですが...
色々迷った結果、お腹にやさしそうなフィッシュボールヌードルにしました。ドリンクはスイカのフレッシュジュース。
8:45発コタキナバル行きのシルクエアーMI392に搭乗です。シルクエアーはシンガポール航空の姉妹便なので安心です。行きも帰りもCAの美人度はシルクエアーのほうが高かった。この便はマレー系のCAさんで、マレー系が自分の好みなのかも知れません。アメリカではCAを容姿や年齢で選ぶことは法律で禁止されていますが、シンガポール航空は逆にそれがウリになっています。
コタキナバルの空港に到着しました。
空港ではガイドさんが待っていてくれて、車で第一目的地のポーリン温泉に行くのですが、その途中でPhoenix Star Careというレストランでランチにします。
シンガポールでよく食べたチキンライスと同じもの。
キャノピーウォークは木々の間のつり橋を歩くのですが、これがかなりコワい。高所恐怖症の人は絶対に無理でしょう。
これはハイビスカス。でも花柱の部分が長く垂れさがっているところが沖縄とかで見るハイビスカスと違う。
ポーリン温泉は戦争中に日本軍が温泉として整備して利用したのが1970代から整備が始められて写真のように今ではすっかり地元の人の名所になっています。
区画に分かれているところが一応個室区間で別料金。でも服を着て半身しか浸かれないのは温泉らしくありません。そもそもこんなに暑いのに温泉に浸かろうという気持ちになりません。なので、見るだけで通り過ぎました。
ポーリン温泉から帰る途中で見かけたラフレシアのガーデン。ガイドさんに言って停めてもらいます。
ちょうどさいていたラフレシアを見れたのですが、いやはや、デブっとしていて花の可憐さも何もありません。この花は、死肉のような見た目と臭いで、ハエを寄せ付け、それによって花粉を運んでもらっているので、このようなルックスにはわけがあるのです。
臭いについては近くに寄れなかったせいもありあまり感じませんでした。
ラフレシアという名前は、シンガポールをイギリス統治下においたラッフルズの名前とマレーシアが合わさってできた名前とのことです。
後ろにあるのが、別の花のつぼみです。つぼみというかヤシの実のようです。花が咲くまで2年かかるけれど、咲いたら3日で枯れてしまうそうです。なので咲いているところをみれて本当にラッキー。
これは枯れたラフレシアなのですが、枯れると焼けたように真っ黒になってしまいます。とにかく気持ち悪いです。
再びストリートビューです。この二重の屋根になっているところがレセプションです。
受付を済ませ、すこし下ったところにある宿に着き、ぬるいシャワーを浴びると、レセプションの向かいを少し下りたところにあるブッフェで夕食。
ビーフシチューとチンゲン菜のようなレタスがおいしかったので、そればかり食べる。
翌朝、朝食に宿をでると、とても天気がよく、キナバル山の頂上が非常にクリアに見えました。これでかなり気分が上々になりました。
夕食と同じ席です。いい感じです。
朝食もビュッフェですが、麺類やごはん類の種類が多いです。
朝食の後、別のガイドさんが登場し、当日空港に到着した別の日本人の男の子と一緒に登録を済ませてもらい、乗合バスで少し登りいよいよキナバル山登山開始です。
登山にはガイドが必須で、若い男の子には、20代前半くらいの若いガイドが付き、我々には、しょぼしょぼのあごひげを生やした60代くらいのおじいちゃんガイドが付きました。お客の歳に合わせているとはいえ、大丈夫かな?
最初にヤマレコの記録を見せてしまえば、距離と標高はこのようになっています。スタート地点が1860m、頂上が4095mで、3300mあたりの平坦な場所に小屋があります。一日目は小屋までひたすら登り続けるルートになります。
受付をしてスタートするティンポホン・ゲートから小屋までが距離にして8Km。下の地図は約3.5kmまでのルートです。
何はともあれ歩きはじめます。言い忘れましたが、今回の登山は奥さんと一緒です。奥さんは学生時代は山岳部で日本アルプスも制覇しており、現在は京都の外人さん向け観光ガイドで毎日平均1万2千歩、歩いているので足腰にはそこそこ自信があるようです。
ちなみに今回の旅行の手配は全て奥さんがやってくれました。ありがたや。
歩き始めてすぐに滝があります。まあ、たいした滝ではないですが。
小さなかわいい花。ラフレシアとは大違い。名前はホウセンカ。
世界遺産になったせいか登山道はよく整備されているので歩きやすいのですが、とにかく階段が多い。
約1kmおきにシェルターがあります。全部ではないですが大抵トイレがついています。7合目の小屋のトイレを含めて黒い太いパイプが登山道沿いに設置されており、トイレの下水が流れるようになっています。
手すりの木材は樫の木でしょうか。とても硬くて丈夫です。
小屋までの中間あたりのシェルターに着いたあたりから雨が降ってきました。キナバル登山では雨具は必須です。パタゴニアのクラウドリッジジャケットが完璧な仕事をしてくれましたが、ノースフェイスのバーブパンツは残念ながら水が足にしみ込んでしまいました。やはりこういう環境を想定すると撥水能力のあるウェアでは不十分です。
やみそうにないので、雨の中歩きはじめます。奥さんは顔が濡れるのがイヤなようで傘をさして歩きます。少し疲れて来たのか、最初は嫌がっていましたがストックを使い始めました。
途中で見つけたウツボカズラ。英語でネペンテス。ネペンテスというおしゃれなフィールド系ショップがあります。
上部の葉の裏の臭いに引き寄せられた虫達が真っ赤な縁を歩いていると足が滑ってポトっと下に落下してしまいます。
これも枯れると真っ黒になるのですね。
上部に近くにつれ、階段ではなく岩の上を歩くようになってきます。ロープにつかまらないと登れないような場所も数多くあります。でも、濡れていてもそんなに滑りやすいという感じはなかったです。実際下りはロープがなくても靴にがっちり合わさる感じなので、滑りにくい岩質なのかも知れません。
まだまだ小屋は遠く、しかもガスっているので、気分がのりません。
途中のシェルターにあった地図。小屋が8km地点にあるので、まだ3kmほどあることになります。
奥さんはかなり疲れてきたようですが、一歩一歩ゆっくり確実に上がっていきます。
黄色いかわいい花。高山植物らしいです。
ついに今夜の宿であるペンダントハットにたどり着きました。ダメ押しの最後の階段がきつかった。
9:30にティンポホン・ゲートを出発し、レストランのあるラバンラタに着いたのが16:00なので、6時間30分の行動時間です。多くの登山客はもっと早く到着しており、16:30の夕食開始と同時に列に並びます。こちらもビュッフェスタイルで、場所を考えれば料理はとても良いと思います。
最後の方で一緒にゆっくり登ったオーストラリアから来たおっちゃんが同じテーブルにきて少し話をしましたが、オージーなまりが強くてよくわかりません。ちなみにおっちゃんは、レストランでは裸足でした。
レストランの外を見ると雨もやんで岩山から細い滝が流れているのが見えます。
食事を終えてペンダントハットに戻り、コーヒーを飲んでいると、外の景色の素晴らしさに気づきます。見事な雲海が広がっています。
きれいな三日月が真上に。京都で見る月はあんなに大きいのに、ここの月はちっちゃいです。当然ですがこれは錯覚で、すぐ近くに建物が見えると、月が大きく見えるのです。
写真を撮るのを忘れてしまったのでこれはネットの拾い物。寝室は共同で二段ベッドになっており、シュラフがおいてあります。
我々の他にヨーロッパのカップルと、一緒に受付をした日本人の男の子とが一緒でしたが、ヨーロッパのカップルは物音一つせずに眠っていました。やはりヨーロッパの人は品の良い人が多いです。でも逆に気を遣ってしまい、途中でトイレに行きたくなったのですが我慢して寝ていました。そのせいか、あまりよく眠れません。
翌朝(?)2時に起床し、ペンダントハットの食堂で数枚のパンにジャムとバターを塗って元気をつけたらいざ出発です。
ところが、持ってきたヘッドランプが電池切れ。スペアの電池と換えようとしたところ単4と単3で合わず結局ヘッドランプが使えない羽目に。仕方がないので単4使用のランタンをカラピナでぶら下げることに。
こういうことは山行では致命傷になりかねないので、自分の不注意さに深く反省。
とにもかくにも、頂上までの800mの細い道を100人からの登山客が歩くのでペースはとても遅い。
これがペンダントハットから頂上へ向かうルート。
途中の休憩場所から下を眺めると街の光が見える。どうやら雲も風もなく素晴らしいご来光が見えそう、と気分がかなり上昇する。
頂上への半分くらいから奥さんのペースが落ちる。昨日は足取り軽かった自分も、足腰は大丈夫だが、酸欠のせいで呼吸が苦しくなる。少し踏ん張ると水中に潜った後のような息となり、ゆっくりとしか歩けなくなってしまう。
日の出の時間は6時。どうやら山頂でご来光を拝むのは無理そう。岩山に徐々に朝日が照射しはじめる。これはSt. John's Peak ヨハネですね。4091mなので最高峰とほぼ同じ高さ。でもここには登れません。
振り返るとまだまだ後から登ってくる人たち。火星探検のような光景。急いで登ってしまった人たちはこういう光景は見れなかったことを考えると、遅れてラッキーだったかも。
上の写真の尖っている場所が、サウスピーク(3922m)。
ついに頂上が見えた!!!頂上の名前は Low's Peak。
え、でもあの尖った先に行くの?マジで?
まるで刀の刃先の上を歩くように見える。
とにかく牛歩、だがしかし確実なステップで目的地に向かう奥さん。そして一緒にゼーゼーハーハー言いながら歩く自分。お互い無言だけれど励まし合っている。
これはパノラマモード。ノコギリの歯のようなシルエットに朝日が描くアート。
さあ、もう頂上がはっきりと見えた。ここまで来ると絶対に登れるという気になる。
頂上に立って東側。
南側のサウスピーク。
西側。雲海が上下に広がる。こんな景色は一生に何度見られるだろう。これはゴリラの顔と言われている岩山。
南側に遠く見える山は、マレーシアでキナバル山に続く第二の山、トルス・マディ。標高2642mとキナバル山に比べると低いけれど裾野が広がった形が雄大な印象を与える。ウツボカズラが数多く生息しているらしい。
でもそんな場所でみんながはしゃいでいる。
頂上に立ってはじめて見える北側の景色。あとで写真で見ると、左上は海ではないか?
これがGoogleMapで再現した景色だが、確かに左上は海でした!ああ、もっと味わって見ておくべきだった!
ガイドさんが、西側を指さして「あれが、OYAYUBI」。確かに親指に見えます。
さて、慌ただしい頂上で写真を撮ったあとは下山です。南にトルス・マディを見ながら、白色となった空の下を進みます。
左に移っているのがガイドさん。60台に見えますがロープもつかわず余裕で歩いています。聞いてみると40年もキナバル山のガイドをやっており、一週間に2回のぼっているそうです。毎日愛宕山に登るほうがまだラクだわ。
すこし下ったところで一休みしてあらためて頂上を見てみると、ホント、あんなところについさっきまで居たことが信じられなくなる。ちなみに、頂上の名前のLow's PeakのLowって「低い」のに変だなと思いますが、これはHugh Lowという人の名前。
Hugh Lowは植物採集家(Plant Hunter)で、1891年にキナバル山に初登頂を果たしています。昔ボルネオにあった白人王国サラワク国の初代国王だったそうです。
ふと東側を見ると壁がかろうじて立っているような岩山が。
まだ3000m後半の高度ですが、麓の緑の景色まではっきりと見えます。
チェックポイント。登りに通過したときは暗くてよくわからなかった。IDカードを見せて確認してもらう。
ちなみにIDカードはこれです。記念として持って帰ってもOKです。
二日前の宿であるキナバル国立公園が見えました。
これは拡大写真。✔マークの形をした建物の左下の稜線上の小さなオレンジ屋根がそれらしいです。
あとで確認しようとすぐ後ろの目立つ岩山を撮影。
ネットで見つけたキナバル頂上の説明
この特徴ある岩山の下に行ってみると、「Danger Zone」と書いてあり、「立ち止まらず早く通り過ぎなさい」との看板が。崖崩れの跡があります。岩山の内部は真っ白で、その白い岩が転がり落ちた跡がわかります。
こんな岩が落ちてきたらひとたまりもない。
2015年の地震では、名所と言われていたロバの耳の愛称でしられる岩山の片方が崩れ落ち、日本人一人を含む16人が亡くなった。
下はネットで見つけたものですが、右が地震の跡のロバの耳。
下る途中に見つけた着陸した巨大UFOのような岩石。ひょっとしてロバの耳の一部だったのかも。
一番低いパナ・ラバン小屋で頂上とはお別れです。左耳の欠けたロバの耳がはっきりと確認できます。
ずいぶん下ったと思いきやようやく3000m地点。まだあと1000m降下しなければ。
奥さんはまだ体力もあるので笑っています。
再び見つけたウツボカズラ。オレンジがキレイです。
でもほとんどは、登山客のリュックを三つくらい運んでいるポーターが多かったです。
リュックぐらい自分で背負わないと「登りました」って人に言えないよ!
キナバル山は上部は花崗岩で、下部はこのようなチャートが見受けられます。昔は海の底だったものが造山活動で隆起したからです。
ここは日本列島が乗っかっている環太平洋造山帯と、アルプス・ヒマラヤ造山帯の交点となっている場所だそうです。
下はヤマレコのコースタイム記録。日本時間なので現地時間は1時間引きます。
この日は行動開始が2:30、ティンポホン・ゲート到着で行動終了が15:30なので13時間も行動したことになります。ちなみに二日目はヤマレコの再開スイッチを入れるのを途中で気付いたのでコースタイム上は4:30になっていますが、本当は2:30です。
このあと、バスにのって国定公園のレセプションに戻り預けていたスーツケースをもらって車にのり、シャングリラ・ホテルに向かいます。ツアー上は国定公園で12時からランチが食べれるようになっていたのですが、疲れていたのと、夕食にお腹を残しておきたいのとでランチはスキップ。
これが帰りのバスでもらった登山証明書。やったぜ!
到着したシャングリラホテルがまるで天国のように思えました。
シャングリラのイタリアンレストランで食べたニュージーランドのアンガスステーキ。
こちらは翌日23日のお昼に食べたサテー。
帰りは、コタキナバルを19:45発のSQ5095に乗り、チャンギ空港に21:50分に到着。お腹をこわしているにもかかわらず食べないと元気がでないから、チャンギ空港で大好物のバクテーを食べて、翌24日の1:30の関空行きSQ618で無事帰りました。
よくよく考えるとオーバーナイトフライトの往復で、このハードな山行をよくこなしたなと後からつくづく思います。
毎週ハイキングとテニスをやって体を鍛え、六甲山縦走でもまったく筋肉痛にならなかったので全然大丈夫と思っていましたが、やはり4000m超の山をなめてはいけません。
しばらく筋肉痛と高山病のせいかノドがやられて帰った土日は休養にいそしみました。
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