2021年4月21日水曜日

【中山道】安中、松井田、坂本

 ゴールデンウィーク中の感染予防に備えて緊急事態宣言が発令されそうな時期に中山道歩きの続きをします。

三留野(みどの)宿より京都までは踏破済みで、東半分を東京から進めてきましたが、今回は前回の続きで安中(あんなか)宿から望月宿までを二泊三日で歩きます。

結果をまとめるとこんな感じです。

  • 1日目:安中宿~坂本宿 2.1万歩 4時間
  • 2日目:坂本宿~沓掛宿 3.1万歩 8時間(碓氷峠越え)
  • 3日目:沓掛宿~望月宿 3.6万歩 7時間

1日目と3日目は開けた楽しい田舎道で楽に歩けますが、2日目は中山道で一番の難所と言われる碓氷峠(うすいとうげ)を越えます。

ロープ場のような場所はありませんが、舗装されていない山道で標高差800メートル程度ありますので、軽登山と考え、登山装備があったほうが安心です。

碓氷峠からは軽井沢を通るので、別荘地やお店めぐりも楽しめるので変化に富んだとても楽しい旅になりました。



距離と標高をプロットしてみるとこのようになります。坂本宿から碓氷峠の最高地点である熊野神社までが登山箇所です。

今回は望月宿までをゴールとしましたが、次回は和田峠というもう一つの登山箇所が待ち構えているので楽しみです。




1日目:安中宿~坂本宿

新幹線で割引となる早得21で、6時半に京都駅を発ち、東京駅で北陸新幹線に乗り換え、さらに高崎駅でローカル線に乗り換えて、前回の終了地点である磯部駅に11時に到着しました。


まだ4月だというのに夏日で、Tシャツでちょうどいいくらいの気温です。

ここが中山道沿いの前回のゴールである郷原バス停そばの道祖神。


春の野草たちが花を咲かせてお出迎えしてくれました。左上から時計回りに、ヒナゲシ、ヤグルマギクの白と青、そしてシャガです。シャガはいつも5月に見るのですが、今年はどの花も早咲きのようです。


妙義神社への参拝道にあった常夜燈。妙義山をバックに。


半年ぶりに見る妙義山。こんなギザギザの山は関西にはない。


自分で畑をやり始めたので、何を植えているのかが大体わかるようになったのはうれしい。
これは、九条ネギよりも相当ぶっとい、群馬名産の下仁田ネギです。
ネギ坊主になるともう食べられなくなるので、これは採種用でしょうか。


巨大なネギ坊主が風にゆらいで、まるでムーミンのニョロニョロのよう。

左手の妙義山に対して右手に雪に覆われた浅間山が見えます。


松井田宿に到着。ここは信州諸藩の年貢米の集積地でした。


群馬県からは街道沿いに休憩場所が設置されているので大変ありがたいです。
おにぎり2個と青さ汁でランチにしました。


昭和14年建築の旧警察署。


補蛇寺(ふだじ)


中山道はお地蔵さんが合います。


信越本線。カーブで傾いているのがいい。


巨大な庚申さん。


本日のベストショット。

馬に載せた荷物の左右のバランスが悪いからといって、傍らにあった地蔵の頭を重し替わりにし、用が済んだら捨ててしまった。捨てられた地蔵の頭が夜な夜な泣いたので、夜泣き観音の名が付いている。

酷いことをするものです。地蔵さんも泣かないで祟りにあわせてやる力はなかったのでしょうか。

この下には、叩くと茶釜の音がする岩があります。叩いて涼しげな音色に心癒される。


このあたり、中山道らしい、よい写真が撮れました。



碓氷神社。碓氷峠の頂上にある熊野神社の分霊を祀っているとのこと。峠に登らなくても御利益にあやかれるというわけ。



横川(よこかわ)駅に到着。


碓氷峠の鉄道路線は、反対側の軽井沢の標高が高いので、トンネルでぶち抜くこともできず、登山鉄道で有名なスイスで開発された技術「アプト式」を採用し、線路の真ん中に敷いた歯と列車の歯車を嚙み合わせて登る列車が、1893年に開通しました。

当時のアプト式列車の路線は遊歩道になっています。


宿に到着したのが早すぎたので、近くにある「鉄道文化むら」という名の記念館的パークに行きます。

平日ということもあり鉄道マニアらしくオッチャンが2,3人おられました。


記念館にあった当時の写真。アプト式列車の開通時は、蒸気機関車だったので、トンネル内では運転技師が煤煙で窒息する事故もおきたそうです。


煤煙の出ないクリーンな電気機関車。スイス製を輸入したED41を、コピーしたうえ性能を向上させたED42。当時の日本は著作権のような考えはなかったようです。

1963年には、歯車を使わず、摩擦力の強い線路と電気磁石などで工夫した粘着運転化によりアプト式運転は廃止されます。


野外に展示されている鉄道車両の数々。一番目を見張るのが除雪車。トランスフォーマーのように、ロボットに変身しそうです。


デゴイチ(D51)車両。早朝に高崎駅で試運転していて、ものすごい煤煙に驚きました。煙というより灰の中にいるような感じ。


本日の宿は、「碓日のお宿 東京屋」です。

女将さんがとても親切な方で、料理も美味しく部屋も清潔で大変よかったです。おススメの宿。


部屋から妙義山がすぐそばに見えます。


ヤマレコで妙義山頂上を通る尾根ルートを調べました。

標高差500mで5時間。登山ルートを見ると、危険地帯の「❗(ビックリマーク)」がそこらじゅうについています。宿の人に聞くと、ガイドさんと一緒に登るのが一般的だそうです。



登山コースと中山道コースをプロットしてみると、宿から見えるのは、妙義山頂上ではなく、丁須の頭(1057m)であることがわかります。丁須の頭にも登れるようですが、やはり「❗」だらけです。

宿からは、妙義山に離れるように中山道コースは続いていきます。






2021年4月15日木曜日

【綾部市】国宝:光明寺二王門

オリンピックが開催の方向で進んでいる一方で、日本の100人あたりのワクチン接種は1.5人で、先進国どころかミャンマーやジンバブエ以下の世界の下位3分の1グループ。何事にも細心の注意を払う国民性なのかもしれませんが、日本ってもっと偉大な国のはずじゃなかった❓

そんな4月中旬、京都御所の出水の小川(でみずのおがわ)では、珍しい、緑色の桜が咲いています。これは、御衣黄(ぎょいこう)という名が付いていますが、立派なサクラの仲間です。満開時期をすぎると緑色はなくなるそうです。


さて、今日は、京北での唯一の国宝である光明寺の二王門を訪ねます。



綾部市も丹後国の一つで、京都府側にあります。左側が明智光秀築城の福知山城のある福知山市。


前日に綾部温泉二王館に宿泊しました。東側の山の景色が素晴らしい。露天風呂、薬草温泉があり、泉質はアルカリ性でヌルっとしています。


光明寺は宿から歩いて行ける距離なので、散歩もかねて歩きます。


ゼンマイが生えています。


密度の濃いベルベットのようなカモジゴケ。


つづら折りの車道をショートカットで結ぶような山道を進みます。



二王門が見えてきました。


京北で唯一の国宝である二王門です。このあたり一帯に72の坊が建つほどの威勢を誇っていましたが、明智光秀の焼き討ちなどの戦火に合い、唯一、鎌倉時代中期から建立した当時の姿を残しているのがこの二王門だけです。


重要文化財の金剛力士像は、運慶の弟子であり次男の作と言われています。


満開のヤマザクラと二王門のコンビで。



鮮やかな色。多分桃の花かと思います。梅、桜、桃は全てバラ科の植物で、よく似ているのですが、花びらが、梅は丸く、桜は割れて、桃はとがってるので見分けます。


二王門からしばらく階段を登ると光明寺の本堂が現れます。江戸時代後期の建築です。


丹波国の宮大工、中井権次一統(なかいごんじいっとう)の作で、霊獣の彫り物を得意としていた。二重丸のような眼と、上に持ち上がった舌が特徴だそうです。


屋根の下にも龍の彫り物が並んでいます。




山々の景色も美しい。光明寺は、君尾山(きみのおさん)(582m)に建っています。いつか登ってみたい山の一つ。



光明寺を後にして帰りに、和紙製造で有名な黒谷を訪ねました。

和紙会館では和紙の作り方について学ぶことができます。この地方では主に栽培したコウゾを原料にして、蒸して剥がれた皮を、多くの工程を経て白い繊維質の和紙に仕立てていくのですが、この黒谷のきれいな川で、村の女性たちが水洗い作業をしたとのこと。

長靴が存在しなかったので、凍えるような冷たい水に素足で入って作業したそうです。


時が止まったかのような静かな黒谷に真っ赤なチューリップが咲いていました。