京都の紅葉と言えば永観堂と言われるほど有名で、夜のライトアップも評判が高そうですが、まずは陽の光を観賞しに参りました。
永観堂の正式名称は禅林寺で、平安時代の比較的初めの頃の貞観(じょうかん)に清和天皇(せいわてんのう)から勅額を賜ったのが起源という。
勅額とは、天皇から認められた正式なお寺という認定書のようなもので、当時はいろんなお寺が乱立していたのが背景にあるようです。
禅林寺の境内図ですが、背後に若王子山となっていますが、背後の大文字山の麓の盛り上がり部分が若王子山と呼ぶようです。
何はともあれ紅葉狩りの写真を掲載します。
苔むした石とのコンビネーションがとても美しい。
こちらは紅く色づいた葉のアップです。
禅林寺は大文字山の麓なので少しあがると京の街を眺めることができます。遠くに見えるのが愛宕山でしょうか。
敷き詰められた紅葉のじゅうたん。
これはお気に入りの一枚。苔と紅葉が光の中でダンスをしているよう。
水面に映る紅葉と錦鯉。
幼稚園がある。こんなところで育てられたら子供もいい子になるだろう。ダックスフントの花壇がかわいい。
小川に紅い光線がきらめいて素晴らしい。
ということで、今年の紅葉は永観堂だけで、もう充分堪能した気分になりました。流石、紅葉といえば永観堂と言われるだけのことはあるなとしみじみ思いました。
2016年11月26日土曜日
2016年10月29日土曜日
修学院離宮
修学院離宮も抽選で当たらないと行けない京の名所で、紅葉シーズンが始まるという時期に幸運にも当選したので訪問することができた。
二十人ほどのツアーで約半分が外国人。海外から応募したのだろうか。ネットなどはなく往復はがきなのに。
これがツアーのルートです。
江戸時代の徳川家綱の時、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の指示で造営された離宮。
今は宮内庁の管轄になっている。
これは寿月館と、その襖絵。
修学院離宮が特徴的なのは、庭園のなかに、農園の美を求めて水田を作ってしまったことだろう。今でも地元の農家と宮内庁が契約を結んで耕作させているようだ。
日本の原風景はこんなにも美しい。
こちらは客殿。狩野永敬(かのうえいけい)の四季絵がある。この大鯉は、夜な夜な逃げ出すのであとで網を描き加えたという。
さて、浴龍池(よくりゅうち)の周りを歩く。色づき始めた樹々が美しい。
これは千歳橋。江戸時代の文政期に後から建てられたものだが、二つの屋根がとても美しい。横と縦の写真です。
金の鳳凰がのっているのが、宝形造(ほうぎょうづくり)の屋根で、四片が三角形で頂上が点になっているのに対し、もう一方は寄棟造(よせむねづくり)といって頂上が線になっています。この二種類の屋根のコンビネーションが特徴。
紅葉は、真っ赤になってしまう前のいろいろな色が混じり合った方がよい、という声も聞きますが、文字通り秋のパレットの美しさがありました。
二十人ほどのツアーで約半分が外国人。海外から応募したのだろうか。ネットなどはなく往復はがきなのに。
これがツアーのルートです。
江戸時代の徳川家綱の時、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の指示で造営された離宮。
今は宮内庁の管轄になっている。
これは寿月館と、その襖絵。
中国っぽい襖絵は京都では良くみるが、この襖絵は岸駒(がんく)という絵師が描いた虎渓三笑(こけいさんしょう)がテーマの作品。仲の良い学者が語らう内に、虎のいる場所に知らずに行ってしまい、三人で笑い合ったという。
修学院離宮が特徴的なのは、庭園のなかに、農園の美を求めて水田を作ってしまったことだろう。今でも地元の農家と宮内庁が契約を結んで耕作させているようだ。
日本の原風景はこんなにも美しい。
こちらは客殿。狩野永敬(かのうえいけい)の四季絵がある。この大鯉は、夜な夜な逃げ出すのであとで網を描き加えたという。
さて、浴龍池(よくりゅうち)の周りを歩く。色づき始めた樹々が美しい。
これは千歳橋。江戸時代の文政期に後から建てられたものだが、二つの屋根がとても美しい。横と縦の写真です。
金の鳳凰がのっているのが、宝形造(ほうぎょうづくり)の屋根で、四片が三角形で頂上が点になっているのに対し、もう一方は寄棟造(よせむねづくり)といって頂上が線になっています。この二種類の屋根のコンビネーションが特徴。
紅葉は、真っ赤になってしまう前のいろいろな色が混じり合った方がよい、という声も聞きますが、文字通り秋のパレットの美しさがありました。
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